第34話 幕間⑦

「一昨年に自殺した明智桜華さんって、君のお姉さんだったりする?」

 半信半疑で口にした疑問が確信に変わる。

 まだ肯定を発言や仕草で示していなくても、常に貼り付いたクールな澄まし顔が仇となる。


 目が泳ぎ、頬が引きつる。普段は見せない些細な動揺が何よりの肯定だ。

 自分の環境が安定して、謎めいた後輩に興味を持った。

 とはいっても探偵みたく嗅ぎ回るだけじゃない。

 友達にそれとなく頼んで後輩の出身中学とか、どんな子だったのかが聞ければそれで良かった。

 ただ、一つとして得られる情報はなく。

 それが探求心を刺激した。情報という水を掛けてそれで終わる筈だった小火が私の中で燃え広がっていく。


 しかし所詮は一回の女子高生。人を調べるのに使える手段など限られている。

 友人伝いが駄目なら、スマートフォン。文明の利器は杜撰な私の情報収集を優秀にサポートしてくれる。

 善悪を問わず、淡々と。

 そしてその文字通り機械的な手段は、後輩に関係があると思しき秘密をあっさりと暴いてしまった。

 後輩の苗字が比較的珍しいのもあったかもしれない。

 戦国武将やら架空の名探偵やらで検索結果が埋もれる中に、一件のニュースが紛れ込んでいた。


「そういえば一瞬だけこっちでも報道されていたかもしれない」


 今から一年と少し前。後輩がまだ中学二年生の時になるか。

 ここから北上した他県で、中学一年生の女子生徒……明智桜華さんが行方不明になった。

 数日の内に河口にて水死体となって発見。自殺であり事件性はないと判断されて終結。

 マスコミ好みの事件でなければすぐに他のニュースに取って代わるのが世の常で、名前など一々覚えていない。


 けれど苗字と名前の構成からして、目の前の後輩に繋がるものがある。

 もしこの後輩にそれだけの重い過去があるのなら。


「凄く辛いことだよね」

 最後に先輩として、私の出来ること。

「後輩にはお世話になったし、話なら聞くよ。勿論、誰にも言わないし――」

「私が殺しました」

「え……?」


 言葉を失う。

 連綿と続いてきた空気と関係がたったの一言で途絶された気がした。

 後輩の吐露は当然ながら私の想定にないもので理解に苦しむ。


「私が妹を殺した……。そう言ったら、どうします?」

 淡々と告げる後輩は私を見ているようで見ていない。

 遠く、過去に向けられていた。


「どうって……そんな訳」

 この子は何を言っているんだろう。

 心を透かすような眼差しを敢えて正面から受ける。脇腹を冷たい汗が一筋なぞっていく。


 きっと私は試されているに違いない。事情はどうあれ、もし本当に殺しているなら少年院送りになるか保護観察となるか、少なくともこんな風にのうのうと生活はできないはずだ。

 いやしかし、こうして県外に越してきたのは後ろめたい事情があるからなのか?

 それになにより、普段の冷静沈着でそっけない態度や怜悧さを伴う表情が、この子ならもしかしたら……と、私のバイアスを増幅させていく。

 ありえないともしかしたらの間を針が往来する。


「どう思って貰ってもいいですよ。事実かどうか、直接的か間接的かとかは関係なく。地元では既にそういう扱いですから」

 先ほど一瞬走った動揺は消え去り、能面のような無表情がそこにある。

「ド田舎では真実も噂も憶測も、混在しながら即座に蔓延していくんです」

 こんなに流暢に長々と話す後輩を私は知らない。

「それでも直接非難する勇気なんて誰もない。陰でコソコソと。仲間外れにして、物を隠して、壊して」

 ただ、私の手に余るものであることは痛いほどに伝わる。頭皮に嫌な汗が滲む。

「上辺は気遣う振りをして裏では蔑むような、本音を隠す人ばかり。嫌気が差して逃げて来たんです」

 強く手を強く握りしめた後輩が絞り出したのは、いや、私が絞り出させてしまったのは悲痛だった。


「これでいいですか?」

「え?」

 独白が打ち切られ、会話の形式が取り戻される。跳ね返ってきたものが大きすぎて、何を問われているのかが分からない。


「私の過去を知って、満足ですか?」


 どれだけ頭の辞書を捲っても掛ける言葉は見つからない。

 何か力になれると思っていた。

 他者に交わることが出来ない者同士、何か似た境遇があるのかもしれないと親近感すら覚えていた。

 軽い気持ちで藪を突いて出てきたのは蛇どころの騒ぎじゃない。私の人生経験で掛ける慰めなど、侮辱にしかならないだろう。

 奢っていただけに過ぎないことが浮き彫りになる。


「少し仲が深まると、暴かれたくない過去も調べられてしまうんですね。勉強になりました」

 足から根が生えたかのように動けずのままの私へ、冷たい微笑を浮かべる。

 高校一年生には似つかわしくない色濃い諦念。

「あなたに話して癒されるつもりもない。他の誰かと仲を深めて幸せな学校生活を送るつもりもない」

 色白の手が私へ伸びる。その指先は震えているように見えた。


「一応姉への贖罪の気持ちだってありますので」

 私の指から部室の鍵が絡めとられる。金属の擦れる音が掌で踊る。

 握りしめて抵抗することも出来た。でも、私の身体も脳もそれを選ばない。

「だから私はここで一人で過ごします。先輩が居なくなった後も、ずっと」

 これが欲しかったから、先輩に近づいたんです――。形の良い唇が私の耳元で囁き声を紡いだ。


「先輩はどうぞ、ご学友とお幸せに」


 嫌味たっぷりの祝福。

 都合よく後輩を扱ってきたことは、当然彼女にも伝わっていたのだ。

 言い返す権利はない。

 受け止めるだけの気概もない。

 言葉は交わさず、部室に後輩を残して外へ出る。

 引き戸を閉めれば手に伝わる衝撃。緩やかに私と後輩とを繋げていた糸がぷつりと切れる感覚がした。

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