第39話 憎悪と嘆願




「……その男が原因で私の家族は殺されました」


 フェリックスの声は震えていた。

 その一言には、彼がどれほどの想像を絶する憎悪の中にいるかが滲み出ていた。


「所長は王家の人間だったのか……?」

「そうですよ。ずっと私の家族が無惨に殺された魔石戦争の事を調べていました……」


 そして、フェリックスはせきを切ったようにライアットに大声を張り上げた。


「愛の精霊の加護者を殺し、キューピットまで殺し、人々から愛を奪った貴方がこの世界で愛されていいはずがない!」


 フェリックスはライアットの頬に流れ落ちる涙など意にも介さず、憎しみを込めて吐き捨てるように言葉を放った。

 その声には、長年彼の心を縛り付けてきた過去への深い怒りと憎悪が込められている。

 彼の脳裏には血だまりの中で冷たくなっていく家族と、家族を殺した者の憎悪と嫉妬の表情が鮮明に浮かんでいた。


「助けられずに死んでいくのは因果応報ですよ! 貴方を想ってくれるゼフィラがいるだけで贅沢すぎるくらいです! 貴方が死ねば完全に顕現していないヴァニタスも消えるはず……これが貴方にとって唯一の償い。自分が犯した罪を命を持って償いなさい!」


 フェリックスの言葉は長年抱え込んできた憎悪と復讐への強い執着の結晶だった。

 フェリックスにとってライアット本人が邪悪の化身であり、同じ人間とはよもや思っていなかった。


 今までずっと優しい表情をしていたフェリックスの顔は、見たことないほど険しい表情になっていた。


「違う! そんなことない!」


 ゼフィラはフェリックスの言葉に猛然と反論した。

 彼女のキューピットの力が、ライアットに向けられるフェリックスの憎悪の感情を僅かに和らげようと働く。


「ライアットを……ライアット様を先に捨てたのは、王家の方だ! ライアットはめかけの子として王家から捨てられたって言ってた!」


 ゼフィラの口から放たれた衝撃の言葉に、フェリックスの顔から血の気が引いた。


 彼は目を見開き、信じられないというようにゼフィラを見る。

 そして横たわるライアットの顔と、自身の記憶の中にある王族の肖像画を交互に見比べた。


 王家の末裔である自分、そしてヴァニタスの加護者として王家を滅ぼしたライアット。


 その二人がまさか血縁関係にあるなどと……――――


 彼の頭の中で、これまでの全ての憎悪の構造が崩れ去ろうとしていた。


「…………」


 ライアットの意識は朦朧もうろうとしていたが、ゼフィラの言葉は彼の耳にも届いたらしい。

 苦痛に歪んだ表情でライアットはフェリックスを見つめる。

 ライアットは「全然似てねぇな……」とフェリックスの顔を見て漠然と考えていた。


「ライアットは確かに悪いことばっかしてきた。あたしも手伝って悪い事いっぱいしてきた」


 ゼフィラはフェリックスの前に膝を突き、必死に訴えかけた。

 彼女の頬を伝う涙は、ライアットを救いたいという純粋な願いからくるものだった。


「ライアットだって望んでた訳じゃないんだ! こんな力、突然手に入れて、訳も分からず巻き込まれて……あたしだって望んでたわけじゃない、キューピットの力なんて!」


 彼女の言葉は自己憐憫じこれんびんではなく、ライアットへの深い共感からくるものだった。

 自身も精霊の加護者として、その力に翻弄されてきたからこそ理解できる苦しみ。


「あたしだってキューピットじゃなくてヴァニタスの加護だったら、こうなってたかもしれない! あたしが……あたしがライアットとこの世界の縁を結ぶから!」


 ゼフィラの瞳は涙で濡れながらも、揺るぎない覚悟と救いたいという純粋な「愛」の光を宿していた。


 その懇願はフェリックスの心に重く響いた。


 憎むべき相手への憎悪は消えない。


 しかし、目の前のゼフィラの真っ直ぐな「愛」の訴えが、彼の強固な信念をわずかに揺るがせた。

 彼の心の中で宿命と憎悪、そしてゼフィラの願いが激しくぶつかり合っていた。


「チャンスをくれよ、所長! ライアットの話を聞いてやってくれよ! あたしに、ライアットと向き合う時間をくれ!!」

「その人は世界を崩壊させようとした大罪人ですよ!?」

「世界にとっては大罪人でも! あたしにとってはたった一人の家族なんだよ!!」


 フェリックスの脳裏に淡く残る自分の「家族」との思い出が蘇ってくる。

 家族を守れなかった自分の無力感も同時に思い出す。

 もし自分がライアットを見捨てたら、きっとゼフィラが同じ思いをするだろう。


 フェリックスはライアットの顔を凝視した。

 彼は憎むべき相手だ。

 しかし、ゼフィラが命を懸けて救おうとしている人間でもある。


 そして、自分と同じ王家の血が流れているかもしれないという衝撃の事実。


 フェリックスの視線はライアットの身体の深手の傷に引き寄せられた。

 ヴァニタスに支配されながらも、ゼフィラを庇って深手を負ったライアット。


 彼の顔に深い葛藤が刻まれる。

 逡巡しゅんじゅんの末、フェリックスはゆっくりと震える右手をライアットの傷口へと向けた。

 指先が触れる寸前、彼は一度強く目を閉じた。


「……不本意です。これほど不本意なことはありません……!」


 そう呟きながらも、彼の掌から優しい治癒の光が溢れ出した。


 その光はライアットの深く抉られた背中の傷口をゆっくりと塞ぎ始め、流れ出ていた血が止まる。

 フェリックスの心の中には憎悪ゼフィラへの信頼が複雑に絡み合っていた。


「……ありがとう、所長……時間をくれて」

「…………」


 涙を流しながらゼフィラはフェリックスにお礼を言った。


 フェリックスの必死の治療により、ライアットの顔色にわずかに生気が戻る。

 意識は朦朧もうろうとしているものの彼の脈は安定し、呼吸も落ち着いてきた。


 瓦礫と化した戦場で辛うじて一命は取り留めたのだ。


 しかし、彼の身体からヴァニタスの力が完全に分離したわけではなかった。



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