第2話:ナルシストな花屋と白のリンドヴルム
「やあやあカナミ。君の今日もまあるい頬はまるで熟れた桃のようだね? ああ、美しい僕からの甘い香りがする言葉だからって、それ以上頬を染めないでくれ。今にも食べてしまいそうだ」
美しい色とりどりの花、芳しくて夢心地になる花、いつかは枯れてしまう儚いその花々。ここはフレアニア国の中央街。美しく見えるようにと計算しつくされた店にぎちぎちに詰まっている花の軍団。その中で人間もドラゴンも見とれてしまう一味違った美しさを放っている……と一人思っている「花屋:モエア」の若店長アズト。大袈裟な身振り手振りで、受付に飾る花を買いに来たドラゴンシッターのカナミを褒める。しかし、アズトには一体何が見えているのだろう。先程まで確かに桃のようにほんわりとしたカナミの頬だったが、アズトの過剰な褒め言葉で段々と血の気が引いていっていた。
「じゃ、じゃあアズトさん、これでお会計で」
カナミは落ち着いた紫色のアジサイを二束指した。アズトは頷いて、選ばれたアジサイを丁寧にラッピングする。
「ありがとう。六百リルだ」
「あれ、値下げしたんですか? 前はこれで七百リルしていたような」
「それが聞いてくれよカナミ。僕の輝かしすぎる美貌のせいで、引け目があるのか皆がなかなか店に来てくれなくなってしまったんだ。ああ、美男なのも考え物さ。まあどんな花にも負けない可憐な僕だから仕方ないかもしれないけれど、これでは商売あがったりだからね、少し値段を下げたんだ。花は美しいうちに味わうものだから、むやみに枯らしたくはない」
アズトの言葉には、花への真っ直ぐな情熱や信念が見え隠れするのだが、大仰で長々しい台詞のせいでその考えも台無しだ。少なくともカナミには彼の考えが理解できる分、苦笑いしか浮かべられなかった。
カナミは一息ついてから笑みを浮かべ直し店を後にする。彼女に深々とお辞儀をした後、誰にも知られないようため息をつくアズト。
もう夕暮れなのに、今日店に来て花を買っていってくれた客は八人。昨日は五人だったから今日はマシな日だが、値下げした分売り上げも少なくなったし、とにかく前店長からアズトの代に変わって少し経っただけなのに、段々客足は遠のき始めていた。
アズトが自身の美貌に大層な自信を持っている事は周知の事実であり、彼の性根は悪くないとも知られていた。そしてアズトが丹精込めて育てた花は、紛れもなく前店長の技を受け継いだ素晴らしい花だった。であるからして、客足が遠のき始めている原因としては、彼が経営者としてまだまだ未熟な面だろうと誰しもが言うはずだ。
もうすぐ空はデルフィニウムの色のように、青暗く染まってしまうだろう。それなのにアズトは朝食を食べたっきり昼食も夕食も取っていない。
「それでも、やめないけどね」
花から抽出した染料で綺麗に染めている、濃い紫色の短髪をかきあげくすりと笑うアズト。男性にしては少し長めの睫毛が咲いている切れ長の目元には、心労の印に薄くくまが溜まっている。しかし、彼は花屋を経営することはやめられない。花屋で働く事が、アズトにとって何より幸せなのだ……。
「おや?」
それでも食事をしなくては身体が持たない。遅めの夕食を作って食べようと店を閉めていると、カナミが買っていったアジサイが売り切れているの知るアズト。モエアでのアジサイは、東の国から途中まで育ったものを仕入れ、モエアで最後まで面倒を見てから売っている。やや西寄りのフレアニア国では手に入らないそのアジサイは、フレアニア国と隣国の境目にある仕入れ屋兼宿屋でいつも仕入れていた。アジサイは初夏から梅雨に変わる時期の花としてフレアニア国でも流行り始めたし、比較的売れ筋なので切らすわけにはいかない。
「仕方ないな、夕食は軽めに済ませて今から仕入れ屋に向かって、そのまま泊まるとしよう。待っていろよ、まだ見ぬ新しく美しきアジサイたち!」
そう高らかに笑いながら、残り少なかった一切れのパンに、イチゴジャムをつけたものだけを夕食としたアズト。その奇妙な笑い声を、隣人たちは呆れ気味にくすりと笑ったりした。
アズトはドラゴンと一緒に生活していない。理由は、しばらくは花屋として知識や活動範囲を広げたいという気持ちと、単に彼がそこまでドラゴンに興味がないからだった。
アズトの家庭は至って普通で、今でも両親はドラゴンと生活しているだろうが、彼は家を出てからプライベートでドラゴンと触れ合った事はほぼない。彼にとってドラゴンよりも、咲いて散るだけなのに様々な個性があり美しい花に、幼い頃から限りなく魅せられていたからだ。花より僕を映し出してくれる無垢な鏡はない。その言葉は青年となったアズトの口癖だった。
アズトが向かう仕入れ屋には、途中まで竜車を使って進み、そこから一つの森を抜けて辿り着く。アズトがいつものように竜車を利用しようと、フレアニア国の東出口にいたグリーンドラゴンライダーに声をかけ、道順を教える。
「あんた、やめといた方が良いぜ。多分夜にあの森に行った事がないんだろ。あの森は『鐘荒ぶ竜の森』で、夜にしか出てこない伝説のドラゴンが出てくるってのが通説だ」
「どうせ伝説だろう? 出てくるはずなんてない」
「昔の野郎どもが言い残した事は素直に聞いとけ。……それにあんた、顔色が悪いぞ。休んでないんじゃないか?」
「いいから出してくれ。その森のつい手前で降ろしてくれたらなんでもいい」
「じゃあ、まあとりあえず、俺の晩飯を分けてやるよ。あんたほぼなんにも食べてないだろ」
「ありがとう、すまないな」
髭をたくわえた無骨な顔をしたライダーは、見かけによらずとても人情に厚く、アズトは少々弱々しく感謝を伝えた。やがてドラゴンは出発する。アズトはグリーンドラゴンの凹凸のある背中に乗って、ゴトゴトと揺られながらライダーの弁当を分けてもらったのだった。
やがて「鐘荒ぶ竜の森」の前に辿り着く。ライダーは、ちょっとでも危ないと思ったらすぐに引き返せと、アズトに念を押して帰っていった。アズトはその言葉を胸に、いつも世話になっている仕入れ屋に渡すために、えんじ色のガーベラの花束を大切に持って、彼は森へと進んでいく。
ライダーはああ言っていたが、この森を含めて国の境目は、石畳こそ敷かれていないがそれなりに整備されている。アズトがこのルートを進んでも、今まで獰猛な獣が出てくることはなかった。それは夜もそうそう変わらない。
そのはずだった。
「おや。こんな時間に人間がいるだなんて珍しい」
「ド、ドラゴン? ライダーの言っていたことは本当だったのか……」
深い緑の茂みから、ぱきぱきと小枝を踏み折る音と、チリリンと甲高くも耳障りのいい鈴の音を立てて生き物が現れる。しかしその正体はただの獣などではなく、鈴の首輪をつけた、喋る白色のドラゴンだった。
「随分と見てくれがこぎれいな人間だね。こんな森の中を通ってどこに行くんだい?」
そのドラゴンは、黄色の瞳がバラのように朗らかでまろやかな印象だった。だが非常にずんぐりとした体型で、口元はお世辞にもシュッとしていない。それに縦にも横にも大きく、角もねじれにねじれて、昨今のドラゴンと比べてもあまりスマートなドラゴンではなかった。
「うーん……そういう君は随分と変わったドラゴンだね」
「そうかい?」
「あまり僕の好みじゃないなあ」
「ふーん。あなたはどんなドラゴンが好みなんだい?」
「まあ、強いて言うなら、僕はどこまでも美しいドラゴンが好みかな。美しさってもっとこう、曲線を丁寧にえがいたような感じがあるだろ? それに、花のように儚げで優雅な感じ。君は瞳が綺麗だから、そのシルエットはちょっと惜しいなあ」
「はは。確かに、最近ちょっと太ったからね」
普通の人間なら、喋るドラゴンと出会ったのなら瞬時に危険を感じ引き返すはず。だが食事を分けてもらってちょっと元気を取り戻したアズトは、いつものようにベラベラと好みを語り始める。ドラゴンだって、初対面の生き物に突然自身の見た目にああだこうだ言われるものなら怒ってもよさそうなものだが、興味深そうにアズトの、言ってしまえば演説に付き合っていた。まるでずっと話し相手を探していたように。
しばらくして、ドラゴンが一度思案するそぶりを見せてから、こんな事を言いだした。
「さっきから見た目の話ばかりだけれども、あなたは見た感じの美しさにしか目がいかないのかい?」
「えっ!」
ぎょっとしたアズトの目が大きく開く。その様子を見たドラゴンはふふっと笑う。その笑い方には気品があり、理知的な口調も相まって、ドラゴンの内面の美しさが表れていた。
「そんなに観察することが得意ならば、せっかくだし心の美しさをじっと見てみるといいかもしれないよ? あなたはそれを楽しくやれそうだ」
「そ、そうかなぁ」
自身の未熟さの核心を突かれ、あまり興味のない提案をされて首を傾げるアズト。
「ああ、そうとも。あなたの審美眼や、類い稀なる自信はあなたの強みだ。だけど、突っ走ってばかりでは疲れてしまうだろう。気を落ち着けて、自他の心にも耳を、目を傾けてみなさい。せっかくあなたは美しいのだから」
「……!」
ドラゴンは優しく、それでも力強く、アズトの顔を真っ向から見てそう言った。アズトとドラゴンの間に、さらぁっと風が駆け抜けていった。
するとアズトは顔を伏せて押し黙ってしまう。長いことそのままでいるものだから、不思議そうにドラゴンが彼の顔を覗き込むと、愛を伝えるにふさわしいとされる赤いバラのように、アズトの顔は真っ赤っかになっていた。口元はひくひくと痙攣している。
「……照れているのかい?」
「ままままままさかあ!? いやいやいやありがとう、僕はどんな花にも負けないぐらい美しいけれど、そうそう真正面から美しいと言われた事がほぼなくてね!? あっはっは、皆照れ屋だったんだろうけどもね! 君は少々ずんぐりしているけれど、そう素直に言ってくれる心はすらりと柔軟で美しいものだね!」
「!」
「あ、いや、そそその……あ、改めてありがとう! すごく元気をもらったよ、少ないけどお礼だ、受け取ってくれ!」
そうまくしたて、アズトは花束から一本だけガーベラを抜き取り、ドラゴンに差し出した。その花束の中で、一番形が良くて瑞々しい素敵なガーベラだった。
「じゃあ! ぼくはこれで! もう店が閉まってしまうからね!!」
ダッシュでドラゴンの横を駆け抜け、その場を後にするアズト。ドラゴンは少しの間ぼうっとしていたが、やがて尻尾の先で贈り物のガーベラを握り、ふふっと笑ってから茂みへと消えていった。チリリンと、夜風に吹かれた鈴も楽しそうに鳴った。
とりあえず宿の宿泊には間に合ったアズトだったが、いよいよ今までの無理が祟ったようだ。ベッドに倒れ込むと深く深く眠ってしまい、時間が経ち朝ご飯の時間だとおかみさんに叩き起こされなくてはならないほどだった。
完璧なまでの快晴のお陰で、今日のおかみさんの気分はすこぶる良いようだ。焼き立てぽかぽかの厚切りパンに、カリカリのベーコンと両目玉焼きが乗っていて、とうもろこしのポタージュは熱々でとろとろだし、サラダの野菜はとてつもないぐらい新鮮……。いつもよりも豪華で丁寧で、とても美味しい朝ご飯を差し出された。パンとポタージュのおかわり自由はいつものことで、これで一泊三千リルだ。フレアニア国の郊外でも宿泊には五千リルはくだらないのに、とんでもない値段設定。だのに、今日は他に一人も宿泊者がおらず、いつもよりアズトはぐっすりと眠れ、疲れがかなり取れていた。
「アズト、あんたそりゃ『白竜リンドヴルム』じゃないの?」
「リンドヴルム……?」
食事を終え、オレンジジュースを差し出されたアズトは会話のネタに昨日会った喋るドラゴンの事をおかみさんに話す。訝しげな返答から、学校の歴史の授業で聞いたかもしれないぐらいの記憶が、アズトの中からだんだん引き出されていく。
伝説のドラゴン、リンドヴルム。彼らの性格は雄々しく凶暴で、特別炎が吐けたりするわけではないのだが、身体の筋肉が非常に発達している。そのポテンシャルとメンタルから、他のドラゴンや人間からトップクラスに恐れられていたとされるドラゴンだ。しかしリンドヴルムは身体がとても大きく翼を持たないため、大昔に起こった大規模な森火事が起きた際に逃げそびれ、絶滅したとされていた。
その中でも特別視されていたのが、白色のリンドヴルムだ。当時からとても珍しい個体とされ、その身体には幸運の欠片のようなものが詰め込まれており、見た者や触れた者に幸福が訪れるのだという逸話も残っている。
「あはは! そんなわけないわね、だって絶滅してるんだもの。だけどまあ、白竜リンドヴルムの首には鈴をつけた首輪がはめられてるって聞いたことあるけど、そんな野生のドラゴンいるわけないわね~!」
そう言って、既に空になったアズトと自身のコップを片付け、もう少し休んでから仕入れ屋に寄りな、と言い残すおかみさん。アズトはぽとぽとと寝室に戻り、ばさりと音を立ててベッドに倒れ込む。
(あ、あのドラゴンは、伝説のドラゴンだったのか……!)
あの時、他におかしなことをしていたら怪我をするでは済まなかったかもしれない。相手はドラゴンの中でもとびきり気性が荒い種族なのだから。ひとしきり驚き、動悸を通り過ぎさせた後、アズトはリンドヴルムの言葉を思い出した。
「せっかくあなたは美しいのだから」
白竜リンドヴルムが、自分に美しいとはっきり言ってくれた事。アズトはきっと一生忘れないだろう。あの言葉こそ、アズトにとって意図せず訪れた幸運だ。枕を抱きしめ、へへっと子供っぽく笑ったアズト。そしてしばらく余韻に浸ってから、アジサイの株を買いに行った。生花として売り物にするには未熟なはずのアジサイたちは、誰もが今まで見たことのないほど美しかった。まるで今のアズトのように。
一方、白竜リンドヴルム。彼女は寝床である洞窟から、目覚めが良さそうにスルスルと出てきた。そして入り口の傍に埋め直したガーベラを見て、とろりと微笑んだ。すると森からオオカミ、イノシシ、キツネ、小鳥たちがいつもより格段に機嫌のいい彼女を不思議そうに見つめてくる。
「ああ、皆さん、起きたんだね。おはよう。ああ、この花かい? ここでは見ない花だろう。とても綺麗だ、わたしもそう思うよ。……さぁ? 誰に貰ったかなんて、わたしが言うはずないだろう?」
リンドヴルムは、くははと冗談っぽく笑って、そのままガーベラと一緒に日向ぼっこをしたのだった。
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