第15話 しづ心なく 花の散るらむ 4月20日
眠ろうと すればするほど 逆効果。
そんな駄作川柳を諳んじる、寝不足で迎えた四月二十日木曜日。
昨日の夜に始まった迷走は、結局今日の未明まで続いた。朦朧とした意識の中、最後に時計を確認したのは午前四時過ぎ。
糊付けでもされたかのように瞼が重く、瞬きをするごとにくっついてしまいそうだ。
そんな日に限って雲一つない快晴が広がっていて、心地の良さに眠気は強さを増すばかり。
五限目――数学の授業中には遂に船を漕いでしまって、担当教員から注意を兼ねて問題を当てられてしまった。
ここで眠気まなこを擦りながら解答したら箔が付きそうだけど、現実は赤面を浮かべて「わかりません」という醜態。
隣の席の宇喜多君から「ドンマイ」と声を掛けて貰えたのがせめてもの救いだった。
放課後も練習にはまるで身が入らず、先輩の元に運ぶボールはへろへろとした軌跡を残す。
見かねた先輩から五分と経たずに「今日は止めておこうか」と制止が入った。
「風邪?」
「いえ、寝不足です。ついつい夜更かししちゃって……」
ついついの詳細を赤裸々に語れるはずもなく、ぼかした物言いになる。先輩から追及はなく、「それはよくないね」という淡々とした反応だった。
「すみません」
睡眠時間さえ確保できていれば熱心に練習に励めたのに。などと殊勝になることはこの先もないだろう。
「そういう時は最初から無理しなくていいから」
ボールを小脇に抱えた先輩にやんわりと窘められる。
具合が悪くなったのは寝不足のせいで。寝不足になったのは考え事が止まらなくなったからで。
その考え事の中には先輩も多分に含まれていて。むしろ中心を占めていて。
「……ありがとうございます」
だからつまり先輩のせいです。なんて非難は胸の内に留めることにした。
カーテンが半開きの状態で窓を閉め切っていた部室は春の陽光を取り込み十分に暖まっていて、それがまた眠気を誘う。
生欠伸を噛み殺しながらのたのたと着替える。働きの悪い脳からの指令は十分に身体まで行き渡らず、シャツのボタンを一段違えて留めているのに最下段に差し掛かってから気付く。そんなこんなで着替え終えるまでにいつもより幾ばくかの時間を要した。
「きょうはすみません。おつかれさまでした」
心なしか声にも力がない。へにゃへにゃとした詫びに、先輩からの返答は無い。
まんじりともせずパイプ椅子に座ったまま何か言いたげにしている。眠いながらに嫌な予感がした。
「少し寝てから帰ったらどうかな」
心なしか少し早口の提案に、ただでさえ眠気のせいで緩慢とした思考に一瞬の空白が生まれる。
「寝る……ここで?」
「うん。ふらふらして帰り道を歩くのは危ない」
紺のソックスに包まれた両足を重ねて指先を擦り合わせ始めた。とってつけたような理由には裏があるのだろう。先輩は分かりにくいのに分かりやすい。二律背反だ。
「バス停すぐそこですし大丈夫ですよ」
徒歩三分内で車に撥ねられでもしない限りは。
「……」
「…………」
黙りこくってしまった。諦める訳でも粘る訳でも無く、不貞腐れた様に俯いている。いつもの如く、どうやら私が助け舟を出さなくてはならないらしい。本当は一刻も早く家に帰ってベッドで仮眠を取りたいのに。
辺りを見回す。今日も今日とて当たり前に狭い。
「……休むスペース、あります?」
身体を落ち着かせられる場所と言えば、事務机の上かパイプ椅子か。前者は固く後者はその上に窮屈。バスの座席の方がまだ快適そうだ。
意図はともかく、どうやら私を帰したくないらしい先輩へのラストチャンス。これでまともな提案がこないなら流石に帰宅しよう。
眠気混じりの言葉を受けた先輩は無言で立ち上がり、いそいそと先輩が動き出す。
畳んで壁際に立てかけていたパイプ椅子をもう一脚取り出す。先輩が腰かけていたそれに隣接する形で配置された。
「ここに座って」
「いや、パイプ椅子じゃ寝れな……」
「それで、こう」
私の意義を却下しながら、自身の肩をつんつんと指さしている。簡易なジェスチャーが意味するのはそれすなわち。
「先輩の肩にもたれて寝ろ。と?」
首を大きく縦に振っての肯定。心なしか瞳が輝いている。親に褒められるのを待つ子供のようだった。
「いやいや……」
「嫌?」
難色を示す私に、唇を尖らせる先輩はまたしても不服そうだ。その問いを肯定すれば先輩を否定することになる。それはいくらなんでも心苦しい。というか、その聞き方はずるい。
「嫌じゃないですけど……なんていうか、流石に恥ずかしいですよ」
昨日もそうだったけど、仲を深める前に物理的に距離が狭まるのはなんだか落ち着かない。
少なくとも寄り添い合うような関係性では絶対にない。ましてや呆けた寝顔を晒すなんて、私にもなけなしのプライドはある訳で。
「どうせあと一週間もすれば会わなくなる……んだし、いいんじゃないかな」
だからお断りしようとした矢先、先輩から放たれた誘い文句は私の神経を逆なでするものだった。
先輩がこの放課後の期限について触れてくるのは初対面の時以来だ。
互いに承知している筈の約束。それを提示されただけなのに、胸の奥に何か重い物がのしかかったような不快感を覚える。
引き留める割に、どこか突き放すような言い草が癪に障るのだろうか。
私だってそれなりに先輩のことを気遣ってきたつもりだ。
先輩が誘ってきたから付き合い続けてきたのに、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。
でも、これじゃまるで先輩に必要とされたいみたいで、それはそれで嫌で。
大体何で一々こんなことに引っ掛かってるのかもわからない。眠たい頭では感情の整理が追い付かなくて。
「まぁ……確かに。ならいいですけど」
結局不承不承の体で受諾。
噛みつくわけでも無く、素直に受け入れるわけでも無く、また流される。私も大概、どうかしている。
そんな私の葛藤を知ってか知らでか、満足そうに空いた方のパイプ椅子の座面をぽんぽんと叩く先輩の真意は読めそうにない。
今日もまた訳も分からないまま、先輩の青春ごっこに付き合うことになりそうだ。
「それじゃあ、失礼します」
「うん……おいで」
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