4-3

 

「身辺調査の依頼」


 寄木が復唱する。

 そうです、と幅目がはきはきと頷いた。


「行方は知れているのですが、最近の動向が気掛かりであると家庭裁判所から通知がありまして。詳細はこちらの封筒に資料をまとめてあります。……内容をご覧いただければ察していただけるかと思いますが、つまりデータの裏付けをお願いしたいのです」


 机の上に差し出された封筒を手に取り、ファイルを取り出す。

 ここ一年以上にも渡る現金出納帳の記録に、昨年度の定期報告として提出された後見事務報告書など──およそ家庭裁判所が管理しうる、調査対象に関わる経済活動や生活状況の痕跡が丁寧に書き記されていた。


 寄木がざっと資料に目を通していく中、幅目がさらに経緯を補足する。


「家庭裁判所側が不審な点に気がついたのは七月の中旬。これは先ほどの世間話の内容と繋がる話なのですが、警察が違法薬物の取引に関わる事案で組織的関与の可能性を示唆した時期と一致しており、それを受けて職員の一人が独自の判断で記録の精査を始めたとのことです。また、ほぼ同時期に不自然な住所の異動も確認され、現在に至ります」


 転居届は七月の十五日付けに受理されている。一見書類内容に問題は見当たらず、親戚宅を離れ、以前の住所に戻っただけのようだが、調査対象がまだ学生である事実を考慮に入れると、確かに時期的に不自然だと寄木は頷いた。


「現金出納帳の不審な点というのは、六月上旬から七月始めにかけての支出についてですね?」

「その通りです」


 記録によれば、前月、前々月に比べ、週に十数万ほどの額が引き出されていたようだ。これまでにも額の変動は見られたが、いずれも断続的であり、また仮に学友との交際費としても額が大きすぎる。


「……彼女の生活状況から鑑みると、決して見合っているとは言い難い額です」


 資料から僅かに目線を上げ、寄木は対面に座る弁護士の顔を上目に見る。相変わらず変化の読みにくい仏頂面ではあったが、刻まれた皺の影に深刻味が帯びていた。


「何か思うところでも?」

「……いえ、お気になさらず」


 幅目は何かを振り払うようにして一度目を閉じた。そして、いったん気持ちの整理でもつけたのか、しっかりと相手を見据えた。


「寄木さんは、どうお考えになりますか?」

「その前にまず確認を。家庭裁判所側は、この子が違法薬物に手を染めたかもしれないと疑っているという認識で構いませんね?」

「はい。そこに論理の飛躍があることも。しかし、後見人の方と連絡が繋がらない状況が続いていまして……」

「なるほど」


 それが調査依頼に踏み込む決定打になったのだろう、と寄木はなんとなくあたりをつけた。これで事の経緯も概ね把握できた。手元の資料も併せて、少なくとも警察が動けるような証拠はひとつもない。なぜうちを訪ねてきたのか、ここまで情報も出揃えば愚問だった。


「そちらの懸念の通り、その疑いは濃いでしょうね。ただ、不可解な点もある」

「不可解な点、とは?」

「確かに六月上旬を境に支出額は跳ね上がっていますが、しかし増大傾向にない。通常、違法薬物に手を出したのならその中毒性から取引する薬物の量も増え、金額も上がっていくものなのですが、記録を見る限り、この子にはそうした傾向が見られない。どちらかというと、自制が効いている節がある・・・・・・・・・・・・。これは明らかに異様です」

「………」

「そして七月十五日付けの住所異動。私にはその事実よりも、“動機”が引っかかる」


 寄木は神妙な顔つきで改めて資料を見下ろした。


 ───場合によっては、“こちら側”の領分になるかもしれない、と。


 

 その後、依頼を引き受ける方向で話は纏まり、幅目は事務所を去っていった。

 寄木はとりあえず資料にある親類に連絡を入れるが、やはり応答はない。

 スマホの時刻表示を確認する。

 時刻は午後三時を回る頃。中途半端な時間帯だ。

 しばらくの逡巡の末、


「ひとまず、対象が以前住んでいた親戚宅に向かってみるか」


 何事も地道な作業からと云う。一年毎に提出義務のある後見事務報告書には、去年の十月までの報告しか記載されていない。つまり、調査対象の生活状況の変遷は半年以上にも亘って不透明であり、もっとも情報が不足している。優先度は高かった。それに例え後見人が不在であったとしても、周辺の様相を知るだけでも次に繋がることはある。


 思い立ったが吉日。

 寄木は最低限の身支度と準備をし、事務所を出た。

 

    ///

 

 その日の午後は、どことなく空気が停滞していた。

 女の子はあれからベッドの縁に背を預けて、ぼくの側を離れなくなった。

 意固地になっているみたいだった。

 片時も離れたくないみたいだった。

 何に意地を張っているのか、ぼくにはよくわからない。

 けれど、それでぼくが困るわけでもないので、目を瞑った。


 とても穏やかで、ゆるやかな時の流れ。

 そうやって午後の日向の零れに身を委ねていたら、女の子がぼそりとつぶやいた。

 ぼくは“外”という言葉に耳を傾けて、顔を上げた。


 ここから出たくないの──。


 女の子はそんなことをぼくに聞いてきた。

 ぼくは窓のほうに目を向けている。

 女の子の視線を感じる。

 ぼくは顔を伏せながら答える。

 まだ、あの子が望んでない。

 外のせかいよりも、別のことに夢中みたいだから。

 でも、それは半ばぼく自身の願望に近かったのかもしれない。

 だって、いまのぼくには、あの子の声なんて聴こえていなかったのだから。

 女の子は哀しげに、そう、と一言だけこぼした。

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