レディ・ローズに憧れて

桶谷 雨恭

初春

その日、紅子は今までの人生で味わったことのない緊張に襲われていた。

隣に立っている白子はチラリともこちらを見てくれず、目の前の扉を睨みつけている。

大きく重たい扉が開き、豪華な広間に通された。

一歩踏み込むごとに履き慣れないヒールが絨毯に沈み込む。

式典でしか見たことのない人たちが両脇にずらっと並んでいた。その奥に、今まで何度も見た、この薔薇館の主人が金のバラに縁取られた玉座に静かに座っている。

息を呑む音すらも拾えるほどの静寂の中、シャラリと纏っている装飾品を鳴らしながら、当主<レディ・ローズ>が立ち上がった。静かにあたし達の前に立つと、手に持った杖を掲げて宣言する。


「これより。次期当主を決める最終試験を開始する。両名とも一歩前へ。」


二人同時に一歩前に出た。


「手を」


震えそうな手を押さえながら前に出す。当主の杖から光の球が二つ生み出された。ゆっくりと上に上がると、またゆっくりと下がってくる。手元までくると光はゆっくりと萎み、そこには手で包めるほどのガラスの球が浮かんでいた。中には赤い薔薇の蕾が一輪入っている。思わず隣を見ると白子の手には自分と真逆の真っ白なっ薔薇の蕾があった。


「この薔薇を綺麗に咲かせた方がこの薔薇館の当主。我ら魔法族を統治する『ローズ』となる。」


気がつけば、カラカラと乾いてないはずの唾を飲み込んでいた。レディ・ローズがマントを翻し、ゆっくりとした足取りで玉座に戻る。


「励めよ。」


たった一言、しかし身体の隅々に染み込むような声だった。

背後の扉が再び開くと、玉座の真横にいる魔法使いに、退室するように言われ白子と揃って広間からでる。


広間の外には先生がいつもの穏やかな笑顔で立っていた。御伽話にでてくる魔女の象徴のようなとんがり帽子に、重厚な黒いドレスを身にまとっている。

「このほうが雰囲気でるのよ」と笑っていたのはいつだったか、そんなお茶目な先生だ。


「紅子、白子、最終試験おめでとう。とても誇らしいわ。」

「ありがとうございます。先生。」

「あ、ありがとうございます!」

「これからあなた達は、人間たちと生活を共にし、彼らの願いを叶えていくことになります。そして、どちらかがこの薔薇館の当主となるのです。」

「「はい」」


背筋を伸ばし、姿勢を正した。


「さぁ、準備なさい。最終試験、私は手助けができないけれど、相談には乗れるわ。いつでも来なさい。」


先生はそこまで言うと、長い廊下を渡り宿舎へ帰る。


「紅子」

「は、はい!」


ぼうっと先生の後ろ姿を眺めていると、白子に突然呼ばれ、弾かれるように返事を返した。


「私のほうが、実技も筆記も上だったわ。」

「そ、そうだね。」


白子は魔法を学ぶ学校で常に一番だった。実技も、筆記も。同年代の魔法使いたちが白子に勝ってやろうと躍起になったが、ついぞ一位に張り出される名前が白子以外になることはなかった。


「でも、ここからは実践。学校で一位だったからと言って、そこに胡座をかくつもりはないわ。お互い頑張りましょう。」


差し出された手に少し戸惑いながらも握手を受け入れる。


「あ、あたしも、あなたが一番だったからと負けるつもりはない。」


そう宣言をすると、白子はくすりと笑い、白い廊下にある自分の部屋へ帰って行った。

自分も準備をしなければと紅子は、赤い廊下の方へ駆け出す。少し沈み込む床に先ほどの儀式の緊張感を思い出した。

部屋に帰ると今朝届いたばかりの段ボールが床に並んでいる。今までは、別館の宿舎で同級生たちと生活していた。二人部屋で朝は起こし合い、夜は先生たちの目を盗んで、お菓子を分け合っていた。しかし、今日からは、一人部屋だ。そして、助けてくれる同級生はいない。最終試験に選ばれる魔法使いはたったの二人。選ばれれば、本邸で生活をし、自分の実力を示す。

指をぱちんと鳴らすと、段ボールの一つが開き、中に入っていたぬいぐるみが自分たちで動き始めて、ベッドの上や棚の上によじ登る。もう一度ぱちんと鳴らせば、次の段ボールが開き本が飛び出し、本棚に収まっていく。何度か指を鳴らして、どんどん荷物を片付ける。

最後に、ベッドに置かれたセーラー服を自分の手で壁にかけた。


「明日から、人間の学校か。」


口から自然と声がでる。背中からベッドに倒れ、見慣れない天井を眺めた。手を使わずに鈍く痛む足から靴を抜き取る。体を起こし、ぱちんと鳴らして服を着替えた。


(お風呂は明日にしよう。)


疲労が限界に達したようで、まぶたがゆっくりと落ちてくる。明日からの生活を思いながら、争うことなく、眠気を受け入れた。


桜の花びらが舞い散る中、たくさんの人間たちに紛れて校門をくぐる。ついこの前までランドセルを背負っていた少年、少女たちが楽しげな様子で校舎に吸い込まれていく。玄関前には人だかりができており、みんな自分のクラスを探しているようで、割れ先にと貼り出された紙の前に辿り着こうとしていた。

紅子も負けないようにその集団に挑んでいく。押されながらも張り紙の前に辿り着き、自分のクラスを確認する。『A組』と書かれた列に自分の名前『花咲紅子』を発見した。

ついでに、隣の『B組』を見ると『花咲白子』の名前がある。

白子も登校してきたようで、颯爽と高門からまっすぐこちらに歩いてきた。紅子の前までくると、自分より少し高い位置にある顔をしたから覗き込む。


「私のクラスどこだった?」

「へ?」

「クラスよ。あなたのことだもの、他のクラスにも目を通してるんでしょ?」

「えー自分で見に行きなよ。」

「あんな人混みの中に入って行くなんて嫌よ。ほら早く。」


長い髪を人差し指に巻き付けながらいう白子に呆れながらクラスを教える。


「B組だったよ。」

「そう。あなたは?」

「私はA組」


一通り聞くと、「あらそう」と言って校舎に入って行った。

自分のクラスに入ると、すでに何人かの生徒たちが、名前やどこの小学校から来たのか、お互いの情報を交換している。探り合いのような微妙な緊張感の漂う教室に足を踏み入れた。

教室に入ってきた紅子に、生徒たちの目線が集中する。顔をこちらに向けて見るものや、友達との会話を続けながら視線だけをこちらに寄越すもの、三者三様の反応だ。

どうやら、地元にある3校の小学校からの生徒たちが混在しているようで、グループで固まってる人たちがチラホラ見える。

視線を感じながら、黒板に張り出されている座席表を確認して、真ん中の列の一番後ろの席に座った。カバンを机の横にかけたところで、反対側から明るい声が紅子の耳に響く。


「ねぇ、あなた花咲紅子ちゃんよね?どこ小学校から来たの?」


声のする方を見ると、ボブカットの女の子が立っていた。彼女はグループには入っていないのか、あえて新しい友達を作ろうとしているのか花咲わからないが、一人で紅子に話しかけてくる。


「あ、まずは私から名前言わなきゃだよね。私、清水黄乃よろしくね。」

「あたし、花咲紅子よろしく。」

「私、地元の小学校じゃなくて、親の転勤でこの中学来たからさ、気まずくって。他の子達、登校からグループ作ってるし。でも、紅子一人で来たから、もしかして、私と同じ感じかなって思ってさ。」

「そうなんだ。あたしも地元の小学校通ってたわけじゃないから、同じかな。」

「ほんと!よかったぁ仲間いて、仲良くしてね。」

「うん」


そうゆうと、黄乃は『緊張するよね』と、これからの今日の予定や、これからの学校生活についての話に花を咲かせていた。

やがて、担任の先生に呼ばれ、ゾロゾロと入学式のため、体育館に移動する。列になって拍手の中入場すると、来賓席にレディ・ローズが微笑みながら拍手をしている姿を発見した。

校長の長ったらしい無駄話を聞いた後、来賓祝辞としてレディ・ローズが舞台に進み出る。暖かな日差しと中身のない話で、うとうととした空気が嘘のように消し飛んだ。全員がレディ・ローズを見つめる。彼女がゆっくりと口を開く。


「皆さん、ご機嫌よう。薔薇館の当主(ローズ)を務めております。この度、薔薇館のローズ後継者を決めるため、当館の生徒を二名この学校に送り出しました。彼女たちは皆さんの悩みに寄り添い、さまざまな願いを叶えてくれることでしょう。皆さまに幸運が訪れることを心から願っております。」


ゆるりと口の端を持ち上げ、微笑むような笑顔を見せ、紅子と白子を順番に見た。この視線で気がついた人は、気がついだだろう。教室での視線とは比にならないほどの肌を指すような痛い視線が突き刺さる。白子をチラリといるが、同じような視線を浴びているはずなのに、いつもの澄ました顔で舞台を見つめていた。

入学式が終わり、体育館から退場した瞬間、周りにいた同級生たちに囲まれる。


「さっき、ローズ様花咲さんの方見てたよね!ローズ様の言ってた薔薇館の生徒って花咲さんのこと?」

「え、うん。」

「ほんと!私叶えてほしいお願いがあるの!」

「ってことは、花咲さんは魔女ってことよね!私、憧れてたの!」

「私も!私も!」


まだ顔も覚えていない同級生たちは我先にと紅子に迫った。白子も同じような状態だったが、一人の生徒に腕を掴まれた瞬間、その手を払いのけるように、強く振り下ろす。


「気安く触らないでくれる?私は、私が叶えたいと思った願いしか叶えないわ。私の魔法は安売りなんかしない。人生を賭けてでも叶えたいと思う願いだけを私の前に持ってきなさい。」


白子の言葉にその場はシーンと静まりかえった。時間が止まったような空気の中、担任の先生急いでこちらにやってくる。


「皆さん。こんなところで立ち止まらず、早く教室に行きなさい。」


先生の言葉に一同はようやく動き出した。ゾロゾロと歩く中に「何あれ」「こっわぁ」と先ほどの白子に対する嫌な言葉が聞こえる。紅子自身は何もしていないが、なんとなく気まずくなり、急ぎ足で教室に戻った。

教室に戻ると、あの囲んできた同級生たちは、紅子を遠巻きに見ている。たぶん、白子の発言から紅子にそう話かけるべきか、探っているのだろう。

黄乃が寄ってきて満面の笑顔で話かけてくる。


「花咲さん薔薇館の生徒だったの?」

「うん。」

「わぁ憧れる!薔薇館の当主(ローズ)様はどんな願いも叶えてくれるってほんと?」

「うん。」

「すごい!その候補ってことは、もしかして花咲さんってすごい魔女!?」

「いや、まだそんなことは・・・。でも、これから頑張ろうと思ってる。」

「そっかぁ。やっぱりすごいな、花咲さん。私応援する!」


意気込むように天井に向けて拳を上げる黄乃に、少し笑顔になれた気がした。

黄乃乃様子に、紅子を遠巻きにみていた生徒が少しずつ話かけてくる。話しかけてくる内容は、先ほどの白子の態度から遠慮しているのか、願いについての話題を出す子は一人もいなかった。


オリエンテーションを終え、帰ろうとカバンを手に取ると黄乃もちょうどカバンを手に持ったようで、目が合う。


「花咲さん!一緒に帰ろう。」


紅子は快くその誘いに乗り、仲良くろうかを歩く。教室ではだいぶ緩和されていたが、先ほどの入学式での出来事がまだ尾を引いているのか、他のクラスの生徒からは遠巻きに見られていた。そんな状態をものともせず、黄乃は明るくさまざまな話をしてくれる。

前までいた街の話。街中を探索していたら、美味しそうなクレープ屋さんを発見したこと。

クレープ屋さんは、今度の休日、一緒に行く約束までする。

玄関で靴を履き替え、二人並んで校門をでた。どうやら帰る方向は同じなようで、二人揃って同じ方向に歩く。しばらく歩くと、薔薇の生い茂る大きな洋館が姿を現した。庭にはもちろんのこと、壁にまで薔薇が咲き誇る。


「綺麗・・・。私ね、生まれてから6歳まではこの街にいたんだ。」


頬を染めた黄乃のキラキラとした眼差しが、薔薇館に注がれる。


「薔薇館の生徒って、選ばれた人だけがなれるものでしょ?私、小さい頃の夢は薔薇館の生徒だったの。でもなれなかった。」


先ほどまでこれでもかと輝いていた瞳は、瞼で覆い隠され紅く湿った唇をギュッと強く噛み締めた。


「6歳になった日、薔薇館からくる入学証をずっと待ってたんだ。でも、私には魔女の才能はなかったみたい。入学証は届かなかった。ちょうどその頃、お父さんの転勤があってこの街を離れたけど、やっぱりまだ憧れは捨てられないみたい。」

「それじゃぁ、黄乃ちゃんのお願いは薔薇館の生徒になること?」

「う〜ん。それはちょっと違うんだよね。その願いはあの6歳の誕生日に置いてきたつもりだから。」


泣きそうな、しかし朗らかに笑う黄乃に紅子は思わず、息を呑む。


「私のお願いはもっと違うものかな。」

「お願いあるの!」

「もちろん!」

「教えて!あたし叶えるよ!」

「ないしょ!私の願いは、誰かに叶えてもらうものじゃなくて、自分で頑張るものだから。」

「えー!じゃぁ、それ以外にお願いができたら教えてね!」

「もちろん!」

「絶対だからね!」


『うん!』と元気よく返事をした黄乃に悲しみの色はすでになかった。


「ねぇ私たちってもうお友達だと思うの。」

「うん。あたしもそう思う。」

「じゃぁさ、名前で呼んでもいい?」

「もちろん!あたしも名前で呼びたい!」

「では早速。紅子ちゃん」

「なぁに、黄乃ちゃん。」


なんだか面白くなり、二人して吹き出すように笑う。門の前で話し込んでいると、陽が傾いてきたようで、いつの間にか当たりは茜色に染まっていた。

『また明日。』と挨拶を交わして、紅子は薔薇館の門をくぐり、黄乃はさらに先の路地に向かって歩き出す。紅子は薔薇館に背を向けるその姿が見えなくなるまで眺めていた。


次の日、薔薇館の門を出ると黄乃が待っていた。白子は早々に館を出ており、同じ場所に住んでいるものの、一緒に登校などはしない。


「紅子ちゃんおはよう!」

「おはよう、黄乃ちゃん。」


昨日二人で決めた通り、名前を呼び合い挨拶をする。

そして、昨晩の夕飯のメニューなどたわいもない話をしながら学校に向けて歩き始めた。学校につき、二人揃って教室に入り席につくと、同級生たちが一斉に紅子の周りを囲った。


「花咲さん!私、叶えてほしいお願いがあるの!」

「私も!お願い!」

「俺も願いがあるんだ!」

「ちょ。ちょっと待って!一斉に来られると、困るから一人ずつお願い!」


一斉に自分の願いを叶えてくれと騒ぎ出す同級生たちに、声を上げる紅子だが聞く耳を持たないようで、騒ぎが収まらない。


「ストーップ!!」


黄乃が突然声を上げた。


「紅子ちゃん困ってるよ。せめてみんな順番に並ぼう?」


そのまま黄乃が紅子の前にいた女の子から順に、列になるよう促す。

そして、先頭になった女の子が願いを話出した。


「私、毎日癖毛を一生懸命治してるんだけど、すごく面倒だからストレートにして!」

 

願いを聞いた紅子は、人差し指をたて宙を2回くるくると回すと、指先からキラキラとした輪が生まれ、女の子の髪の毛にと溶け込んでいく。


「これで大丈夫。明日からは寝癖知らずのサラサラな髪の毛だよ。」

「ほんと!ありがとう!」


女の子から『ありがとう』という言葉が出た瞬間、それは赤い光となりそのまま胸に下げていた薔薇の蕾に吸い込まれていった。

『お肌を綺麗にしたい。』『足が早くなりたい。』そんな些細な願いを一つずつ丁寧に叶えていく。感謝の言葉をもらうたびに、光が薔薇の蕾荷注がれる。

朝礼の予鈴がなるまで続いたそれに、初日からたくさんのお礼をもらえたことに、紅子は嬉しくなったが、担任の先生が入ってきたため、最初のお仕事は終了tなった。

休み時間のたびに、紅子の机の周りには生徒たちが詰めかける。


(白子も忙しいのかな。)


自分の休み時間が取れないほどの盛況ぶりに、ふと思い浮かべる白いあの子。しかし、自分たちはライバルだからと、頭を振って脳内から追い出すと、すでに向かいに立っていた次の生徒のお願いを聞く。


「紅子ちゃん。帰ろ。」


放課後も休み時間と同じように囲まれていた紅子に、黄乃が声をかけた。


「ちょっと!うちがまだ話してるじゃない。」


『次回のテストで赤点を取らないようにしたい』と願いを話していた、上級生が声を上げる。

途中で話を遮られたのが、よっぽど腹がたったのか長く揃えられる真っ赤なマニュキュアを施した爪でカツカツと机を叩いてた。


「でも、私紅子ちゃんと帰りたくて・・・。」

「そんなの一人で帰りなさいよ。うちは次のテストかかってるっての。」


上級生の勢いに押されている黄乃ちゃんに、流石にまずいと思い割って入る。


「あの、先輩!記憶力ちょっと良くしておくので、お勉強頑張ってください!」


くるっと人差し指を回し、簡単に魔法をかけカバンを引っ掴むと、黄乃ちゃんの腕を掴んで急いで教室から出た。まっすぐ玄関までくるとようやく掴んでいた腕を離す。


「ごめんね、お仕事中だったのに。」


黄乃ちゃんは、途中で遮ってしまったことに落ち込んでいたが、紅子は首を横に振った。


「そんなことないよ。朝からずっとあんな感じだったから、ちょっと疲れてたんだ。ありがとう。」


そう言うと、どちらかともなく笑い声が漏れ、二人でくすくすと笑いながら帰路に着く。

翌日も学校に着くなり、バッグを片付ける間も無く取り囲まれる。休み時間はには机の前に列ができ、休みどころではない。

常に同級生だけでなく、上級生までが我が物顔で教室に入り浸る現場に、少しずつ雰囲気が悪くなってくる。教室で各々時間を過ごしていた同級生たちは上級生に教室の隅に追いやられ、紅子乃座っている教室の後ろには、このクラスの居場所はほぼないといった状態だ。

休み時間がもうすぐ終わる頃、流石に居座る訳にはいかないため、上級生たちが自分の教室に帰っていく。それを待っていたかのように、人がいなくなった紅子の元へ、一人の女子生徒がちかずく。初日に髪の毛のお願いをして来た子だ。


「ねぇ、花咲さん。教室でお願いごと聞くのやめてくれない?」

「え?」

「『え』じゃないよ、この状況見えない?みんな迷惑してるのがわからない?」


その言葉に周りを見渡すと、初日のキラキラとした眼差しはどこにもなく、黒く濁った睨みつける視線が、紅子に刺さった。


「え、あ、ごめん。」

「毎日、先輩たちが入り浸ってさ、ここは私たちの教室だよね?おかしいでしょ?」


彼女の言葉に何も言えなくなる。言いたいことを言えて満足したのか、彼女は自分の机に帰っていった。

その後にことは何も考えられない。放課後になりまた集まってきた上級生に体調が悪いからといって断りを入れて教室出た。上級生たちが何か騒いでいるのが聞こえたが、戻る気にはなれなかった。

当てもなく歩いているが、自分は入学してから学校内を全く歩いたことがないと気づく。初日から人の願いばかりを聞いて、自分のことを後回しにしすぎたのだ。

見たことない廊下を歩き、少し影になった階段を上がると、使われていない机や椅子が積み上げられ、その隙間に運動会用の球だろうか、紅白の大きいものがギュッと詰め込まれていた。その影に見慣れた白髪を発見した。


「珍しいお客様ね。」

「白子・・・。」

「同業者の願いは叶えないわよ。」


白子は手に持っていた文庫本から視線を外さずに紅子に話かける。


「ねぇ、白子。毎日たくさんの願いごとがくるじゃない?白子はどうやってる?」

「どうって?」

「白子、全部叶え終わってここにいるんでしょ?毎日あの量をどうやってこなしてるのかなって思って。」

「叶えてないわ。」

「へ?」

「願い事を全部なんて叶えてないっていったのよ。そんなものやってられるわけないでしょ?私がこの学校で叶えた願いはせいぜい片手で足りる程度よ。」


呆れたようにため息をついて、ようやく本から視線を上げると紅子と目があった。


「なんでもかんでも、簡単に叶えているとね人間ってどんどん貪欲になっていくのよ。」

「でも、叶えて欲しいってくる願いを無碍にはできないよ。」

「別に無碍にはしてないわ、取捨選択をしているだけよ。貴方も少し考えた方がいいわ。言われたその願いが叶えるほどの価値があるものなのか。」


白子の突き放すような言い方に、紅子は頭に血が昇る。


「願いに価値なんて言い方!どれも平等だよ!」


紅子からすれば、全ての願いは平等だ。そこに大きいも小さいもないと考えている。だからこそ白子の発言は許せないものだった。


「そんな甘い考えだから、薔薇もそんなことになるのよ。」


白子の言葉に急いで、胸に下げているガラス球を見ると、鮮やかな赤だったはずの薔薇は花びらの根元から黒ずんできていた。


「何これ!」

「根腐りでしょ。あんなに毎日安っぽい感謝を与えてたらそうもなるわ。普通の薔薇だって水をあげ過ぎれば枯れるのよ。」

「え・・。どうしよう。」

「さぁね。私も手探りで育ててるんだからわかるわけないでしょ。」


白子は本にしおりを挟むと、さっさと立ち上がりスカートのほこりを払うように2回ほど叩くと、階段を降り始めた。

ちらりと紅子を見たが、何を言うわけでもなくそのまま明るい廊下に出ていってしまう。紅子は黒ずんだ薔薇に呆然と立ち尽くすしかなかった。


白子に言われた「取捨選択」という言葉が頭の中をぐるぐると回っている。いつものごとく上級生たちが教室に詰めかけていた気がするが、何か適当な言い訳をして断ったような記憶はあるが、気がついたら靴箱の前で自分の靴を履き替えていた。靴を手に取った時、息を切らせた黄乃が紅子の肩を掴んだところで、意識がはっきりと戻る。


「ちょっと紅子ちゃんってば!どうしたの!?」

「え、あ、ごめん。」

「何回も声かけたのに、こっちも見ずに教室出てっちゃうから驚いたよ。」

「そうだったんだ、ごめんね。全然気がつかなくて。」

「何かあったの?」

「え。」

「全然元気がないから、何かあったのかなって思ってさ。よかったら話聞くよ。」

「いや、でも。」

「一人で悩んでるよりも、話した方がスッキリするかもしれないし。悩み事の整理ができて解決策を見つけられるかもしれないしね。」


『話しても良いものか。』と紅子は悩んだが、黄乃の言うことも一理あると従うことにした。

黄乃は赤子を連れて、学校から少し離れたファミレスに入る。

黄乃はパフェとドリンクバーを注文したが、紅子はお腹が空いていないとドリンクバーだけを注文した。

お互いにドリンクバーを取りに行き、黄乃のパフェが運ばれてきたところで、黄乃が口を開く。


「それで?突然そんな顔でどうしたの?結構ひどい顔だよ。」

「そ、そうかな。」

「うん。すごく不安ですって顔してる。」

「あんまり言わないで欲しいんだけど。」


そう言うと、胸元に下げていたガラス球を黄乃の前に差し出す。黄乃が中を覗くと、花びらが数枚、根元から黒ずんできた。


「え、これって薔薇の蕾だよね?」

「うん。薔薇館の当主になるにはみんなの願いを叶えて、感謝をこの薔薇に与えて咲かせる。そして、綺麗に咲かせた方が当主になるの。でも、私の花はこんな状態で・・・。どうしよう。」

「なるほどね、薔薇館の大人には相談したの?」

「まだ・・・。それに、こんな状態を見せたら当主候補から外されちゃうかもしれない・・・。」


紅子は泣きそうになりながら、ガラス球を握り混んだ。


「この黒ずんでる原因を考えて、解決しないといけないってことだね。」


紅子から一通りの説明をきいた黄乃は、顎に手を当てて、考え込む。しばらく、ウンウンと唸っていたが何かを思い出したように紅子を見た。


「ねぇ、これってやっぱり白子ちゃんの言う通り、お水のあげ過ぎなんじゃないかな?」

「お水のあげ過ぎ…。」

「だって、ここ最近ずっと先輩たちのお願い叶えてたでしょ?しかも休み時間のたびに。」

「うん。」

「植物ってたっぷり水をあげれば育つってわけじゃないんだよね。お水をあげ過ぎると根腐りを起こす。だから、多分願いを叶え過ぎてるんじゃないかなって。」


「願いの叶え過ぎ・・・。」


白子にも言われたが、やはり根腐りなのかもしれない。


「白子にも言われたんだ。叶える願いを選べって。でもあたしは願いは平等だと思ってて、それを選ぶなんて・・・。」

「でもさ、紅子ちゃんがいつも叶えてる願い事って、『テストの点数を上げてほしい』とか『肌荒れを治したい』とか本人の頑張り次第で自分で叶えられる願いだよね?」

「自分で叶えられる願い・・・。」

「そうそう。だからさ、叶える願いを選んでもいいんじゃないかな。薔薇館ってそうゆうところでしょ?」

「そうだね・・・。そうだった・・・。薔薇館は、最後に行きつく願いの館。自分ではどうにもできない願いを叶えるところだった。」

「うん。だから、良いんじゃないかな?選んでも。」


にっこり笑う黄乃にようやく紅子は活路を見出した気がした。


「明日から、少し断ってみようと思う。」


そう言うと、黄乃はうんうんと頷くと、パフェについている苺に齧りつく。

「それと、もう一つ。願いを叶える場所どうするの?教室で注意されてたでしょ?」

「そうだった・・・。どうしようかな。」

「教室でやるのがダメなんだよね。」

「そうか!空き教室とかを借りればいいんだ!」

「明日朝、職員室に聞きにいってみようか。」

「そうだね!」


解決策を思いついたからか、急にお腹が空く。

ざっとメニューを見た後に、店員をよび目についたブルーベリーのパンケーキを頼む。

店員の持ってきたパンケーキは、しっかりと焼かれた生地にとろりと垂れた白い生クリームとそれに沿うように流れるブルーベリージャムがとても良い香りを漂わせている。

口に含むと、生クリームの甘みとブルーベリーの酸味がよく合っていた。


翌朝、紅子と黄乃はまだ人が少ない校舎を二人並んで歩く。

目的地である職員室につくと、3回ノックして扉を開いた。


「「失礼します!」」


声を揃えて挨拶をし、目当ての先生を探す。ジャージをきた強面の学年主任だ。ちょうどマグカップを持って自席に腰を下ろしたところだったようで、キャスター付きの椅子がギシリと音をあげる。


「先生。少し良いですか?」

「お、花咲。清水もいるのか。ずいぶん早いな。」

「私たち先生にお願いごとがあるんです。」


そう言って、紅子は口を開いた。

用事を済ませると、上機嫌で紅子と黄乃は職員室を後にする。

その足で教室に行くと、すでに紅子の席の周りには上級生たちが集まっていた。教室に紅子が入ってきたことに気がつくと、ニコニコと紅子を囲んむ。


「私のお願いはね・・・。」


紅子がバッグを片付ける間も無く、話し始めた上級生に、紅子自身が静止した。


「今日から、教室でお願いを聞くのはやめにしました。」

「へ?」

「あと、お願いごとを全部叶えるのもやめました。」


突然の宣言に上級生たちは声も出せずに、固まっている。


「じゃぁ、私たちのお願いはどうするのよ!叶えてくれるって言ったからわざわざ来たのに!」

「いえ、叶えないとは言ってないです。全部叶えるのをやめると言ったんです。」


そう言うと、紅子はバッグからチラシを一枚取り出した。文句を言った上級生の前に差し出し、受け取るよう促す。


「今日から、東の校舎にある空き教室に放課後だけ『相談室』を開設します。お願い事を叶える手助けをしますから、ぜひ来てくださいね。」


そこから、休み時間のたびにくる上級生や時には別のクラスの同級生に『この場では相談は受けない』という言葉と共に、チラシを配った。

そして、訪れた放課後。職員室に行き、学年主任から今朝頼んだ空き教室の鍵を受け取る。

空き教室に向かい、鍵を開けると少し埃っぽいので窓を開ける。机を動かして、相談室を作る。黄乃も一緒に手伝って、パーテーションを置いてくれた。

ある程度形になったところで、一人目の相談者がやってくる。


「いらっしゃい。今日はどういった相談ですか?」


一人ずつ、丁寧に耳を傾けるように相談ごとを聞く。自身の努力で解決するものはアドバイスにとどめ、勇気が出るようなおまじない程度の呪文を少し大袈裟にかける。これは黄乃のアイディアだ。

スッキリした顔で出ていく人もいれば、簡単に魔法を使ってくれないとわかった瞬間から怒鳴るような人もいるが、概ね初日は良好だった。

日が傾く頃、最後の相談者が帰る。学年主任との約束で教室を元の状態に戻すため、黄乃と片付けをしていると、突然ドアが引かれる音がする。入り口を見ると白子が立っていた。


「やめたんだ。全部叶えるの。」

「うん。まだ1日目だし、選ぶのって難しいなって思うけどね。」

「良いんじゃない。難しくって。だってそれがあなたでしょ。」


そういうと、白子は踵を返し茜色の廊下に消えていった。

教室の片付けを終えて、鍵を返し二人並んで廊下を歩く。


「黄乃ちゃん。ありがとう。」

「なぁに、急に。」

「あたし一人だったら、全部のお願いを叶えてこの薔薇を枯れさせちゃったと思うから。だからありがと。」


しっかりと黄乃の目をまっすぐ見つめ、紅子は『ありがとう』を口にする。


「どういたしまして。」


微笑む黄乃の顔に茜色の光が刺していた。

この美しい景色は一生忘れることはないだろうと、そして、紅子の頭によぎる。

(多分、あたしの薔薇はこの色だ。)

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