花天月地【第28話 白の盤上】

七海ポルカ

第1話




賈詡かくどの!」




 通路を歩いていると、後ろから声をかけられた。


「おはようございます!」


 楽進がくしん李典りてんがやって来る。


「よう、お二人さん。ご機嫌かな」


「はい! 朝の修練を終えてこれから朝食なのですが、よろしければ賈詡殿もいかがでしょうか。また戦術や涼州の話など聞かせていただけたら光栄です」


 楽進はいつものように元気いっぱいだが、李典は相変わらず眠そうだ。


「ええまあ……機嫌はいいですよ……なんせ朝五時からこいつに付き合って槍の稽古とかしたもんだから今眠気が最高潮ですけど……朝餉を食いながら寝て、朝餉の味噌汁に顔を突っ込んだら申し訳ありませんがね……」


「それだけ文句タラタラなのにあんた楽進が一緒に早朝修練しないかって呼びに来ると、結局嫌がって追い払って断ったり絶対しないんだねえ」


 からかうように笑った賈詡かくに李典がムッ、としたようだ。


「仕方ないでしょうが! 最初の方断ってたけど、こいついくら断ってもへこたれないし、なんなら俺はこんなに断ってんのに俺がなんか頼み事すると『構いませんよ!』とか笑顔で絶対断ったりしないんだもんよ! どんだけいいヤツなんだおめーは! いい加減にしろ! なんか冷たく断りにくいだろ!」


「いででで……いや、本当に断る必要がないから断らなかっただけですから! 気にしないでください李典殿」


 首を絞められながら楽進がくしんが笑っている。


「あんたら見てると和むねえ。是非とも楽しい朝食に混ぜてもらいたいもんだが、ちょっと今日は午前中予定があってな。もう部屋で済ませて来たんだよ。

 ってなわけでまた今度誘ってくれ」


「お客人ですか?」

「いや。これから修練場に行く」

「修練場?」

 修練場に入り浸っている楽進が目を瞬かせた。

 賈詡が部隊調練以外に修練場にいるのは非常に珍しいからだ。


「どうか……しましたか?

 なにかお手伝いすることがありますか?」


「楽進お前先輩に朝飯を食わせないつもりか?」


 この期に及んでまだ他人のお手伝いをしようとした楽進の首を、再び李典が締めにかかる。


「これはご丁寧にありがとう。だが先生方の手を借りるようなことじゃない。

 司馬しばの大将から自分の副官に、涼州りょうしゅうの武芸を出発まで叩き込んでくれと頼まれてるんだ」

「えっ」

「犬が飼い主に名前呼ばれたみたいな反応するんじゃないよ」

 ひょこ、と顔をあげて思わず嬉しそうな声を出した楽進を、いよいよ李典が注意した。


「そ、そうなんですか? ……賈詡かく殿、実は私も、以前から貴方の武芸は独特だと思っていて、チラチラこっそり見ながら真似してみたりしていたのですが、やはりそう上手くいかず……いつか機会があれば極意など教えていただきたいと密かに思っていたのですが……」


「おやそうなの? 俺のこんな武芸、涼州産の人間なら誰だって知ってる程度のもんだよ? 別に極意も何もないから、言ってくれりゃ時間のある時教えてやったのに」


「ほんとうですか⁉ では、その副官殿に教えている傍らでいいですから、一緒に修練を見せていただいても構いませんか?」


「構わんよ。そんくらい」


「ありがとうございます! これから授業ですか?」


「いんや。今日は顔合わせと軽い説明だけ。会ったこともないのよ」

「では、私も一言その方にご挨拶させていただきます」


 楽進があとをついてきた。


文謙ぶんけんおまえな~~~~

 そんなに武芸ばっか磨いてどうすんのよ!

 ちょっとは楽やら書やら舞やら遊びやらとかにも興味示しなさいよ! 

 あと朝餉にも!」


「すみません、李典りてん殿、お腹空いていらっしゃったらどうぞ先に朝餉の方召し上がっててください! 挨拶が済み次第私もいきますので……」


「あのねえ、お前がいるから食堂の方も朝から修練して楽進さんお腹空いてるのね♡ 少年みたい♡ かわいいわ♡ みたいな目で見てきてくれんだよ! 俺がこんな時間に一人で朝餉を食堂で食べてたらなんか悩み事でもあるのかなあの方大丈夫かしら……って方々から心配されるわ!」


「李典殿も付き合いのいい優しいひとだねえ」


 賈詡が笑っている。


司馬懿しばい殿の副官の方に会うのは初めてです! さぞかし優秀な方なんでしょうね」

「まあ間抜けは好かんからなあの御仁は」

「確かに司馬懿殿の副官って見たことないな。まあ伝令役とか補佐的な人は見たことあるけど……いつも顔触れ違うよな?」

「あの人の今まで働いてきた環境複雑だからな。曹操そうそう殿に長い間睨まれて来て、あんま誰も補佐に入りたがらなかった。というより司馬懿殿も分不相応な軽い仕事しか任されてなかったから、なんていうかまあ、本人も補佐役とかいらなかったんだろうね」


「すごいですね……私が曹操殿に疎まれたりしたら、生きていける自信がありません……」


「いや。お前みたいなのは絶対嫌われたりしないから余計なこと考えなくていいよ」


 李典りてんが呆れている。


「まあ実は俺もどんな副官なんだろうって若干緊張してる。仲達ちゅうたつ殿に似て怖いひとだったらイヤだなあ」

「へぇ、賈詡かく殿に緊張とかいう感覚あるんすね」

「李典君きみは面白い男だがたまにすっごい失礼なこと言うね。こう見えて繊細なんだよ俺は」

「賈詡先輩が繊細だったらこの世の九割の人繊細だと思いますけど」

「誰が面の皮が厚い奴だって? 李典君きみ暴言も大概にしないと……おや?」


 修練場につくと、そこには青い深衣しんいを着た青年が一人立っていて、すぐにやって来た三人に気付いた。丁寧に深く一礼する。


「あれ? なんか……司馬懿しばい殿の副官が来るって聞いたけど、急用でも出来たかな?」


 賈詡が歩いていくと、顔を上げた陸議りくぎは数度目を瞬かせてから、もう一度丁寧な拱手を見せた。


「私が司馬懿殿の副官として、今回の涼州りょうしゅう遠征に同行する陸伯言りくはくげんと申します。

 賈詡将軍、どうぞよろしくお願いいたします。

 楽進がくしん将軍、李典りてん将軍もどうぞお見知り置きを。よろしくお願いします」


「お、おお……こちらこそ……どうも……」


「あっ、はい! 私は楽文謙がくぶんけんと申します。よろしくお願いします!」


「っていうか、よく俺達のことも分かったね……」


「許都に来てから修練場での調練の様子は見せていただいていたので」


「そうだったんですか。全然気づかなかったな」


「あの……ほんとにあなた司馬懿殿の副官さん?」


 賈詡が思わず陸議の全身を見て、確認してしまった。


「あの……。………………はい……」


「あ、そう……うーんとそうか……ちょっと待ってね? 今、仲達ちゅうたつ殿の副官殿ならさぞや不遜な態度で来るに違いないって防御を固めて朝食までしっかり食べてきたもんだから急に満腹感が襲って来て……李典りてん君、俺の動揺が収まるまで君の巧みな話術で場をつないでもらってもいいかな?」


「俺がですか⁉ ちょっとそれは……えーっと、そうだな、ええっと……副官殿は若そうにお見受けしますが、何歳でいらっしゃるのかな?」


「歳……、あ、はい……二十歳になります」


「おお……なんの裏切りもなく若いな……『こう見えて』みたいなのをちょっと期待したんだが……」


「ちょっと君の持ち玉年齢聞くことだけ⁉ 頼りにならない後輩代表だな李典君! おまえそんなんじゃ立派な軍師には絶対なれないよ⁉」


「いや俺別に軍師志望じゃないからいいんですけどね……」


「私のほうが年上だ。なんだか嬉しいです。私は二十三です。では、伯言はくげん殿とお呼びしてもいいですか?」


「はい、構いません」


「陸っていうことは出身は南の方ですか? 確か呉に多い姓でしたよね」

「なんか年下だと判明して楽進が安心したのか、珍しく流暢に喋り始めたからそのままにしておきますわ」


「はい……。元々は盧江ろこうのあたりに……」


「盧江か。盧江っていや昔は寿春じゅしゅん袁術えんじゅつがいた。

 ヤツがいた時はあのあたり酷い有様だったって聞いたことあるよ」


「ありゃ救いようのない馬鹿だったからな」


「そうなんですか……袁紹えんしょう従兄弟いとこだったんですよね?」

「まあ名族を鼻にかけるとこは似てたわな」

「袁術にもっと人徳があったらな。あいつは一時期孫伯符そんはくふを配下に従えてた。

 あまりに馬鹿で孫策そんさくに見限られたが、あいつに器量があったら江東平定こうとうへいていはもっと別の形で行われていたかもしれん」


 賈詡が言うと、李典も腕を組んだ。


「袁術が孫策と江東平定を達成していたら今と情勢変わっていたでしょうか?」


「その可能性大だな。元々孫策の父親である孫堅そんけんは漢王室に対しての忠義で知られた。

 袁術が物事の本質の分かるやつだったら、実のところ共闘は出來たんだよ。

 あとは従兄の袁紹と手を組めたら官渡かんとで曹魏は挟撃されたか、出兵中にどこかしらの城都としを取られてただろうな」


「袁紹と袁術が、うちの夏侯従兄弟かこうきょうだい荀彧じゅんいく荀攸じゅんゆうほどお互いを理解し信頼しあう間柄だったら、曹操そうそう殿もなかなかまずかったな」


 賈詡が笑っている。


「おっと。余計な話題で盛り上がってしまった。

 悪いね」


 陸議は首を振る。


司馬懿しばい殿からはあんたのことを『容赦なく涼州りょうしゅう武芸を叩き込んでほしい』っていわれてるんだが、本当にそれで構わないんだね?

 そういう部分俺は厳しくやるよ」


「修練場で各部隊の調練を見ていた時、賈詡将軍だけ身のこなしが少し変わっていらっしゃいました。不思議に思ってお尋ねした所、司馬懿殿から『あれは涼州騎馬隊と戦うための間合いだ』と聞き、今回の従軍では確実に必要になると思いました。

 それで司馬懿殿が賈詡かく殿にお願いしてくださって……」


「おや。君の志願だったのか? 俺はてっきり加虐趣味の上官に命じられて、仕方なく君が送り込まれてきたのかと」


「加ぎゃ……、いえ、違います。

 司馬懿殿は曹丕そうひ殿下の信任を受ける大切な方。

 あの方の周囲には私以上の手練れが存在します。それでも今回の涼州遠征に私を伴って下さると決めていただきました。

 私はせめて……、司馬懿殿だけは必ずお守りして許都きょとに帰還させなければ。

 そのためにぜひ、涼州騎馬隊のことを賈詡殿に教えていただきたく思ったのです。

 どうか何の遠慮もなく、お教えください」


「そうか。それを聞いてこっちも少し安心したよ。

 無理矢理習ってこいなんて送り出された人間は上達が遅いのは道理だ。

 自発的に学びに来てくれたのなら非常に助かる。

 なあ、楽進がくしん殿」


 楽進は微笑む。


「はい! 私も以前から賈詡かく殿の武芸は一度御教授願いたいと思っていたのです。

 この機会に私もお二人の調練に付き合わせていただくことになりました。

 私は涼州遠征に伴われるかはまだ決まってないのですが、しょくにはすでに涼州騎馬隊の一部が合流したと聞いています。

 蜀と今後戦う時に、涼州武芸を知っておくことは守りになるかと。

 賈詡殿、伯言はくげん殿、どうぞよろしくお願いします」


 頭を下げられ、慌てて陸議りくぎも深く一礼した。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」




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