2.この家でレインに拒否権はない

 この家でレインに拒否権はない。


 エルマハルトを信じて、レインは二人の外出を黙って見送った。


 腕にしがみつかれて、少し顔を赤くしていたけれど見なかったことにした。

 あからさまに口数が少なくなり、レインといると不機嫌そうな顔をするようになったけれども、気づかなかったことにした。


 ある日のこと。


「あら、エルマ。今日は約束してないけど、どうしたの?」

「いや、今日はーー聞いてないのか?」

「え……?」

「…………」


 首の後ろに手をあてて彼は俯く。

 こういう無言になる時間が徐々に増えていた。


「お義兄さま! お待たせ!」

 その弾んだ声がした途端に彼は顔をあげる。

「やあ、アルシェビエタ」

「訓練を見せてくださるのよね。楽しみだわ!」

「そんなに面白いものじゃないけどな」

「お義兄さまの戦う姿、きっと素敵でしょうね?」


 腕を組んだ二人が扉口で逆光になる。大きな音をたてて閉まった扉をしばらく見つめていた。

 エルマハルトの耳が赤くなっているのを、今度は見逃すことはできなかった。


 結婚式を挙げれば、さすがに妹も二人で出かけようとしないだろう。

 エルマハルトだって妹のことを忘れるはず。

 そう信じて、指折り数えていたある日のこと。


 夏の夜会で、決定的なことがおきた。


 書斎で父にお説教を受けていた時のこと。

 もうすぐ彼が迎えに来る時間なのに、内心焦っていたら。

 扉の向こうから声が聞こえてきてとっさに顔をあげる。「アルシェビエタ」と呼ぶ声、続いて楽しげな妹の笑い声。


(えっ?)


 書斎の窓から、馬車が走り去るのが見えた。

 余所見をするな、と怒鳴る父の声が遠のいていく。馬の足音はあっという間に聞こえなくなる。


 エルマハルトが連れていったのは、アルシェビエタの方だった。


 今日こそ会えると準備していたドレスは、椅子に投げだした。帰ってきた妹の弾んだ声を聞きたくなくてベッドに潜りこむ。


 夜が更けて、明け方になり、世界が明るくなるまで、毛布の隙間からぼんやり見ていた。


 その日を境に、彼の婚約相手は妹に代わっていた。まるで解禁になったばかりに、皆の会話はアルシェビエタの嫁ぐ日のことばかり。


 父も義母も、エルマハルトの心変わりを知っていたのだ。


 彼に確かめたいことは山のようにあるのに、いつものように手紙の文字にできない。

 決定的な一言を言われたら、と想像しては書き損じ、また書き損じて。

 結局一文字にもできぬまま。

 レインは全てを諦めた。


 そして自分はその二人のメイドになる。

 父の命令は絶対だ。


「分かりました。準備します。サティ、悪いけれど後はお願い」

「あら? ちょっと待って。あなたがしなかった掃除をサティがするの? まさか押しつけるとはねえ」


 笑いを堪えているメイドたちの傍で、義母は呆れたように首を振る。


「才女って言われてたらしいけど、学校って人格までは成績で評価しないのね?」

「……終えてから準備します。お義母さま」

「大体あなたの荷物なんて大してないのに。一体どれほど時間をかけるつもりだったのかしら?」


 レインは素早くモップを動かし始めた。

 廊下の床を磨きながらドアを次々開け放ち、中の清掃へと取りかかる。


「サティ、三階も私がやるわね」

「はい、レインさま……、え、えぇ? もう二階終わったんですか!?」


 野次馬だったメイドたちは、慌てたように日常の仕事へと戻っていく。

 家の恥部をつぶさに観察できる使用人たち。ある意味主人よりもアプソロン家の内情に詳しいに違いない。


(そうだ)

(二人のメイドになれば、きっと分かる)

(エルマを嫌いになれる)

(私は、あの人の嫌いなところを見つけに行くんだわ)


 半ば強引に自分を納得させた言葉だけれども、意外にも奮い立つ気がした。

 レインはまだ彼のことが好きだったから。



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・表紙イラスト

https://kakuyomu.jp/users/pirkur/news/16818792437213840525

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