第10話 春のはじめの 雨にあらずや⑤ 4月17日
十分ほどの読書談義も十分弱で下り坂を迎え、会話には沈黙の比率が高まり出した。
お互いに饒舌なタイプでないのは明確で。普段なら無理に沈黙を埋めようなんて思わないけど。
下手に話が出来た分、居住まいの悪さを感じる。そわそわと、気まずさを誤魔化すように意味なく「よいしょ」とかいいながら鞄から水筒を取り出す。温くなったお茶が一口分喉を通って、そんな時間稼ぎも空しく、特に先輩から気を利かせて話しかけてくるわけでも無く。
「しかしまあ、よく先生方から何も言われませんね、この部活」
今更ながらに、学校側の寛容さなのか、放任主義なのかも分からない適当ぶりを話題にしてみる。
この緩すぎる、活動というのもおこがましい時間が許される根拠については知っておいてもいいだろう。
「あー……今の顧問の先生が武田先生で……知ってる?」
問いかけられて、老若男女混合に頭の中で教師たちを浮かべてみても、顔と該当の苗字が符合しない。まだ担任や各授業の担当教員以外は殆ど把握できていなかった。
宙を睨んだままの私へ助け舟を出すように先輩が話を続ける。
「定年間際な古典担当のおじいちゃんで先生でね。凄く緩いんだ。彼が在職の内は大丈夫」
言われてみれば白髪頭の人がよさそうな教師を見かけたような気もする。
それよりも、言葉の中に引っ掛かるものを覚えた。
「いつ退職してもおかしくないけどね」
見透かされたかのように先手を打たれた。頬を膨らませて抗議の目を向ける。
それってつまり、武田先生とやらが退職後は部活の厳しさが増す可能性があるのでは?
そんな嫌な予感を込めて。
先輩は受け流すように手を口元に当てて、肩を愉快そうに震わせていた。
「だから入部しない方がいいって言ったのに」
「そんなの聞いてないです」
「ちなみに武田先生、最近前歯四本を入れ歯に変えてね。前歯だけ輝いているからフロントシャイニング武田、略してフロシャイ武田と呼ばれている」
「……それは聞いてないです」
どうでもいい情報はしっかりと伝えてくるのはいかがなものか。しかも非常に嘘くさい。そんなに略せてもないし。
とはいえ武田先生と思しき男性が前歯を光り輝かせている姿を想像すれば、中々に込み上げてくるものがあって。
「……ふ」
思わず唇の隙間から息が漏れる。
「人の容姿を笑うのは感心しないなあ」
「先輩が変なこというからでしょう」
吹き出す私を窘める先輩もにやけてるし。
「ま、直接見てのお楽しみだね」
「嫌ですよそんな楽しみ……」
そうはいいつつ、ちょっと見てみたいなんて本音は胸に仕舞い込む。
「そういえば、一応新入部員が正式入部の日なのに、本当に誰も来ないんですね」
「呼んだ方が良かった?」
「別に……そういう訳じゃないですけど」
先輩以外の顔は一人も思い出せないけど、歓迎する気が全くないその他の先輩方に出迎えられることを想像する。ぞっとしない。
「全体練習には流石に皆来ると思うよ。多分、きっと」
「自信なさそうですね。そういえば全体練習は……大会直前の四日間でしたっけ」
「そうそう。なんだかんだで大会まであと二週間弱……早いものだね」
先輩は空になったグミの袋を丁寧に畳んで縛り始めた。手持ち無沙汰なのだろうけど、こういう何気ない所作に育ちの良さが現れるものだ。
「体育館は使わせて貰えるんですか?」
私はぼんやりと横長の棚に目を向けながら呟いた。
バレー用のボールはいいとして、いつから置いてあるかも分からない日に焼けた数々の漫画本、電気ケトルと紙コップ、ドライヤーと手鏡、プラスチック製の将棋セット。暇をつぶすには申し分がなさそうで、部活の方向性を如実に物語っている。
そんな部活が体育館を使いたがっても、他の頑張っている部活から顰蹙を買うだろうな、と。
「学校のは無理だね。どこも大会が近いから私たちに練習場所を取られたくないだろうし。だから近くの市民体育館の予約を取ってあるし大丈夫」
案の定だったけど、そこは先輩も重々承知しているらしい。
一日二時間。と、ピースサインを突き付けてくる。
「木下さんにも伝えておいて。放課後すぐに現地集合で」
「なるほど。わかりました」
承諾しつつ、夏帆の嫌がる顔が目に浮かぶようだった。
こうして具体的に練習の日程を聞くと、どこか他人事のように捉えていた大会が現実味を帯びてくる。そしてそこに出場しなくてはいけないのだと。私も想像の夏帆に釣られるように気が滅入る。
棚の上に一枚だけ飾られた、地区大会第三位を評した古い賞状。これまでの人生に引き続き、高校生活においても私がそれを手にすることはないのだろう。
「先輩が入学したときからこんな感じなんですか?バレー部」
「まぁね。何なら私が入部したときは先輩含めて三人しかいなくて廃部寸前だった」
「よく持ち直しましたね」
団体戦に出場可能な人数を二年連続で下回らないことが部活存続の条件。今の二年生が一人でも欠けていれば廃部だったのか。
「部活動紹介、覚えてるでしょう?」
肩をつんつんと突かれたので振り向くと、したり顔で胸を張る先輩がいた。
ブレザーを着ると平坦。背丈は敵わないけど、大きさは私の方が上……何の話だ。
「二人でやる気をアピールしても空回りするだけだし、実際そんな気もないしね。いっそやる気のない紹介をすればそれに見合った生徒が集まると思ったのさ。昨年はそれが功を奏したみたいでね」
「先輩が考えたんですか?」
「そう。おかげで今の二年生が四人入部して、ギリギリ存続出来たという訳」
「それは……お疲れ様です」
頭を浅く下げて形式的に敬った。垂れた横髪が頬を掠めてこそばゆい。
部活動紹介の内容は、やる気のない私のような生徒にとっては確かに魅力的だった。
校則の網を潜りぬけるような、温すぎる女子バレー部。
この牙城を築き上げるのに、それなりの思考錯誤があったのだろう。
「でも、何であんなに私たちが入るのを拒んだんです?」
思い返しても厳しい検問だった。七人いた内、潜りぬけたのは私と夏帆の二人だけ。
翌々月には三年生が引退して、残るのは結局大会出場ギリギリの人数。
部を残していくという意味では、部員は大いに越したことはないと思うけど。
「あー……バレーをしたかった子には悪いことをしたと思っているよ、本当に」
細い指でこめかみのあたりを掻いている。気まずそうな微笑が浮かんでいた。
「大勢の部員がいるのに練習もしないとなると、流石に先生方からの目も厳しくなるからね」
つまりは、ちゃんと練習をしなければならなくなる可能性が上がる。我が部のアイデンティティを揺るがす大問題だ。
「自堕落な上級生の我儘で、熱意ある新入生が無下にされた訳さ」
自堕落。そこまで言ったつもりはないんだけれど。
「軽蔑した?」
探るような目つきと口調の、短い質問。
浅く傾げられた首に合わせて前髪が垂れている。
どう答えるべきか、幾ばくかの逡巡を経る。
先輩とのやり取りはこれまで築いてきたどの人間関係にも当てはまらなくて、掛ける言葉を慎重に選ばなくてはならない。
「いえ、別に。先輩にとって今の環境が大事ってことですもんね」
「そんなんじゃないよ。ただ意地が悪いだけ」
先輩は薄く微笑むと、両膝を叩いて立ち上がる。
私の回答の正否は不明だ。それに、今の一連の会話がどこまで先輩の本意なのかも。
「そろそろ帰ろうか」という促しを受けて私も鞄を手に取る。
工夫を凝らしてまで部活を存続させるよりも、活動の少ない文化部辺りに転部した方がよっぽど楽だったろうに。矛盾を探せばいくらでも出てくる。
しかし追及を拒んでいるのもまた、察するものがある。私としても、卑下にどう返していいか悩ましかったので、帰宅の促しはありがたかった。
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