第19話 しづ心なく 花ぞ散るらむ⑤ 4月21日

 二十一日の金曜日。


 昨日は帰宅した後、母親からの小言を何とか躱し、早々にベッドに入った。

部室で二、三時間寝てしまったから上手く寝付けるかと不安だったけど、我ながら気持ちのいいほどの爆睡っぷりで。

 明日は休みという精神的余裕も相まって、心も体も心なしか軽い。

 練習中も調子がよくて、連日機械的に行ってきたパス練習にも、創意工夫を織り込みたくなる。先輩に背を向けたまま、時には横向きと、様々な体勢でパスを繰り出していく。


「今日はやる気だね。珍しい」

「はい。昨日がダメダメだったので」


少なくとも今日は、パイプ椅子の上で眠るだけの私ではない。


「そっか。それなら」


 どこか嬉しそうに呟いたのを境に、ボールの勢いが強くなる。

 二人の間に描かれていた山なりの曲線は直線に。

 

手首のスナップ、全身のバネを強く使って、飛び込んできたボールを何とか返球する。


 ひと息付く間もなく容赦なく追撃が飛んできた。私がどこまで付いてこれるのか、試すような一発。

 しっかりと石畳を踏む足に力を込める。負けじと、極力軌道が鋭くなるように努めて返す。

「中々やるね」

「先輩、もっ……!」

 

中学時代に培ってきた経験が段々と呼び覚まされていく。先輩のように優れた素質はなくても、私なりにバレーボールという球技に打ち込んできた過去がある。

 それを言葉じゃなくて、実力で示したくなった。

 

凡そ五メートルの距離。速いリズムの応酬に応じるようにトクトクと鼓動が早まっていく。呼吸は浅く、視界は狭まり、ボールと先輩だけがくっきりと映る。


 苦しい。でも、楽しい。

 パスが途切れないで欲しいとすら思うのに、反比例して球威はどんどん増していく。

 指先は度重なる衝撃に痺れ、段々感覚が鈍磨していく。

 

そんな激しいやり取りに、先に値を上げたのは先輩の方だった。

 先輩は両掌を使うオーバーハンドパスを止めて、両手を組んでレシーブへ移行した。

 肘をしっかりと伸ばした腕で、私が放ったパスを弾く。

 丁度良い放物線が青空を背景に私の元へ。


「おいで」


 先輩は姿勢を低くしたまま短く告げる。私が攻撃の権利を勝ち取ったことを示唆していた。一歩リードしたことの高揚感で、肌が粟立つ。

 左腕はボールを目掛けて伸ばして、右腕は弓を引くように大きく後ろに振り上げる。


「遠慮、なくっ」


 右手の指を目一杯開いて、思いっきり打ち付けた。掌いっぱいに痛快な感覚が伝わる。

 今度は私が先輩を試すように、スパイクのコースは敢えて先輩の一歩先。

 簡単には取れない位置。


「っ……!」


 先輩の動きは、悔しいけど完璧だった。

 素早く一歩踏み込んで、片膝を地に付ける形で潜り込む。膝当てがなければこの石畳では大惨事だろう。

 流れるような動作のレシーブは的確な入射角で私のスパイクを捉え、理想的な曲線を描いて跳ね返した。


「……ちえっ」

 

 敵意を大いに込めて、取りづらいコースを狙ったのに。それをこうもあっさり拾われてしまっては敵わない。

 やっぱり才能が違う。先輩の中学時代は知らないけれど、高校ではまともに練習をしていないだろうに。


 半分負けを認めて、緩やかなトスを上げる。

 攻守交替。今度は先輩が気持ちよくスパイクを打つための、高く柔らかなトス。

 

 じゃり、と音を立てて先輩が一歩後退。そのまま僅かな助走を頼りに、軽やかにジャンプした。本気でないにしても、元々の背の高さも相まって打点は高い。

 叩きつけるようなスパイクは、私の右側を射抜くように飛来する。

 腕だけでレシーブしては到底勢いを殺しきれないと判断して、正面で捉えられるように足を運ぶ……が、間に合わなかった。


 中途半端に身体が流れたままのレシーブ。重い衝撃が腕をジンジンと襲う。

 ボールは私の頭上に大きく跳ね上がった。試合中なら一応味方がフォローできる、三十点位の出来。

 石畳に落ちる前に自分でキャッチ。荒く浅い呼吸に肩を上下させながら先輩を見やれば、腰に手を当てて得意げにしていた。

 むかつく。


「はいはい。私の負けです」

 けど、負けは負けだ。

「うん。後輩の負けだね」

 やっぱりむかつく。

「でも流石経験者。上手いと思ったよ」

 この人はいつもそうだ。皮肉の後に、急なお世辞がやってくる。そしてその落差に苛立ちが行き場を失ってしまう。チョロすぎるのかしら、私。

 

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