第17話 しづ心なく 花ぞ散るらむ③ 4月20日
先輩と二人で釣りをしていた。
海辺の堤防に二人並んで腰かけ、両足は眼下の海に向けて放り出す。海面までは四メートル程離れているだろうか。軽い浮遊感。
――もし今、少しでもバランスを崩したら。絶対に嫌なのに、試してみたいという衝動が脳の片隅で主張する。背筋がぞくりと震えた。
潮風が一陣、私たちを通り過ぎていく。磯の香りが鼻腔を擽るそれは、まだ少し先の筈の夏を意識させた。
それを反映するかのように、さっきまで灰色を基調としていた空模様が目の覚めるような青色へと変容していく。
全面青のキャンバスに、バケツをひっくりかえしたように大仰な入道雲が描かれていて、夏そのものを体現していた。
「後輩、全然釣れないね」
空に見惚れていたところ、ふと隣で上がった声に引き戻され、両手に握った釣り竿に目をやる。木製の本体、先端に糸だけがくくり付けられた、原始的すぎる釣り竿。糸がピンと張られることがなく、竿がしなることもなく、長い時間いたずらに錘が海中を彷徨う。
「先輩は絶好調ですね」
面白くないけれど、美女は獲物も入れ食い状態の様だ。傍らには釣果が山積みになっている。
フグにヒラメ、ゲーム機に昆布、ブラウン管テレビにぬいぐるみ、飛行機に戦車、エトセトラ。
「運がいいだけだよ」
「どうせ私は不運ですよ」
我ながら可愛くない物言いで、でも先輩は意にも介さずくすくすと笑う。
その矢先にまたしても先輩の釣り糸が張って、ヒットの兆しをみせた。海面に波紋と水しぶきが次々と生み出されていく。
釣り経験が皆無の私でも、随分と活きのいい獲物であることは推し量れる程に。
「凄いですね先輩、また……」
次なる釣果を事前に褒めようとして、先輩の方に顔を向ける。その先の言葉は出てこなかった。
隣に座る先輩は、唇を固く結んで私を見つめていたから。
その無表情に、冷たさに、虚を衝かれている内に。
青空が固形化して、バラバラと降り注ぐ。
ひとつひとつは固いゼリーをスプーンですくったみたいな形状だった。私たちを避けるように、次々と海面に落下しては激しい音と水柱を立てる。多分当たったら生きてはいられないだろう。
やけに緩慢とした危機感がじわじわと警報をならす。
それでも避難はおろか、立ち上がることすらしない。
それよりも、その薄く、形の良い唇が微かに開いた事の方が大事で。
「後輩は――」
後に続く言葉は激しい水しぶきと、荒れ狂う風に掻き消される。
「なん、ですか――」
雑音に負けじと聞き返したいのに、上手く発音が出来ない。声を張り上げたいのに、悲しいほどにか細いボリュームが空しく漏れるばかり。
もどかしさに焦燥が募る。必死に声を出そうとする私に眉ひとつ動かさず、ただただ私を見つめ続けて。
「後輩は、どうして私と過ごすことを選んだの?」
今度はやけに鮮明に聞こえた……というより届いたと言うべきか、頭の中に直接響いた声は、先輩のものか、私の物か。
「どうしてって……」
それは、あなたが私を誘ったからで。
青の塊がすぐ近くに着水する。
でも、断る事だって出来た。
横薙ぎのような突風。
途中で行かないという選択肢も取れた。
滝のような海水のシャワーを浴びる。
断る手間が面倒くさかった。
先輩の釣り竿、その糸が跳ね上がってくる。
どうせ短い期間だし、適当に付き合えばいいと思った。
先端には私のスマートフォン。
それだけだろうか。
もうすぐ夢が終わる、そんな気がする。
私は――。
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