第4話 調査3
宮下公園で起こった暴行事件は、八王子駅近くの塾の男性講師が、イチョウの木の下で刺傷されるというものだった。幸い男性は命に別状はないらしい。
その第一報は、次の日の朝七時に掛かってきた藤波からもたらされた。寝ていたところを着信音で起こされた波瑠は、寝起きのぼんやりした頭で発信者の名前を確認し、目を見張った。慌てて咳ばらいをしてから電話に出る。
「……もしもし」
「水城先生、朝早くにすみません。睡眠中でしたか?」
わかっているなら指摘しないデリカシーを持ってほしいと思いつつ、答える。
「いえ、大丈夫です」
この時間に掛けてくるということは、何かあったのだろう。
「それよりどうしましたか?」
「ええ、それが……。水城先生は昨日、イチョウは宮下公園にある木だとおっしゃいましたよね」
それを聞いた波瑠は、嫌な予感で心臓が大きく跳ねた。確かに、場所が特定されたことは伝えたばかりだった。
「……はい、それが?」
「昨日夜、十時ごろですが、パトカーがかなり北方面に向かっていたようなので、心配になって確認してみたのですが、傷害事件が発生したようだと自治体の会長から連絡がありました。……場所は宮下公園だと。念のため警察にも確認してみたのですが、あまり詳しいことは話してもらえませんでした。でも、被害者は成人男性で、場所はイチョウの木の下ということは、確かなようです」
「イチョウの木の下……」
「じきにニュースになるかもしれません。朝刊の地域版には小さくですが載っていました……。ポスターは拡散されていますし騒ぎにする生徒がいるかもしれませんので、朝早くですみませんが、先にお伝えしました」
「そうですね、聞いておいてよかったです。ありがとうございます」
「しかし、これはどういうことでしょうか……。まさか、傷害事件が起こるなんて」
弱り切った声で藤波がつぶやいた。無理もない。波瑠も、まさか突き止めたばかりのイチョウの木で事件が起こるとは思いもしなかったのだ。せいぜい、その場所に関係がある誰かに、恋愛関係のメッセージがあるのか、くらいにしか考えていなかった。
「それは私もです。――でも、《アカシアの雨》のメッセージ自体は、恋愛に絡んだものですから、もしかしたら恋愛のもつれの可能性もあります」
「しかし、被害者の方は大人で、学校とはかかわりのない人物ですよ?」
「……事件の詳細がわからないので何とも言えませんが、今回のポスター掲示から場所を特定した流れ、事件発生までの短さを考えると、無関係と考えるのは早計と思います」
波瑠が慎重に答えた。藤波は無言だった。多分、わかっているから電話をしてきたのだ。
「こうなった以上、学校としても念のため対策を取る必要があります。そのため、今朝は臨時で職員会議を開き、その上で校内集会を行うことになるでしょう。しかし、あくまで近隣の高校としての対応に留める予定です」
「はい、わかりました」
「水城先生もご出席いただきますが、今のところ、ポスターの件は、職員の中では大したことではないと考えているでしょう。該当のイチョウについても、特にオープンにはなっていません。そのため、私から校長には、簡単に伝えておきますが、ポスターとの関連はまだ推測にすぎませんから、内密に」
藤波は直裁的に、一般職員には伏せるつもりだと伝えてきたが、ずいぶん性急に感じた。
「それは……私は構いませんが、後で揉めませんか? 遅かれ早かれ、イチョウについては場所が特定されると思いますが」
「イチョウの場所が特定されるのと、事件との関連を疑われるのは別問題です。あくまでうちの学校としては、傷害事件が近隣で起こったため、注意喚起するという方向にしたいのです。まだ詳細も犯人もわからない状態で、今の時期に、うちの学校が事件に関わっていると噂されるのは絶対に避けたいですから」
それは確かに、学校としてはこれから受験シーズンを迎えるため、傷害事件と関わりがあるいたずらなど、できるだけ潰しておきたい気持ちはわかる。
「ただ、それはそれとして、水城先生には調べを進めていただきたいと思っています。もし、万が一、傷害事件との関わりがあった場合は、情報が後手に回るのは避けたい。都合のいい話ではありますが、引き続き、ポスター掲示については調査をお願いいたします」
波瑠は驚いた。てっきりこのまま幕引きになるかと思ったからだ。
「続けるんですか? 警察も捜査するでしょうし、こうなってくると子供たちから情報を得るのは難しくなると思いますが」
「こちらも、あくまで掲示板にいたずらをした人物に注意するという名目です。学校としてはきちんとしなくては。ただし、別に告発したい訳ではありません。関連があるのかどうかは知っておきたいのです」
副校長らしく、抜け目がない。波瑠としては面倒だという思いはあるが、今はこの状況への好奇心が半々になっている。
「――わかりました。調査を進めます」
そう答えると、藤波はほっとしたように続けた。
「引き受けてくださってよかった。水城先生の《掲示板係》としてのお仕事に期待いたします。必要なものがあればおっしゃってください。私も、警察にもう少し詳細な情報を訊いてみます。……朝から長話をしてしまってすみません。では学校で」
そう言うと、返事を待たずに通話を終了した。波瑠はポカンとしたが、ふと時計を見ると、もう八時に近かった。慌てて朝の支度を始めた。
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