第21話 リベンジ

 高木たかぎさんと共に応接間から出ていく私たちに、阿部あべさんが駆け寄ってくる。


「どうでした?!」


 私は眉をひそめて微笑んだ。


純人すみとくんが話をまとめてくれたわ」


 高木たかぎさんが私たちに告げる。


「申し訳ありませんが、もう時間をだいぶ過ぎました。

 本日はこのままお引き取りを」


 純人すみとくんが頷いて答える。


「では資料は後ほど、メールでお送りします。

 質問があればいつでもお答えしますので、お気軽に」


 頷く高木たかぎさんに促され、私たちはバックオフィスを後にした。





****


 車に戻った私は、ようやく一息ついていた。


「緊張した……よくあそこから握手まで持って行けたわね」


 純人すみとくんがノートPCを操作しながら答える。


「僕には僕の武器があるからね。

 光香みかさんは誠実に真正面から攻めた方がいい。

 今日の方向性は悪くなかった。後は必要な知識を仕入れるだけ」


「誠実か……それで、純人すみとくんは何をしてるの?」


高木たかぎさんに送る資料をまとめてる――ほい、送信っと」


 え、さっきの話の資料を、今まとめてメールで送ったってこと?!


「なんで?! 準備してたの?!」


 純人すみとくんがノートPCを畳みながら答える。


「話しながら何が必要かは、もう頭でまとめてあったからね。

 あとは銀行が欲しいデータを添付して、提案書をまとめて送るだけ。

 相手も忙しいから、長い資料なんて読まない。端的にセールスポイントだけ書けばいい」


 今、さらっと『話しながら』って言わなかった?


 あれだけの駆け引きをしながら、必要な資料のピックアップを同時にしてたの?!


 私は呆れてため息をついていた。


「どういう頭をしてるの、純人すみとくんは」


「こういう頭です」


 純人すみとくんの頭が、私の肩に乗せられた。


 そっか、この頭の中に純人すみとくんの頼もしさが詰まってるのか。


 思わず彼の頭を抱きしめながら、私は呟く。


「後利益がありますように……」


「僕は神様じゃないよ?!」


「なんでもいいわ。神童なんでしょ?」


 運転席から笑いがこぼれてきて、阿部さんが楽し気に告げる。


「だからいちゃつくのは仕事が終わってからにしてくださいよ。

 ――それで、これで帰社しますか?」


 純人すみとくんが私に抱きしめられながら答える。


「いや、次は羽都場はとば運輸に行こう。それが終わったら会社に戻る」


 私は驚いて、腕の中の純人すみとくんに尋ねる。


「まだやるの?!」


「やるよ? 失敗したままじゃ、今日が後味悪くなるでしょ?

 今度の相手は銀行よりずっとやりやすい。

 資料もまとめ直しておいたから、今度こそ成功させてみて」


 私は純人すみとくんを抱えたまま、しっかりと頷いた。


「わかった、やってみる」


 通用するかは分からない。でも純人すみとくんが言った通り、場数を踏めばそれは無駄にならない。


 失敗しても純人すみとくんがフォローしてくれるし、この機会にチャンレジしてみよう。


 運転席から阿部あべさんがバックミラー越しに私に告げる。


「気合はいいですけど、そろそろ若旦那を話してあげてください。

 そのままじゃ、ゆでだこになってへばっちゃいますよ」


 言われて純人すみとくんの顔を覗き込むと、耳まで真っ赤になっていた。


「……どうしたの、純人すみとくん」


「だって……光香みかさんの胸が当たって」


 ――うわぁ?! うっかりしてた!


 慌てて純人すみとくんを解放して、飛び退いて距離を取る。


 俯きながら、私は純人すみとくんに告げる。


「ごめん……」


「いえ、こちらこそ……」


 阿部あべさんが車を運転しながら吹き出していた。


「お二人とも、夫婦なのに何を照れてるんですか」


 う、それを言われると……でも他人には事情を説明できないしなぁ?!


 純人すみとくんが顔を手で叩きながら告げる。


「僕も光香みかさんも、照れ屋なんだ」


 阿部さんが納得したように頷いた。


「それならなおのこと、人前でいちゃつかないでください」


「いちゃついてないったら!」


 私の抗議の声は、阿部あべさんの笑い声で掻き消された。


 私たちを乗せた車は、次の目的地へと向かっていった。





****


 帰り道の車の中で、私は達成感に浸っていた。


 純人さんが私の肩を抱いて告げる。


「ご苦労様。これで光香みかさんの実績が一つできたね」


 私はおずおずと答える。


「でも、今回の今回の社長さんは今までで一番簡単だったわ。

 愛想よく話も聞いてくれたし、すぐに資料も請求してくれたし……。

 最初から羽都場はとば運輸さんだったら、失敗せずに済んだんじゃないの?!」


 純人すみとくんが微笑みながら答える。


「違うよ光香みかさん。今回は光香みかさんがきちんと営業として対応できていた。

 だから相手のガードが下がりやすくなって、突破口が見えただけ。

 羽都場はとば社長を口説いたのは、紛れもない光香みかさんの実力。

 萩沼はぎぬま社長と高木たかぎ部長の経験が、羽都場はとば社長で生きたんだ」


 私はため息をつきながら純人すみとくんの肩に頭を預けた。


「そういうものかしら……」


「そういうものだよ? だから最初から高いハードルを設定したんだ。

 光香みかさんなら、必ず経験から吸収してくれると信じてた。

 信頼にこたえてもらえて、僕も嬉しいよ」


「……スパルタなんだから」


「そうかな?」


 もう阿部あべさんからは、茶化してくる言葉も飛んでこない。


 私たちは寄り添い合いながら、社用車が会社に辿り着くまで体温を感じ合っていた。





****


 社用車を降りると、純人すみとくんが阿部あべさんに告げる。


「僕らはこのまま帰るから、何かあったらチャットで伝えて」


「はい、わかりました。お疲れさまでした」


 車のキーを手にした阿部あべさんが、エレベーターで上に向かっていく。


 それを見送った純人すみとくんが、自分の車に向かって歩き出した。


 不意に視界を覆うように白い羽が羽ばたき、那由多なゆた純人すみとくんの肩にとまる。


 「カーッ!」という声が地下駐車場に響く――『今日はお祝いだ!』?


 私は苦笑を浮かべながら那由多なゆたに告げる。


「ずっと見ていたの?」


「みたいだね。どこに隠れてたのやら」


 車のドアを開け、二人で乗り込んでいく。


 純人すみとくんが運転する車は、自宅に向けて出発した。





****


 家に帰った私は、疲れ切ってソファに倒れ込んでいた。


 気疲れ、なのかなぁ。もう体が動かない。


 純人すみとくんはジャケットを脱いだ姿で、夕食の支度をしていく。


 タフだなぁ、純人すみとくん。


 私よりずっと仕事をしていたはずなのに。


 私が動けなくなっても、純人すみとくんが家事をしてくれる。


 なんて安心感なんだろう。『女性だから家事をしろ』なんて、一言も言われない。


 こんな夫は、きっともう見つからない気がした。


 ……今の会社なら、私は重役として経験を積んでいける。


 たった一年や二年じゃ、成長なんてしきれない。


 五年、いや十年くらい経験を積んでみたい。


 そして会社を大きくする力になってみたい。


 今日のことで、自分の小ささを知った。


 でも自分でもできることがあるって分かった。大きな収穫だ。


 もっとできることを増やして、純人すみとくんに並べたら――。


光香みかさーん、ハンバーグできたよー」


「――あ、はーい」


 私はソファから起き上がると、ジャケットを脱いでスカートを整えた。


 ゆっくりと立ち上がり、ダイニングテーブルに向かう。


 テーブルの上にはいつの間にか、赤ワインと葡萄ジュースが置いてあった。


「これ、どうしたの?」


光香みかさんの初勝利祝い! お祝いにはお酒、でしょ?」


 私は微笑みながら純人すみとくんの笑顔に答える。


「もう……どこまで気が利くの?」


光香みかさんのためなら、どこまでだって」


 胸が熱い。この愛に溺れてしまいたい。


 この結婚を本物にしてしまいたい。


 そう思うのに、あと一歩を踏み出す勇気が持てない。


 どうして? まだ不満なの?


 ワインを見下ろしながら俯いていると、純人すみとくんが椅子に座って告げる。


「大丈夫、焦らないで。僕は平気だから」


「うん……ありがとう」


 私も椅子に座り、ワイングラスを掲げる。


 純人すみとくんのグラスと私のグラスが重なって、澄んだ音が小さく鳴った。


光香みかさんのこれからに」


純人すみとくんのこれからにも」


 私たちは笑顔を交わし合い、ワインとジュースに口を付けた。

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