第7話 カシスオレンジ
晩御飯を食べた後、家にいる帰ると叔母さんが玄関で待っていた。
「空ちゃん、お帰り」
私はなんだか悪いことをしたような気持ちになった。
「ただいま…。遅くなってごめんなさい」
「空ちゃんも…お友達との付き合いがあるものね」と言うから、曖昧に笑う。
一人でご飯を食べてきたことは良かったのだろうか、と分からなくなった。
「伯母さん。明日…」
「気にしないで。空ちゃんのいいようにしてね」
そういう伯母さんは寂しそうに笑った。
私の方こそ、伯母さんに言って欲しいと思う。私がいていいのか、それは辛いことなのか。
「あ、友達に聞いてから…また連絡します」
そう言うしかなかった。もし私と言う存在が辛いものだとして、私の居場所は他になかった。
「空ちゃん…」
伯母さんの瞳が揺れている。
「本当にいいようにしてね」
「ありがとうございます」
伯母さんが私に何を言いたいのか分からない。もしそれを知ったら、私はどうなるのか怖かった。
『知らなくていい』
父の声が私を縛っている。
その夜、私は何度もパソコンに向かって、キーワードを入れようとした。でも何もできずに空白の四角の枠を眺めることしか出来ない。
黒いカーテン。
目を閉じたのではない。
真っ黒になったのだ。
カツカツカツ。硬い音。その音がすごい速さで近づいてくる。
カツカツカツ。
あの時だけ。いつもは違ってた…?
『空ちゃん』
私の名前を呼ぶ声。
知ってる。
ずっと助けられていたあの声。
暖かい何かが広がる。私の意識は途切れた。
携帯が鳴って我に帰る。目の前のパソコンの光が青白く部屋を照らしていた。
「もしもし?」
心太だった。
「どうかしたの?」
「今日…樫木先生と一緒だった?」
「うん。バイト代払ってくれるついでにお昼ご飯ご馳走になって」
馬鹿正直に説明した。あれだけ人目に付いたんだから、誰からか聞いたんだろう。
「そっか。じゃあ、ご飯食べに行こうか」
バイト代入ったらと言う約束だった。
「あまり高いものじゃなかったら良いけど」
「そうだなぁ。俺のバイト先の居酒屋来ない? ワンドリンクサービスするよ」
「わかった」
私は居酒屋も行ったことなかったし、お酒も飲んだことなかった。
初めてそう言う場所に行く。
居酒屋は賑やかで、どこのテーブルも話が弾んでいる。心太はバイト先だと言うことで、いろんな人と話をしている。私はお酒を飲んだことないので、どれが美味しいのかわからない。
「初めてお酒飲むから…どれが良いのかわかんない」と言うと、心太が
「オレンジ好き?」と聞くから頷いた。
「じゃあ、カシスオレンジにしたら?」
なんだか分からないけれど、それにした。初めて飲むお酒はジュースみたいに飲みやすくて、そしてふわふわした。からあげ食べたり、ポテトサラダをつまんだりするのも新鮮だった。お酒が入ったせいか、どんな話も楽しくなってくる。バイト先の先輩が心太を揶揄ってくることも笑ってしまう。
「空も笑うんだな」
「え?」
不意に言う心太の言葉を笑いながら聞き返す。
「初めて見たから」
「そうだっけ?」
カシスオレンジは半分減っていた。
「楽しい?」
「今? 楽しいよ。初めてお酒飲んで、居酒屋も初めてで」
なんとも言えない表情で心太は
「そっか」と言う。
「え? 何?」
「ううん。…空は子どもの頃、どんなだった?」
突然投げかけられた質問に出た答えは
「普通…だよ」だった。
カシスオレンジを飲んでももうふわふわした気持ちに戻らなかった。
「きっと可愛かったんだろうな」
心太が何を聞きたいのか、多分、ごく普通の一般的な話だろうと思う。どんな子どもだったかなんて、何の触りもない話のはずだった。
「心太は?」
「俺…結構やんちゃだった」
それを聞いて、私はほっとした。心太が健やかな時代を過ごせたことが私も嬉しい。
「そうなんだ」
私のその穏やかな気持ちが心太に伝わったのか、心太が
「おかげさまで」と言った。
なぜか少し心に引っかかった。カシスオレンジの氷が溶けて少し上澄が透明になる。私は薄まった飲み物をそのまま口にした。
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