第35話 シノンとの一週間

「ですから……あなた様の全てを知るために、そして、わたくしの全てを知っていただくために。少しの間だけ、ここで二人で暮らしましょう」



 静かな森に響き渡ったシノンの言葉に、俺は完全に思考を停止させた。


 二人で、暮らす? しかも、一週間も?



「いやいやいや、待て待て! さすがにそれはやりすぎだろ! 同棲なんて、心の準備が……!」

「ご心配には及びません。生活に必要なものは、全てご用意いたします。ご主人様は、ここでくつろいでくださればよいのです。なれない領主の業務でお疲れでしょう?」



 俺の狼狽を、シノンはいつもの無表情で、しかし有無を言わさぬ口調でいなす。


 正直領主の業務はセレスティアとシノンがほぼやってくれているので全然疲れていない。

 だけど、シノンはシノンなりにデートを考えてくれたのだろう、ならば断わるのも失礼になるというものだ。


「……わかった。シノンがそこまで言うなら、お世話になろうかな」



 俺が覚悟を決めて頷くと、シノンの口元が、まさに計画通り……と笑っているのを、俺は見逃していたのだった。



【一日目】


 小屋での生活が始まってすぐ、俺はシノンの『お世話』が屋敷にいた頃とはレベルが違うことをさっそく思い知らされた。

 昼食の時間。テーブルには、俺の好物ばかりがずらりと並んでいた。香ばしい匂いが食欲をそそる。



「すごいご馳走だな、シノン! まるで何かの記念日みたいだ!」

「あなた様と過ごす時間は、毎日がお祝いのようなものですから」



 さらりと言ってのけるシノンにドキリとしながら、俺がフォークに手を伸ばした、その時だった。



「お待ちください、ご主人様。それは私の仕事です」



 シノンは焼きたてのグラタンを小皿に取り分けると、ふーふーと息を吹きかけて冷まし、俺の口元へ差し出した。



「さ、どうぞ。お口を開けてください」

「いや、さすがに二人きりで『あーん』は恥ずかしいって! 自分で食べられるぞ」

「いいえ、いけません。あなた様を甘やかし、骨の髄まで堕落させ……いえ、あなた様の食事のお手伝いをするのが、専属メイドの喜びなのです。さあ、遠慮なさらずに」



 有無を言わさぬその瞳に、俺は観念して口を開けるしかなかった。クリーミーなグラタンが口の中に広がる。美味しい。美味しいが、それ以上に、至近距離で見つめてくるシノンの視線が恥ずかしくて、味がよくわからなかった。



 そして、夜。風呂から上がると、シノンが当たり前のように脱衣所で待ち構えていた。



「ご主人様、お体を拭かせていただきます」

「待った、それくらい自分でできるって」

「濡れたままでは風邪をひいてしまいます。あなた様の健康管理は私の最優先事項です」



 最初こそ抵抗してタオルの引っ張り合いになったものの、結局、俺はなされるがまま、大きなバスタオルで全身を優しく拭かれた。

 背中から始まり、胸、腕、そして足先まで。その手つきは驚くほど丁寧で、しかし、太ももや脇腹のような敏感な箇所に触れるたび、彼女の指先がわざとゆっくりと滑るような気がして、俺の体は変に熱くなった。



【三日目】


 この生活にも、少しずつ慣れてきた。いや、慣らされてしまった、と言うべきか。

 朝、シノンがベッドに入ってきて、優しく体を揺さぶられて起こされる。寝ぼけ眼のまま、彼女に服を着せてもらう。食事は全て「あーん」で食べさせてもらい、食後にはデザートまで用意されている。



「シノン、そろそろ自分でやらないと、本当にダメ人間になりそうだ……」

「それで、よろしいのです」



 俺が情けない声を出すと、シノンはこともなげに、しかし確信に満ちた声で言い切った。



「あなた様はこれまでこの世界のために頑張り続けてくれたのです。ですから、この一週間くらいは何もせず、何も考えずにゆっくり休んでください」



 まるで子供をあやすかのように頭を撫でられる。気持ちい感触とシノンの甘いに匂いに少し頭がぼーっとしてくる。

 なんだろう……このまま彼女の言葉に従っていんじゃないかと思えてくる。



「ご主人様は、何も考えず、何もなさらず、ただわたくしに全てを委ねてくれればいいのです。あなたがわたくしなしでは、食事も、着替えも、お風呂も、何もできなくなってしまうこと。それこそが、私の至上の喜びであり、存在意義なのですから」


 夢心地の俺が最後に見たのは、 月明かりに照らされた彼女の瞳が、一瞬、昏く、深い光を宿したように見えた。背筋がぞくりとしたが、それはきっと、この非日常な空間と、彼女の過剰なまでの献身が生んだ錯覚だろう。


 だけど、思うのだ……その姿はとても美しいけれどどこか危険な香りがすると……




【五日目】


 小屋での生活も五日目。俺はそのほとんどシノンに任せていた。

 昼下がり、暖炉の前のソファでうたた寝をしていた俺は、ふと、柔らかな感触に気づいて目を覚ました。いつの間にか、俺はシノンの膝の上に頭を乗せていた。いわゆる、膝枕というやつだ。



「……シノン?」

「お目覚めですか、ご主人様。少しお疲れのようでしたので。……さあ、動かないでください。お耳のお掃除をさせていただきます」



 彼女が取り出したのは、フワフワの梵天がついた耳かき。断る間もなく、その先端が俺の耳にそっと差し込まれる。カリ、カリ、という小気味いい音と、ゾクゾクするような心地よい感触に、俺の体から力が抜けていく。



「……気持ちいい……」

「ふふ、よかったです」



 シノンの吐息が、耳元をくすぐる。その声は、いつもより甘く、とろけるようで、俺の意識を蕩かせていく。



「ご主人様の耳は、とても素直で可愛らしいですね。この耳は、もう、私の声だけを聞いていればいいのです。他の女の、耳障りな声など、もう必要ありませんよね……?」


 囁くようなその言葉は、まるで催眠術のように俺の心に染み込んでいく。半分眠っているような状態で、俺はただ「ん……」と曖昧に相槌を打つことしかできなかった。シノンが、その返事を聞いて満足げに微笑んだことにも気づかずに。



【七日目】

 外界では、まだ一日しか経っていない。しかし、この小屋の中での七日間は、俺という人間をすっかり変えてしまった。



 朝、シノンが起こしに来てくれるのを、ベッドの中で今か今かと待っている自分がいた。彼女が甘く可愛らしい声で「起きてください、ご主人様」と言ってくれると幸せな気持ちになるのだ。


 食事の時、彼女がスプーンを差し出す前に、無意識に口を開けている自分がいた。シノンが少しの間、薪を取りに小屋の外へ出ただけで、言いようのない不安と寂しさに襲われる自分がいた。


 もう、ダメだ。俺は、シノンがいないと、息の仕方さえ忘れてしまいそうだ。


 その日の夜。パチパチと音を立てて燃える暖炉の火を、俺たちは二人並んでソファから眺めていた。シノンが淹れてくれたハーブティーの温かさが、心地よく体に染み渡る。


「……なあ、シノン」

「はい、ご主人様」

「もう……俺はこれ以上ここにいたらダメになっちゃう気がするよ。シノンがいない生活が考えられなくなってきた……」



 ぽつりと、本音が漏れた。彼女が忠誠心で俺のために世話をしてくれているのはわかる。だが、このままでハーレムもセレスティアの告白も考えれらなくなってしまう。そんな気したのだ。



「……ご主人様。そのお言葉、ずっとお待ちしておりました」



 シノンは持っていたティーカップを静かにテーブルに置くと、俺の方へと体を向けた。その真剣な眼差しに、俺は息を呑む。

 そして、彼女は俺の手に、自分の手をそっと重ねた。いつもは少し冷たい彼女の手が、今は信じられないほど熱い。


「わたくしは、これまであなた様の『専属メイド』としてお仕えしてまいりました。ですが、もう、それだけでは満足できません」



 シノンの美しい青い瞳が、まっすぐに俺を射抜く。その瞳の奥には、メイドとしての忠誠心だけではない、一人の女性としての、深く、燃えるような愛情が宿っていた。



「わたくしは、あなたの人生の、全てになりたい。あなたの喜びも、悲しみも、その全てを一番近くで分かち合いたいのです」



 彼女は、重ねた手にぐっと力を込める。その声は、わずかに震えていた。



「ですから、ご主人様……どうか、わたくしを……あなたの本当の『家族』に、してくださいませんか?」

「かぞく……?」


 彼女の言葉に俺は思わず困惑の声を漏らすのだった。




★★★


徐々に依存していくのってこわいですよね……



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