第17話 うるさい

 がやがやした居酒屋で心太と二人でから揚げと枝豆を注文した。心太はビールを苦そうな顔で飲んでいる。

「美味しいの?」

「美味しくはないけど…」

「どうしてそれにしたの?」

「空、うるさい」と言って、目をぎゅっと閉じて、ぐいっと飲み干した。

 そんな心太の顔を見ながら、彰吾君のことを思い出す。彰吾君からはこんな意地悪な返しをされたことがなかった。私がわがままを言うたびに、いつも少しだけ困ったような顔をしてから、微笑んでくれていた。

 私は甘くておいしいカシスオレンジを飲んでいる。

 カシスオレンジとから揚げは合わないけど、お腹空いていたから食べた。

 心太とご飯を食べに行くことになったのは、偶然、駅で会ったからだ。お互いお腹が空いていて、でも心太が少ししかお金がなかったから、格安の居酒屋に来た。別に私はファーストフード店でもいいと思ったけれど、心太はそれじゃお腹空くと言う。

「ねぇ」と私が声をかけると大きな目で睨まれた。

 だから黙ってメニューを見て、焼きそばとフライドポテトも頼んだ。

「おい」と心太が言う。

「半分あげる」と私が言うと

「そりゃ、そうだろう。居酒屋なんだから」と言った。

「どうして?」

「空」

 またうるさいと言われるのかと思ったら、鞄から財布を取り出して

「これしかない」と見せる。

 だから私も同じように財布を出して、中身を見せた。

「え? 結構入ってる」

「そうなの。バイト代たくさんくれて」

「えー。不当に高くないか?」と心太が口を歪ませて言う。

「ちゃんと働いてるもん。だから焼きそばとポテトは私が払うから。心太も半分食べていいよ。だから質問には答えて」

 悔しそうな顔をする心太を見て、私は愉快だった。

「空、そう言うの良くないぞ。お金で人を操るような」

「だって、聞きたいから。どうして美味しくないビール飲んでるのか」

 心太は顔を横向けて

「練習」と言った。

「練習?」

 心太のクラブでは飲み会もよくあるのだが、お酒が飲めないとつまらないやつだと思われ、お酒が飲めてもおいしいカクテルやチューハイだとなんだか軽く扱われるらしい。それで好きでもないビールを飲む練習を私としていると言う。

「大変だね」

「まあ。だから言いたくなかったんだよ」と怒った口調で言う。

 目の前にフライドポテトを焼きそばが運ばれてきた。

「好きなだけどうぞ」と私が言うと、少し膨れた顔をしたが、フライドポテトをつまんだ。

 焼きそばを自分のお皿に入れて、私は食べる。

「心太、好きな子いないの?」

「いたら、ここにいるわけない」

「じゃあ、アドバイスするけど、そんなに膨れてたら振られちゃうよ?」

 固まった顔で私をじっと見る。

「心太は男前なんだからさ。後、女の子に優しくするだけで、もてると思う」

「分かんねぇよ。妹は気が強いし」

「そっかー。でももう少し笑うとかさ」

 アドバイスすると、無理やり口を横に引っ張った。彰吾君とは全然違う。

「うーん。後少しなんだけどなぁ」と言うと「うるさい」と返って来た。

 優しくしたらもてそうなのになぁ…と思っていたら、突然

「樫木先生には気をつけろよ」と言われた。

 今度は私が驚いて心太を見た。

「優しいだろうけど、空なんか、ぱくって食われちゃうからな」

 ぱく。

 私が食べられる。

 何だかその言い方が可愛くて、私は少し笑ってしまった。

「笑いごとじゃねえよ」

 心配してくれる心太を私はひとことで安心させられる。

「心太。私、恋愛できないよ?」

 安心させるつもりが気まずそうな顔をさせてしまった。

「…それは…分かんねぇけど。二年前…樫木先生のゼミ生が自殺未遂したって」

 それと先生がどう関係あるのか、と聞こうとしたら

「片思いしてたって…」と心太が言った。

「うるさい」

 そう言って、私はビールを注文した。樫木先生からもらったバイト代を使って、何をしているんだろうと思ったけれど、そんな不確定な噂話を聞きたくなかった。

 でも一方で死ぬほど好きになれたその女性の気持ちを想像してみると、不思議なことに私の胸に熱が灯った。

 ビールが運ばれると、私は口をつけて一気に飲んだ。苦くて、少しも甘くない。でもなぜか私はそれが好きだと感じた。

 目を丸くしている心太に微笑んだ。

「悪くない」

「わー、空に抜かされた」とテーブルに頭を突っ伏す。

「心太、うるさい」

「空、うるさい」

「ねぇ、うるさいついでに聞くけど、恋ってどんな気持ち?」

「そりゃ、ふわふわするんだろ?」

「心太も知らないのか」

「空は知ってるのかよ」

「好きな人いたよ。小さい頃」

「それなら俺もいた。幼稚園の英美里ちゃん」

 ふわふわしたカールの髪が可愛くて、いつも一緒に遊んでいたという。私の彰吾君も同じようなものかな、と思ったけど、少し違う気がした。

「どうしてるかなぁ。英美里ちゃん」

「会ってないの?」

「小学校になってから会ってない。違うところ行ったし」

「いつか会えるといいね」

「いや、いいよ。もう忘れてるだろうし」

 でも心太は英美里ちゃんが生きている限りは会えるのだ、と私は思った。 ビールをぐっと飲むと、これはからあげと合うな、と思いながら、何だか鼻の奥がつんとした。

 周りの楽しそうな騒音を聞きながら、私は彰吾君に会いたいと思った。そしてわがままばかりだったことを謝りたい。

「空、そろそろ帰ろうか」

 まだ残っているテーブルを指さして、私は首を横に振った。

「全部、食べて帰ろう。心太、たくさん食べて。ビールってお腹いっぱいになる」

 そこから無言で食べ終えた。

 お酒を二杯飲んだ私は上機嫌だ。支払いもちゃんとして、店を出ると、丸い月が浮かんでいた。

 二人とも少し月を眺めた。お互い会いたい人を思って。

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