幕間④

「先輩、何かいいことでもありました?」

「ああ、ごめん。分かっちゃう?」


翌日。部室の机の上に勉強道具を広げていた後輩が、耐えかねた様に顔を上げた。


「楽しそうな鼻歌を耳が拾ってしまいましたので」

相変わらず皮肉の効いた言い回しをする。

対面に腰掛ける私が奏でる鼻歌は、さぞ勉強の邪魔だろう。

そんなことに気が回らないほど私は上機嫌だった。むしろ作為的ですらあった。


「勉強の応援歌だよ」

「黙っていてくれるのが一番の応援です」

「あ、酷い」


私の抗議を無視して、再びノートに目を落とし始めた。

シャーペンが小気味よい音を立てながら黒鉛をノートに刻む。それを狂わせるように、私は机をトントンと指で叩く。

負けじと筆圧が強くなる。私は机を叩く指を増やす。硬質な不協和音のセッション。

パキリ、と芯先が折れると同時に後輩も折れた。


「分かりました。分かりましたよ」

溜息を溢し、くるり。ペンを指で器用にひと回し。


「……何があったんですか?」

勉強の手を止めて聞き直してくれる後輩はやっぱり優しい。

何だかんだ言いつつもこの子は私に付き合ってくれる。それを知ったうえでの妨害だった。


「ありがとう。優しいねえ後輩は」

「先輩が強引すぎるだけです」


誰かに嬉しい気持ちを聞いて欲しい。共有して欲しい。

子供じみた願望を後輩に向けるのもどうかと思うけれど。

一か月弱の付き合いながら私はすっかり後輩を信じて、甘え切っている。


「さて……何から話そう」


今まで言い淀んでいた、私が一人ここで過ごす理由。過ごすようになってしまった理由。

聞いて貰うことで得られる安心よりも、口にして思い出す痛みの方が上回りそうで蓋をしていた経緯。

それを今なら話せる。

何も知らない後輩が聞いても分かりやすい出発点はどこだろうと、記憶を遡りながら話し始めた。


 「私だって、初めから一人ではなかった訳さ」


弱小の女子バレーボール部は、居心地の良い場所だった。

練習は緩いけど無法地帯ということもなく、時折冗談が飛び交いながら程々に汗を流すような環境。

先輩もいい人たちで、私含む四人の同級生も仲が良く。後から入ってきた後輩たちも少々生意気なことに目を瞑れば、可愛い奴らだった。

部活が無い日でも連れ立って遊びに行ったり、お昼にはバレー部の同級生で毎日集まってご飯を食べたり。

私の高校生活の中心は間違いなく女子バレーボール部だった。

その輪が強固であることを信じて疑わず、毎日を過ごしていた。

息が合い過ぎて、私の考えは皆が、皆の考えは私が分かるものだと思った。


だからこそ、誤ってしまったのかもしれない。


六月の県大会を終えて三年生は引退した。

唯一の中学からのバレー経験者ということで部長に就任して、俗っぽく言えば私は調子に乗った。


『毎年一回戦負けのチームがちょっと強くなったら熱くない?』なんて。

スポ根を青春に求めたわけじゃない。

ただこれまでの日常を、連綿と続いてきたものをほんの少しだけ変えてみたくなっただけ。


曖昧な部員たちの微笑みを同意と履き違えて、突発的に生まれた熱意に拍車が掛かった。

練習の密度を濃くして、外部からのコーチを探したりして。

そうして一か月が経った夏の日、練習終わりの部室での出来事を私は生涯忘れないだろう。


『そういうの、ちょっとうざいかな』

茹だるように暑い室内で告げられた一言で、体温が急激に下がったように錯覚した。


『私たち、もう練習にはいかないから』


視線すら合わせないままの宣告。同級生、後輩たちの総意。

私だけが別の方向を向いたまま走っていたことを知る。


その日を境に、私は独りになった。

すぐに謝ればよかったのかもしれない。

幼いころは上手に出来たごめんなさいが出来ないのは、歳を重ねたからか、促してくれる人がいないからか。

変な意地を張って鎖から外れて、そして当たり前に後悔をした。

今まで身を置いていた暖かな陽だまりから暗がりへ。その冷たさが耐え難いことに


気付いてからはもう遅い。

今更他の鎖に繋がるのも遅すぎた。

二年生の中頃。もはや学年内の関係性は出来上がっていて。

元々人付き合いに長けておらず、他の部員が悪い噂を流していたらどうしようなんて猜疑心も邪魔して。

新たな鎖に繋がるよりも、元の鎖に戻れるように努力するよりも、独りに慣れる道を選んだ。

いじめにまで発展しなかっただけでもありがたい。そう自分に言い聞かせながら。


「とまぁ、そんなわけでぼっち街道を突き進んできたんだ。君がくるまでね」

私の長話に相槌も挟まず聞き役に一徹していた後輩は、言葉を選んでいるようだった。

「暗くなる一方ですね」

選んだ割にストレートだった。そんな所も嫌いじゃないけれど。

「まあね。でも、後輩が私の提案に乗ってくれたから、凄く救われたよ」

そんな風に嘯く。全てが嘘じゃない。後輩には確かに感謝している。

しかしそれは、私にとって都合よく利用されてくれていることへの感謝だ。


ここから先は決して後輩に聞かせる訳にはいかない、私の胸に秘めた本音になる。

一人で必死に奮闘した部活動紹介も虚しく、入部したのはたったの二人。


それもそうだ。一人しかいない女子バレーボール部なんて何か裏があるに決まっているけど、それでも引くわけにはいかなかった。


『三人しかいないから体育館は使えない。それでも折角入部してくれたんだし、外で軽い練習をしましょう』というのを表向きにした提案。

本心では去っていった友人たちに、あなたたちがいなくても私は充実していると示したかった。


高校三年生。

最上級生になったことで、導火線に火が点いたような焦燥に駆られたのだ。


孤独に過ごす日々はなんの起伏もなく体感時間は早い。ちりちりと、高校生でいられる期間が無情にも焼け焦げていく。


このまま一人で限りある青春を食いつぶしていくのは嫌だった。

青春らしいことを一つでもいい。私の記憶に爪痕として残したくなった。


いわば私の虚栄心と空虚感を覆す為だけに、何も知らない新入生を利用した最低の提案。


新入生の内の一人、柴田さんには『どうせ大会に出られるわけでも無いし、嫌でーす』なんてあっさりと断られてしまったけれど。

柴田さんに罪はない。私が彼女の立場なら意味が分からないと思う。

それでもこの後輩……明智密華は嫌々ながらも応じてくれた。強引に押し切ったともいう。


そんな自己満足に塗れた動機で始まった二人で過ごす放課後。

それでも今は、それなりに楽しいと思う。


私よりも遥かに上手いバレーの技術。

物静かに私の話を聞いてくれる優しさ。

口を開けば文句ばかりだけど、時折溢す微笑み。

そのどれもに感心し、時に癒された。

『私のことは名前で呼ばず、後輩と呼んでください』なんて、風変りな要求もされたけど。

理由を尋ねれば、あまり仲良くなってもらってもと困るとのことだ。良く分からないし癪にも触るけど、小憎たらしさが可愛らしに変換されなくもない。

大会には出場できず引退しても、この時間を続けたいとさえ思った。

単純に、面がいい子を侍らすのは悪い気がしないってのもある。顔は何だかんだで大事だ。


「そして、ここからが本題なんだけど」

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