第2話



「全然思い描いてたのと違いましたね……」



 修練場で挨拶と、軽い涼州の武芸などの説明をして、じゃあ明日またここでと陸議りくぎと別れて、三人は複雑な心境になりながら一般兵は入れない奥庭の方へと歩いてきた。


「私もです。もっと……いえ、なにかを想像していたわけではないのですが。

 優しそうな方でしたね」


「いや優しいっていうか、あれ本当に戦場に連れて行っていい副官か? 戦えるのかな?」


「剣の腕は確かだと仲達殿は言ってたよ。あの人はそういうところ、嘘つく人じゃない。まあ嘘ついたって一発でバレることだから意味ないしな。だから戦えるんだろうが……」


「細かったねえ。なんか顔色も白かったし……ちゃんとご飯食べてるのかなあ」


「本当ですね、しまった。朝ご飯どうせなら一緒にどうか聞けばよかったです」

「まあ朝ご飯は明日にでも誘えばいいとして……これはちょっと色々心配事が増えて来たな~」


 賈詡かくがわしわしと癖のある髪を掻き混ぜる。


「心配事他にもあるんですか?」


「まだ連れてく二軍決まってないし。遠征早まったから優先的に好きなの連れて行っていいよとは言ってもらってんだが、選び放題なのが逆に難しい……」


「選び放題は確かに楽しそうですね」


「こ、今回の決め手はなんでしょうか⁉」


 いかにも出陣したいとうずうずしながらも、楽進が尋ねてくる。


「早さだなー。

 涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいは速い。こっちが遅くちゃ話にならん」


「早さ、ですか!」


「よしよし楽進がくしん心配するな。お前の部隊はまあまあ早い方だから希望はまだあるぞ」


「あとは……そうだ徐庶じょしょにも会わんと……ここ一週間くらい忙しすぎて、あいつほったらかしにしてしまった。何にも言ってこないけど今頃激怒してたらどうしよう。

 おまえら、徐元直じょげんちょくどういう奴か知らない? っていうか友達の奴いない?」


「誰ですかそれ?」


 李典りてんが首を捻っている。

 楽進も頭の上に「?」が乗っていたので賈詡は早々に諦める。


「そうなんだよな……誰も徐庶じょしょのことを知らないんだよな」


「徐庶って新しい武将ですか?」

「んー。武将っていうか軍師だね」

「そんな人いました?」

「信じがたいかもしれんが随分前からいるんだこれが」

「その人を連れて行くんですか?」

「うんそう。これは司馬しばの大将からの御命令だから俺に断る権限全くないの」


「何故その方を司馬懿殿が推薦されたんでしょうか? お知り合いなのでしょうか?」

「いや。使えるかどうかを確かめたいって言ってたからあんまり知らないんだろう」


「使えるかどうかもまだ分からない軍師なのに涼州遠征連れて行くんですか? だったら楽進がくしん連れて行ってやってくださいよ。見て下さいこいつのこの散歩に連れて行って欲しい犬みたいな真摯な眼差しを」


「うーん。一応確認の為に聞いとくけど君ら涼州にお出掛けしたいかな?」


「これから冬ですね。俺は寒いのあまり得意じゃないんですよねー」

「も、勿論呼んでいただけるなら喜んで!」


 楽進と李典は対照的な反応を示した。

「うんそうか。まあ考えとく。しかしあの副官君の能力も未知数だし……これはいよいよ本当に郭嘉かくか大先生に御出馬願うしかないかな?」


「えっ! 郭嘉さん来るんですか⁉」


 その名を聞いた途端今日一の食い付きを李典が見せた。


「まあまだ正式決定じゃないけどね」


「ホントですか⁉ 俺、あの人の軍略尊敬してるんだよな~! 憧れてるんすよ! 一度でいいからあの人の許で戦ってみたいってずっと思ってて……いや郭嘉さんが出陣されるなら俺も行きますわ!」


「……李典りてん君、きみは本当に正直な男だな……というか俺だけが総指揮だと思ってた時寒いから涼州なんか行きたくねえとかはっきり言ったよなおまえ。

 言っとくけど俺は郭嘉かくか大先生のように余裕な大人じゃないよ?

 おまえのそういう発言一言も見逃さず覚えていて大人げなく仕返ししていくからな。

 よく覚とけ」


「郭嘉さんがいれば何もかも大丈夫ですよ! 良かったですね! 賈詡かく先輩!」

「お前の一言一言が俺を確実に今怒らせてるからな」


 李典と賈詡のやりとりに楽進が声を出して笑っている。


「あっ、噂をすれば」


 楽進が立ち止まった。

 見遣ると、奥庭の反対側に建つ宮殿の上階の回廊に遠目でも分かる、郭嘉の姿があった。

 あのあたりは彼の居住区なので、よく王宮勤めの侍女などがギリギリ入れる西の回廊から郭嘉様のお姿を拝見出来ないだろうかと用もなく見に来てるのを目撃することがある。


「でも……郭嘉殿が快癒されて本当に良かったです……。

 危篤状態になられたと聞いた時は本当に心配しました」


 楽進が言うと、わしわしと李典がその頭を掻き混ぜた。


「でも快癒しただろ? あの人は天に愛されてる人なんだよ」

「そうですね!」


 楽進も、回廊の柱にもたれかかってどこか別の方を見ている郭嘉を眺めながら嬉しそうに頷く。


「なんだってあの人はああいう平服でだらけてても絵になるんだろうね?

 俺があんな平服であんなところでもたれかかってたらただの起き抜けに部屋から出て来た眠そうなおじさんでしかないよ?」


 賈詡の言い様に李典が吹き出す。


 と、その時だった。


 丁度そろそろ行こうかと三人が歩き出そうとした時、視界の中の郭嘉かくかが呼ばれたように振り返るのが見えた。

 すぐに部屋の方から回廊に淡い髪の女が現れて、郭嘉の方に駆け寄って行った。

 全くここからでは声も表情も分からなかったが、明らかに女が郭嘉に対して詰め寄って、何かを強く訴えているようだった。


「おや。郭嘉殿が女で揉めるなんてこりゃ珍しい。あのひと女遊び激しいけど、驚くほど軍略のようにそういうとこはそつなくやるのに」


「軍師さんってやっぱ女性の扱いも上手いんでしょうか?」

「今現在独身の俺に対するイヤミかなんかか李典りてん。それともでっかい独り言か?」

「どっちかというと後者の方です」

「ならいい」

「……喧嘩ですか?」

 楽進がどうしたらいいのかという感じで、心配そうに見ている。


「まあ、大丈夫だろうさ。あの人のことだ。最終的には上手くまとめる。

 羨ましいねえ。俺もあんな美女に泣きながら『まだ行かないで』なんて一度でいいから引き留めてもらいたいもんだ」


 女が泣いてる様子で、郭嘉の胸に顔を埋めるのが見えた。

 郭嘉は数秒女を見下ろしたが、ゆっくりと女の身体に腕を回す。

 抱き合う二人はそこから見上げると、まるで違う世界の人間のように思えた。


 促すように歩き出し、二人は部屋の中に消えていった。


「お熱いねえ。今あのひと涼州なんかに連れて行ったら許都きょとの美女たちに俺すっごい恨まれそうだな。折角許都に郭嘉様が戻って来て下さったのに! って」


「アハハ確かに。色々考えなくちゃいけなくて大変ですね軍師さんは……」



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