第39話 薫ふがごとく 今盛りなり④

 二十四対十三。相手のマッチポイント。

 相手からすれば手を緩める筋合いなど全くない。


 控え選手が放つサーブ。もしかしたらもう出場機会が与えられないかもしれない。

 三年間の努力をこの一瞬に込める。そんな重い一発が空を裂く。

 コートの左側ギリギリを突くようなボールを、丹羽先輩が懸命に腕を伸ばしてレシーブする。

「ごめん、西藤さん……!」

 明らかにサーブの威力に押されていて、宙に舞うボールは弱弱しくて私の元へと届かない。


 でも、落ちたわけじゃない。

「だいじょうっ……ぶ!」

 半ば自分に言い聞かせるように。素早く駆けだしてなんとかボールの下に潜り込む。オーバーハンドトスを上げるには高さが足りず、アンダーハンド。レシーブの形で先輩にトスを上げた。

 やっとの思いで上げたそれはネットから遠い。先輩が打ったスパイクは攻撃というよりも、相手コートへ取りあえず返すというものだった。


 緩やかな軌道の攻撃は、当然容易く相手に拾われる。

 私たちとは違い、完璧な攻撃の流れ。

 相手セッターがセンターの選手に上げたトスは軌道の早い、速攻と呼ばれるトス。

 私も先輩もブロックに飛ぶのが追い付かない。

 終わる。

 そう思った矢先、青い影が一つだけ飛び上がる。


「っ……どりゃ!」


 同じくネット際の中央に位置する夏帆だけが、持ち前の反射神経だけで跳びついていた。

 両腕が開いた不格好なブロック。


 それでも意地か偶然か、夏帆の右手が相手のスパイクを捉える。

 相手コートへはじき返すことは叶わずとも、確かにボールの勢いを殺すことに成功していた。

 それでもまだ強い。ブロックにぶつかったことで予測不能に軌道を変えたボールは柴田先輩の正面へ。


「やばっ……!」


 背の高い柴田先輩は低い位置でのレシーブを苦手としている。力が入り過ぎたのか、上がったボールの軌道は綺麗な山なりだけど、ギリギリネットを越えて相手コートにまで届いてしまいそうだ。

 トスを上げるには私も全力で飛んで、難しい姿勢で試みなければならない。

 姿勢を崩してネットに身体がぶつかれば反則で失点。それに、空中で上げるトスは不安定になる。

 このまま見送るべきか、それとも……。


「後輩!」


 逡巡する私の耳に鋭く届くのは、この一か月で慣れ親しんだ声。

 もう呼ばれないと思っていた、その変な呼称。


 凛とした声が頭の中で反響する。その意味合いを理解するのに一瞬の間が必要だった。

 先輩が、私を呼んでいる。


 それならばと、両足とお腹にありったけの力を込めてジャンプする。

 もしかしたら無理をせず相手コートに一旦ボールを渡せという意味なのかもしれない。


 けれど、確かにトスを待っているという自信があった。

 浮遊感を制御して、両手でボールを捉える。

 あなたが私に求めるものをもう間違えない。

 私がこの一カ月弱の高校生活で取り組んできたことと言えば、あなたの元にボールをパスすることだけ。それを今やらずしてどうするというのだ。

 すぐ脇にはネットもある。頭上には天井が広がっている。

 距離感を測るのは、外よりもずっと簡単じゃないか。


「せん、ぱい!」


 息を止めながら叫び、トスを放つ。

 真っ直ぐに先輩の元へとボールが伸びていく。

 三歩。十分な助走距離を確保した先輩が跳ぶ。

 重力を感じさせないように、軽やかに。後ろで一つ結びにした髪もふわりと舞う。長身も相まって打点はかなり高い。

 白く長い腕を鞭のようにしならせて、叩きつける。

 相手のブロックは二人分。

 その間に空いた僅かな隙間を縫って、勢いよく相手コートを進む。

 守備専門の選手が、飛び込みながら伸ばした腕はボールを遥か後方に弾く。

 誰も追いつけないまま、ボールは床に落ちた。


 二十四対十四。笛の音と共に得点版が捲られる。

 私たちがボールを繋いで掴み取った得点。その証拠。

 まだ実感がなく、静かなままのコート内。

 誰よりも先に先輩の元へと歩み寄った。正面に立つ。昨日は顔さえ見てもらえなかった。

 今度は、どこにも逃げてしまわないように。


「ナイス、です」


 ぎこちなく右手を頭の高さに掲げる。

 応じてくれるだろうかなんて不安を存分に抱えながら。お腹の辺りを冷たい汗が一筋伝う。

 肩で息をする先輩の険しい顔が緩む。その表情を、随分と久しぶりに感じた。


「後輩も、ナイストス」


 困ったように笑顔を作りながら私の右手を叩く。

 衝撃でじんと痺れる掌。心まで震える。生きている気がする。

 軽快に鳴り響くハイタッチは、二人の間に蔓延る物を打ち払うようで。

 そう思ったのは私だけじゃないといいなと、そう願った。

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