第32話 さえずりを こぼさじと抱く ⑤
「にわわん、先帰っちゃって。今日は私みづきちとデートする約束になっててさー」
帰り道。前触れなく柴田先輩に肩を組まれた。勢いでよろめきそうになるところを、しっかり抱えられる。
朗らかな宣言を受けた丹羽先輩は狐につままれたような顔をしていた。多分私も似たような顔をしている。
「西藤さん、本当に三年生に人気ねえ」
「そ、そんなんじゃないですって」
勿論私も初耳である。デートの約束をした覚えはない。
「二個上女子に対するフェロモンが凄いのだよこの子は」
「ないですよそんなの」
私の肩を覆う、大きく厚い手に軽く揺すられる。いらないし、その限定フェロモン。
「ふーん。それじゃ、にわわんは一人寂しく帰ります」
どこか訝しみつつも私たちへの浅い会釈を済ませ、バス停へと去っていく。歩く姿もどこかふわふわしているというか、育ちの良さが現れていた。
「明日は頑張ろうねー」と片手を拡声器のように口に当てる柴田先輩に対し、「全力で頑張りまーす」と振り向きもせずに返事を寄越す丹羽先輩。
さぞか細い全力になるのだろう。
薄雲の奥から弓張り月が淡い光を滲ませる。
車の走行音が度々通り過ぎていくだけの静けさの中、静けさとは縁のなさそうな相手と二人きり。
「一応聞くけど、みづきち門限とかある由緒正しい系女子?ほんのちょっとお話出来ればそれでいいんだけど」
肩からパッと手が離される。
「二十時とか回らなければ大丈夫……だと思います、事前に連絡しておけば」
多分。一週間前と同じ轍を踏まないようにしなければ。
目安の時間を伝えると、満足そうに柴田先輩が笑顔を作る。エネルギッシュな笑みは夏帆と似通うものがある。
「おっけーおっけー!それじゃあ行こうぜー」
三年生になると皆こうも強引になるのかな。
呆れつつも断らないのは、唐突な誘いの理由に凡そ推測が立っているからだ。
長身の影に隠れるように半歩後ろを歩く。
練習最終日は、少しばかり帰りが遅くなりそうだ。母から短く「了解」と送られてきたのを見て、安堵と今からどうなるんだろうと言う不安とが秤にかけられる。
どっちに比重が傾くかは、自分でも判別が難しい。
ものの数分で辿り着いたのはすぐ近くのコンビニだった。店舗は青と白のカラーリング。私は緑と青と白のとこが一番好きだ。スイーツが美味しい。
店内の半分はイートインスペースで、そこで待つようにと言い渡される。
「みづきち、何が飲みたい?」
「私は大丈夫です。お茶も持ってきてるので」
「な、に、が、の、み、た、い?」
一語一語の発声に合わせて頬をツンツンと指でついてくる。有無を言わせない迫力があった。
「……ミルクティーで」
「おっけー!ちょいと待っとれよ」
ご機嫌そうに販売スペースへと躍り出ていく柴田先輩に取り残され、カウンター席に腰かける。
駅の近くだけあって店内はそれなりに混み合っている。
席も仕事終わりと思しき男性や他の学生で殆ど埋められていて、すぐにでも埋まってしまいそうだ。隣の席を確保すべく鞄を置く。
後から来店した客に文句を言われるのが嫌で、飲み物を買ってきてもらうよりも早く戻ってきてくれる方がありがたい。
幸いにも杞憂に終わり、ミルクティーを二つ手にした柴田先輩が戻ってきた。
鞄をどかして、先輩が隣に座る。
歩道に面した目の前の窓は、透け防止のため下半分がすりガラスになっている。背の高い柴田先輩は頭頂部の辺りが上半分のフロートガラスに反射して写り込んでいた。
「ありがとうございます」
代金を先輩の前に置くと、テーブルの上でスライドするように差し返された。
「誘ったのは私なんだから。ちゃんと先輩させなさい」
「でも……」
「嫌なこと聞くかもしれないし」
口ごもる私をあっけらかんと跳ね除ける。
渋々硬貨を財布に仕舞う。チャリンと音を立て終えたところで、柴田先輩が口を開く。
「あけっちーと何かあった?」
やっぱりそうきたか。推測通りの問いかけ。
ストローでミルクティーを吸う。喉に絡むような甘さ。
「やっぱり分かっちゃいます?」
飲み込んで、自嘲する。
会話どころか目を合わすことも避けていた四日間。まるで子どもの喧嘩だ。
「まあねー。二人とも人前でイチャつくタイプじゃないのを差し引いても、明らかにぎくしゃくしてたし」
イチャつくって何だ。
大きく飛躍している表現を正そうとするよりも前に柴田先輩が続ける。
「あけっちーが同じ学年の中で一番関わりあったのは私だと思うし、みづきちは可愛い後輩だし。お節介うぜーって思うかもだけど」
柴田先輩がプラスチックの容器を揺らす。白茶色の表面に僅かな波が立つ。
「話くらいなら聞けるかなーって」
おっしゃる通りのお節介だ。
柴田先輩との付き合いは一週間にも満たない。心境を打ち明けるにはあまりにも心許ない関係性。
それでも私が誘いに乗ってここに来たのは、誰かにこのもやもやを聞いて欲しかったからで。
柴田先輩の言う通り、私と先輩両方とまともに関りがあるのはこの人しかいなくて。
そして底抜けに明るくて誰からも慕われるこの先輩に、私も少なからず好意を抱いているからだった。
もしフェロモンなるものが出ているのであれば、私なんかよりよほど強いと思う。
「最初は、先輩から練習に誘われたんです」
ぽつり、ぽつりと話し始める。
部活に誘われた時は渋々だった。言うことがコロコロ変わるし。
訳の分からない人だと思った。
友達が調べてくれた人物像を聞いても謎ばかりで。
実際に過ごすようになって、胡散臭さが増した。
「何考えてるか分からないし、言動は突拍子もないし」
確かに分からないよね。と柴田先輩が肩を揺らした。
でもちょっとずつ、先輩は私に心を許してくれている気がして。
年上なのに子どもっぽいところとか、可愛いなんて思ったりもして。
気付けば先輩のことをよく考えるようになったけど。
「正直先輩のことをどう思っているか、自分でも分からないんです」
これまで経験してきたどの人間関係にも当てはまらない。
好きなのか嫌いなのかも判然としない。
そんな人は初めてで、もしかしたら私にとっての特別な人なのかもしれないと思った。
もう少しだけ一緒にいて、確かめてみたいと思った。
「でも、やっとその矢先に振られちゃって」
数日前の出来事を伝える。
友達が調べてくれた先輩の情報。それを迂闊に口走ってしまって、それで――
「それからまともな会話もないんだ」
私の話を聞き終えた柴田先輩の横顔からはいつもの陽気さが不在になっている。
誰かがこのどうしようもない顛末を真剣に聞いてくれている。それだけで胸の辺りがスッと軽くなって、結局殆ど喋ってしまった。
「それはちょっと寂しいねえ」
大きな手が私の頭をぽんぽんと叩く。
茶化さず、過度に慰めるわけでもない。その温もりと優しさに、私の心に根付く意固地が払われていく。
声には出さず、首を縦に振った。
寂しい。
この空虚感を一言で表すなら、そうなるのだろう。
確かに寂しい。でも、それだけじゃない。
「話してくれてありがと。続きは帰りにね」
それから私がミルクティーを飲み終えるまで、急かすことなく待っていてくれた。
話し終えたばかりの私に、頭の中を整理する時間をくれたのだろう。
きっと普段から沢山の友達に囲まれているからこそ、こういう些細な気配りも上手なんだろうな。いや、その逆か。
今はその親切心に甘えて、噎せ返りそうになるような甘さをちびちびと味わった。
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