第30話 さえずりを こぼさじと抱く ③

 程よい疲労感と共に市民体育館を出る。

 街は濃紺の夕闇に覆われていた。点々と設置された街灯の光がよく映える。

 帰宅前にこの時間を迎えるのは部室で寝過ごした時以来だ。品行方正なバレー部はまだ日が高いうちに学校を後にするのが基本だったもので。


 私と同じ方面に帰るのは柴田先輩と、二年生の丹羽先輩だった。

 他の面々は駅の方に連れ立って歩いていき、私たちは最寄りのバス停までのたのたと進む。

 先輩だけが自転車に乗り、別れの挨拶をすることもなく去っていくのを遠目に見送った。


「あなたの方だっけ。明智先輩と二人で練習してたのは」

「えっ?」


 突然横から声を掛けられて、びくりと背筋が伸びる。遠ざかっていく先輩の背中に思考が吸い込まれていたのもあった。

 声の方向に顔を向ければ、丹羽先輩が私に話しかけてきていた。

 タレ目を細め、和やかな笑顔を湛えている。

 丹羽先輩は二年生の中では一番おっとりとしていて、上品なお嬢様然とした雰囲気がある。あくまでこの二時間強での印象に過ぎないけど。

 ちなみにさっきのじゃんけんでは負けており、試合出場メンバーでもある。可哀そうに。


「そーそー。隅に置けないよねぇ」

「え、え?」


 私が答えるより早く、丹羽先輩とで私を挟み込む様に並んできた柴田先輩が後に続く。私と丹羽先輩の背丈が殆ど変わらない分、列に突起が生まれる。

 左右から掛けられる言葉に顔が熱くなる。


「丹羽先輩も知ってたんですか。練習のこと」

「軽い噂になってたもの。女子バレー部が外で熱血してるって」

 なるべく人目につかないようになんて努めていたけれど、やっぱり無理があったか。恥ずかしい。

「熱血とは程遠いですけどね」

「知ってる」

 くすくすと笑っている。

「西藤さんの方から練習に誘ったの?」


 バス停に辿り着く。待機しているのは数名だけで、列を成すまでもない。

 いつも終礼後の帰宅ラッシュ時に並んでいる分解放感がある。


「いえ、せんぱ……明智先輩の方からですけど……」

 狭い待機用のベンチを先輩二人に譲り、立ったまま丹羽先輩の問いに答える。

 まぁ。と丹羽先輩は小振りな口元に手を当てる。


「私たち二年生とはまともに話さないのに」

「そうなんですか?」

「私ですら用事がないと話さないからね」

 会話に割り込む柴田先輩はニヤニヤとしていた。

「これは詳しく聞かなくちゃ」なんて、私を置いて二人で笑い合っている。

 ここはバス停。やっぱり歩いて帰りますというのも無理があるし、何よりそんな気力もない。


「さて、何から聞こうかしら」

 暗がりの中、丹羽先輩の目が怪しく光る。

 どうやら覚悟を決めるしかないようだ。せめて一刻も早くバスが来るようにと祈った。


「どうして西藤さんが誘われたの?」

「さぁ。私が聞きたいくらいです」

「あけっちーとはどんな話してんの?」

「そんなに話さないですよ。強いて言えば本の話とか、くだらない話とか」

「明智先輩くだらない話するんだ……」

「あけっちーも普通に女子高生してるんだねぇ」

「ね、先輩からはなんて呼ばれてるの?」

「後輩……ですかね」

「なんだそりゃ。やっぱ変わってるわあけっちー」

「誰彼構わずあだ名を付けるしばっちゃんも中々ですけどね」

「何だとう、にわわん!」

「そんな呼ばれ方、他の誰にもされたことないですもの」


 などと怒涛の質問攻めがしばらく続いた。時々私はそっちのけだったけど。

 道路の向こうからオレンジのヘッドランプを光らせてバスがやってくる。

 各々無駄話を止めて、定期券を鞄からいそいそと取り出し始める。

 某プリン犬の定期入れを手に取り、先に待機していた人たちの後ろに並んでいく。やっと終わったと安堵した。


「そういえば」と、丹羽先輩の鷹揚とした声がひとつ。

「大会が終わってからも練習はやっぱり続けるの?」

 ぴたりと挙動と思考とが途絶する。

 空気が抜ける音を立ててバスのドアが開く。ステップに乗り進んで行く流れに一拍遅れる。

 私の一歩後ろにいる丹羽先輩には振り向かないまま。


「――いえ。大会までって約束ですから」


 義務的に練習に付き合っていたに過ぎない。

 そんな風に言い放った否定は、まるで自分に言い聞かせるようだった。

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