第16話 絶対君主




 ゼフィラは普段通り『エヴァー・ブロッサム』の業務に当たっていた。

 ガレンは相変わらず事務所に顔を出すが、それ以上なかなか進展していかない。

 そんな亀甲状態をフェリックスは悩まし気に見つめていた。


 その日の午後、事務所の扉が乱暴に開け放たれた。


 ギィィ……ンと耳障りな音を立てて開いた扉の向こうに立っていたのは、数名の男たち。

 彼らの纏う空気は街の喧騒とは明らかに異質で、鋭利な刃物のような緊張感を孕んでいた。


「よぉ」


 その中心に立つ男の姿を見た瞬間、ゼフィラの表情が凍り付いた。

 彼女の血の気がみるみるうちに引いていく。


 その男は全身を黒い革と金属の装飾で固め、長い漆黒の髪が歩くと揺れる。

 顔には不気味な刺青が走り、片方の目は大きな傷がついていた。

 その傷のある目は義眼であり、鈍い銀色の光を放っていた。

 口元にはゼフィラと同じピアズ、そして常に嘲るような笑みが貼り付いており、その視線は凍てつくように冷たい。


 周囲の男たちは彼の一挙手一投足に神経を尖らせ、まるで絶対的な王に仕える兵士のように控えている。


 男はゼフィラを見つけると、その口元をさらに歪ませた。


 「けっ……まさか、こんなクソみてぇな場所で生きていやがったとはな、ゼフィラ」


 その声は低い唸り声のようで、ゼフィラの脳裏に深い過去の記憶を呼び起こした。


 ゾクリ……と背筋に冷たいものが走る。


 彼の名前はライアット。

 ゼフィラが身を置いていた裏社会の組織「影牙衆えいがしゅう」のボスである。

 まだ30代でありながら、その絶対的な力と有無を言わさない冷徹さで裏社会の組織のボスの一角を担っている存在だ。


 逃げられないことは理解していた。

 フェリックスに恩を返すという建前を貫き通せば、自分の現実から目を背けられると少しでも考えていたのは甘かったと痛感する。

 死んでいると思われたら追われることもないのかもしれないという考えがあった。


「……ライアット……」


 ゼフィラの声は普段の威勢を失い、震えていた。


「あの抗争でくたばったと思ってたんだがなぁ……死体もねぇし、怪しいと思ってたぜ……生きてたなら連絡しろよ。俺に隠れてエルフとドワーフの恋愛ごっこのお手伝いかぁ? 馬鹿みてぇなことしてんな」


 エルフとドワーフの婚姻という、かつてない大事件で『エヴァー・ブロッサム』とゼフィラの名前が王国中に知れ渡ったことで、彼女の生存がライアットに露見したのだろう。


「黙ってないで答えろよ。俺が話しかけてるんだぜ……?」


 ライアットはゆっくりとゼフィラに歩み寄る。

 その一歩一歩がゼフィラの心を締め付けていくようだった。


 体が鉛のように重い。


 逃げ出したい、抗いたい。

 だが足が、心が動かない。


「縁結びだぁ? ククッ、ゲロ吐きそうだぜ。おい、ゼフィラ。生きて影牙衆を抜けられると思うなよ。分かってんだろうな? 俺のところにさっさと戻ってこい」


 ライアットの言葉は、命令であり絶対だった。


 ゼフィラはいつもの威勢でそれを拒否したいと強く願った。

 だが、彼女にはライアットに頭が上がらない深い因縁があった。


 過去の出来事が彼女の喉を締め付け、強い言葉を吐き出せない。

 心臓がドクドクと不規則に脈打つ。

 息すらまともにできないほどゼフィラは追い詰められていた。


 その時、奥からフェリックスが姿を現した。

 彼はただならぬ雰囲気を察し、穏やかな表情のまま二人の間に割って入ろうとする。


「お客様方、ここは『エヴァー・ブロッサム』です。何かご用件がおありでしたら、まずはお話を聞かせていただけますか?」


 フェリックスの言葉にライアットは一瞥もくれず、ただ冷笑を浮かべた。


「雑魚は引っ込んでろ」


 次の瞬間、ライアットの右足が閃いた。

 容赦のない一撃だった。


 フェリックスは咄嗟に腕で防御したが、その衝撃は想像を遥かに超えていた。

 ドォン! という鈍い音と共にフェリックスの身体が大きく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


「がはっ……!」


 そのまま所長は倒れ込んだ。


「所長!」


 ライアットは倒れたフェリックスを一瞥いちべつし再びゼフィラへと向き直る。


「来い。お前の居場所はこんなバカの吹き溜まりじゃねぇんだよ。こねぇならここを血の海にするぞ。分かってるよなぁ……?」


 ゼフィラは絶望した。

 抗えない。

 ライアットの声に身体が震えて動かない。


 フェリックスにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 このままでは所長が殺される。


 ゼフィラは唇を噛み締め、ライアットに従うために一歩を踏み出そうとした。

 足が震える。

 この選択以外に道はない。


 その瞬間……――――


「待ってください。ゼフィラさん」


 ガレンが影から現れたかのように、ゼフィラとライアットの間に立ちはだかった。

 彼の無表情な顔はいつもと変わらない。

 だがその背中からは、今まで感じたことのない揺るぎない決意と静かな怒りが立ち上っていた。


「……なんだテメェ」


 ライアットの冷たい視線がガレンを射抜く。

 ガレンは微動だにせずライアットを真っ直ぐに見返した。


「俺はガレン。ここは暴力を振るうための場所じゃない。お引き取り願おう」


 その言葉にライアットは軽く笑った。


「キヒヒッ……おうおうゼフィラの騎士ナイト様かよ、怖ーい……ってなぁ」


 ライアットは茶化すようにガレンの言葉を嘲笑する。

 その軽薄な言い方の後に急に声色を変えてどすのきいた声でガレンに詰め寄った。


「オイ……俺に敵意を向けるって事がどういうことか、ちゃーんと理解してやってんだろうな? 殺されるだけじゃ済まねぇぞ」


 ライアットの脅しにガレンは何も答えない。

 ただ、ゼフィラを守るようにその場に立つ。


 事務所の中には張り詰めた沈黙と、二人の男から放たれる異なる種類の「強さ」が満ちていた。


 ゼフィラの心臓はまだ激しく脈打っている。


 ライアットに逆らえない緊張感と、それを庇ってくれたガレンの頼もしさと、自分自身の情けなさがゼフィラの中に渦巻いていた。



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