第39話 カズキの気づき
「……だから、今日は、あんたと一緒に来られて、すごく嬉しい。……ありがとう、カズキ。私はあなたが大好きよ。本当の婚約者になって」
耳元で囁かれた、か細く、しかし確かな熱を帯びた声。花の香りと、彼女の体温が、俺の理性を優しく溶かしていく。
もう、どうにでもなれ。
俺は、彼女の華奢な肩を、そっと抱き寄せる。泉の水面が、夕日を浴びて、どこまでも赤く、輝いていた。甘い沈黙が、二人を包む。シルヴィアが、俺の胸に顔をうずめ、安心したように息をついた。
だが、その温もりを感じた瞬間、俺の脳裏に、二人の女性の顔が鮮明に浮かび上がった。
夕日を背に、涙ながらに「好きです」と告げてくれた聖女セレスティア。
時の異空間で、「あなたの妻になりたい」と昏い情熱を瞳に宿したメイドのシノン。
ハッと我に返った俺は、慌ててシルヴィアの肩から手を離した。
「え……?」
シルヴィアが、不安そうな瞳で俺を見上げる。その期待に満ちた瞳が、罪悪感となって俺の胸に突き刺さった。
「悪い、シルヴィア。告白は嬉しい。でも……今すぐには、答えられないんだ」
俺の言葉に、シルヴィアの顔からさっと血の気が引いた。潤んでいた瞳が、みるみるうちに傷ついた色に変わっていく。
「……なんでよ。私のこと、好きだって言ってくれたじゃない」
「ああ、好きだ。仲間としても、一人の女の子としても、お前も最高に魅力的だと思う」
「お前も……?」
俺は、覚悟を決めて、正直に打ち明けることにした。ここで曖昧な返事をすることは、彼女たち全員に対して、あまりにも不誠実だ。
「俺はセレスティアやシノンにも、同じように気持ちを伝えられてるんだ。二人も、本気で俺のことを好きだって言ってくれたんだ。それまで俺はみんなをそういう風に意識したことはなかった……だから……」
「やっぱりあいつらも抜け駆けをしていたのね……それに、私の気持ちはやっぱり通じてなかったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、シルヴィアは一瞬、悔しさに唇を噛み締めて顔を下げる。
傷つけてしまっただろうか……だけど、彼女たちの心を無視することはできなかったのだ。
しかし、俺の心配とは裏腹に彼女はすぐに顔を上げた。その瞳には、いつもの強気な光が戻っている。
「……ふんっ。あんたが朴念仁で、他の女にも好かれているのは百も承知よ」
シルヴィアは立ち上がると、ドレスの裾についた土をパンパンと払い、俺に向かって不敵に笑いかけた。
「いいわ。せいぜい悩みなさい。でもね、カズキ。最終的にあんたが選ぶのは、この私だって、必ずわからせてあげるから。……いつまでも待っててあげる。だから……」
彼女は一歩、俺に近づくと、潤んだ瞳で俺を睨みつけた。
「ちゃんと考えて答えを出しなさい。中途半端な答えじゃゆるさないんだから!!」
それだけ言うと、彼女はぷいと顔をそむけ、先に歩き出してしまった。その尖った耳が真っ赤に染まっているのを、俺は見逃さなかった。彼女の強さと、その裏にある優しさに、俺はかっこいいなと思うのだった。
そうして、エルフの里でのデートは、甘くも切ない思い出を残して終わりを告げた。
転移魔法で屋敷の自室に戻った俺は、着替える気力もなく、ベッドに背中から倒れ込んだ。
天井を見上げながら、今日一日の出来事を、そしてここ最近の出来事を反芻する。
シルヴィアの真剣な告白。セレスティアの涙。シノンの重い愛。
彼女たちの行動は、もう「貞操逆転世界の常識」という便利な言葉では、到底片付けられない。そこにあるのは、間違いなく、俺個人に向けられた、真剣で、重く、そしてどこまでも深い愛情だった。
「やっぱり、何かがおかしいよな……」
俺は、混乱する頭を抱えて起き上がる。今まで無理やり「貞操逆転世界だから」と納得させてきた数々の出来事が、パズルのピースのように頭の中で散らばり、不協和音を奏で始めた。
「そもそも……この世界、本当に男が少ないのか?」
そう考える根拠はいくつかあった。
俺が領主になってから、街を視察する機会は何度かあった。確かに、俺の屋敷の周りや、俺に直接関わってくる人間は女性ばかりだ。だが、市場の奥の方で荷運びをしていた屈強な男たち、酒場でくだらない話に花を咲かせていた中年男性たち、そして、シルヴィアの里にだって、父親のアルコウスさんを始め、多くの男性エルフがいた。
俺が救った元の世界と、男女比率が劇的に変わったようには、冷静に考えれば思えない。俺の周りだけが、意図的に女性で固められているような、そんな不自然さを感じる。
「それに、街の人々の反応も……」
街で俺がちやほやされるのは、「領主様」であり「魔王を倒した英雄」だからという側面が強い気がする。他の男性が、女性たちから過剰なアプローチを受けている場面なんて一度も見たことがない。むしろ、普通の恋人同士のように、男性が女性をエスコートしている姿さえ見かけた。
イザベラにしてもそうだ。彼女は俺を「勇者」として欲していた。もし本当に男が貴重な世界なら、「男だから」という理由がもっと前面に出るはずじゃないのか?
「それにセレスティアも、シノンも、シルヴィアの言動もだ」
彼女たちの言動は、「女性が積極的なのが常識」というには、あまりにも個人的で、感情的すぎる。
セレスティアは、俺が他の女と話すだけで嫉妬に狂いそうになる。それは「常識」ではなく、明らかに俺個人への独占欲だ。
シノンは、俺を「管理」しようとする。それは、貴重な存在を守るというレベルを超え、俺という人間を自分だけのものにしたいという執着そのものじゃないか。
シルヴィアに至っては、「婚約者」という特別な関係を主張する。貞操逆転世界なら、もっとオープンに多数の男性と関係を持つのが普通かもしれないのに、彼女は俺一人に固執している。
そして、決定的なのは、彼女たちの「苦悩」だ。
告白する時の、あの必死な表情。自分の重い感情が俺に受け入れられるか不安がる姿。もし女性からのアプローチが当たり前なら、あんなに思い詰める必要はないはずだ。まるで、この世界の「常識」から外れた、禁断の恋に身を焦がしているかのように見えた。
脳裏に、あの胡散臭い神の顔が浮かぶ。
『愛は重ければ重いほど嬉しい』『甘い監獄みたいなハーレムが俺の望み』
確かに、俺はそう言った。だが、それはあくまで、そういう設定の世界での話だと思っていた。彼女たちが、本気で俺に心を焦がし、苦しむなんて、望んでいたわけじゃない。
「まさか……この世界は、貞操逆転異世界なんかじゃなかったのか……? 俺が転生したんじゃなく、元の世界で……ただ、俺を好きになったあいつらが、暴走してるだけ……?」
その結論に思い至った瞬間、ぞっとするような感覚と、同時に、胸が締め付けられるような愛しさがこみ上げてきた。
だとしたら、彼女たちのあの過剰なまでの束縛も、監視も、独占欲も、全てが俺への本気の恋心から来ているということになる。俺が「世界の常識だ」と呑気に受け入れていた行動の一つ一つが、彼女たちの必死な愛情表現だったのだ。
「セレスティアも、シノンも、シルヴィアも、みんな本気で俺を……。じゃあ、俺は、どうすればいいんだ? 一人を選ぶなんて、できるわけない。でも、このままじゃ、みんなを傷つけるだけだ……!」
頭が割れそうだった。嬉しいはずなのに、苦しい。幸せなはずなのに、罪悪感で押し潰されそうだ。
俺が、答えの出ない問いに頭を抱え、苦悩のどん底にいた、その時だった。ふわり、と部屋の空気が揺らめいた。
そして、俺の鼓膜を、聞き覚えのある、飄々とした関西弁が心地よく、しかし今は忌々しく響いた。
「――なんや、勇者クン。せっかくボクが用意したった『甘い監獄』で、随分と悩んでるみたいやないの」
ハッと顔を上げると、部屋の窓枠に、月を背にして腰掛けた見慣れた青年の姿があった。糸のように細い目に、全てを見透かしたような胡散臭い笑み。
「ロキ様……!?」
俺をこの甘美なる地獄へと突き落とした張本人が、面白くてたまらないといった表情で、そこにいたのだった。
★★★
ロキ様むっちゃ楽しそう……
面白いなって思ったらフォローや星を下さると嬉しいです。
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