第15話 不器用な熱意




 あれから数日後。


 ガレンはフェリックスのアドバイスを真摯に受け止め、ゼフィラとの接触を試みていた。

 彼の脳裏にはフェリックスの


「まずは、彼女をよく観察することから始めてみたらどうかな?」


 という言葉が響いている。

 しかしそれを実行するにも何をどう観察すれば良いのか、彼には皆目見当がつかなかった。


 そんなある日の夕方、相談所の閉館間際。

 誰もいなくなった事務室でゼフィラが怠そうに書類の整理をしていた。


 コンコンコン……と意を決してガレンはゼフィラのいる事務所の扉を叩いた。

 すると中からゼフィラが出てきて緊張した表情のガレンを見た。


「んあ?」

「あの、ゼフィラさん」


 ガレンの顔はいつも通り無表情だが、どこか緊張しているのが見て取れる。


「……なんだよ朴念仁。まだ帰りたくねぇのか?」

「いえ。その……」


 ガレンは言葉に詰まり視線を泳がせた。

 口を開きかけるもすぐに閉じてしまう。


 ゼフィラはそんなガレンの様子に、だんだんといら立ちが募ってきた。


「おい、言いたいことあんのか、ねぇのか、はっきりしろよ」


 ゼフィラの強い言葉にガレンは少々委縮する。

 そして意を決したように真っ直ぐにゼフィラの目を見つめた。


「……ゼフィラさん。俺と、その……デートの、練習を……していただきたい」


 ガレンの言葉にゼフィラは一瞬、ポカンとした顔をした。


 ――デートの練習? こいつは何言ってんだ


 ガレンの真剣な眼差しと、彼の武術家らしい一切の邪念のない「練習」という言葉にゼフィラは言葉の意味を少し納得した。


「いいぜ。熱心だなガレン。あんたがそこまで言うなら付き合ってやるよ」


 ゼフィラはニヤリと笑った。


 彼女自身はまだ、それが本当のデートに繋がる可能性にすら気づいていなかった。

 ゼフィラにとってそれはあくまで依頼の一環であり、ガレンの求める「強さ」を見つけるための手段でしかなかったのだ。




 ***




 翌日、ゼフィラとガレンは街へと繰り出した。


 二人はまず、ガレンの提案で美術館を訪れた。

 ガレンは絵画を前に腕を組み真剣な表情で見つめている。


「ゼフィラさんは、どのような絵画に興味がありますか?」


 ガレンは訥々とつとつと尋ねた。


「んー、よく分かんねぇな。見てもピンとこねぇ。絵は描くやつの方がよっぽど『強ぇ』んじゃねぇかとは思うぜ。根性ねぇと絵は描けねぇだろ」

「なるほど……では、どんな絵画が好みですか?」

「分かりやすいのがいい。ぐちゃぐちゃしてんのは嫌いだ」


 ガレンはゼフィラの答えに真剣な顔で頷きメモを取り始めた。


 次に二人はカフェに入った。

 ゼフィラが注文した甘い菓子をガレンは一切手を付けずに凝視している。


「ゼフィラさんは、甘いものは好きですか?」

「ああ、たまにならな。頭使うと甘いもん欲しくなるだろ。喧嘩の後とか」

「……喧嘩の後、ですか」


 ガレンはまたメモを取る。

 ゼフィラは内心で首を傾げた。

 まるで尋問されているかのようだと感じた。


「おい。女にそんな質問ばっかしてたら嫌われるぞ。もっとこう相手の目を見て会話を繋げろ」


 ゼフィラがズバズバと改善点を指摘する。

 ガレンは真剣な表情で頷いた。


「はい。次は実践します」

「ったく……で、ガレンは好きなもんはねぇのかよ」


 会話の広がらないガレンにゼフィラから話を振る。


「俺は……特に、これと言ってありません。武術に影響が出なければそれで」

「それじゃ駄目だ! 自分の好きなもんも分からねぇ奴が相手の好きなもんを理解できるわけねぇだろ」


 ゼフィラは苛立ちを隠せず声を荒げた。

 それに少し委縮するガレン。


 ゼフィラは彼の不器用さに呆れつつもどこか放っておけない気持ちになっていた。


 その後もガレンは様々な質問を繰り返した。


「ゼフィラさんは、休日には何をしていますか?」

「体を動かすか。あとはまあ飯食って寝るかだな」

「好きな場所はありますか?」

「特にねぇ」

「これまで、何か打ち込んだものはありますか?」

「あー……喧嘩しかねぇよ。てか、あたしの話聞いてたか? 質問ばっかするんじゃねぇよ。自分の話とかして話を広げていくんだよ」

「すみません……自分、女性に興味をもってもらえるような生活はしていないもので……」


 ガレンの質問はまるでゼフィラという存在を解析しようとしているかのようだった。

 彼の無表情な顔の奥にはゼフィラへの尋常ではない興味が透けて見える。


 ゼフィラは最初はいつもの調子でガレンの朴訥さにツッコミを入れたり、冗談を言ったりしていた。


 だが、時間が経つにつれて彼女の心の中に今まで感じたことのない違和感や居心地の悪さが芽生え始めた。


 ――なんか調子狂うな……


 他の依頼人との「縁結び」の際には、彼女のキューピットの加護が発動し全てが彼女にとって有利にスムーズに進んでいたはずだ。

 しかし、ガレンとの間ではその力が全く作用しない。

 それどころか、自分の感情がまるで未知の相手に攻撃されているかのように揺さぶられているのを感じた。


 それは喧嘩で強敵と対峙した時のような、説明しがたい奇妙な感覚だった。




 ***




「なぁ、所長聞いてくれよ」

「どうしたんですか」

「ガレンとデートの練習に行ってきたんだけどよ……全然駄目だあいつは。なんか説明できねーけど決定的なもんが欠落してる。ありゃ成功しねーわ」

「……そうですか。お疲れさまでした」

「じゃ、あたしは帰るから」


 事務所に残ったフェリックスは、二人の「練習デート」の報告を受けて静かに想像していた。

 彼の穏やかな顔に困惑と深い洞察の色が浮かぶ。


「自分に加護の力は働かないのか? それともゼフィラとガレンは惹かれ合う運命の相手ではないのでしょうか」


 ゼフィラがガレンに対して特別な感情を抱いているようにはフェリックスには見えなかった。


 ゼフィラが「愛」を「筋」や「力」といった、彼女自身の経験で培われた枠の中でしか理解できていないことをフェリックスは理解していた。

 彼女の過去、裏社会で培われた「義理」の概念が純粋な「愛」を受け入れる壁となっているかもしれない。


「愛は、筋を通すだけでは測れない。強さだけでは掴めない。予測不能で理不尽で……だからこそ、美しいものだというのに」


 フェリックスは、深くため息をついた。



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