八献め:一ヶ月目の『給金日』と、小さなかんざし

小春が黒瀧城に来て、ちょうど一月が経った。

その日の昼過ぎ、いつものように厨房で夕餉の仕込みを考えていると、筆頭家老の十郎様が血相を変えて飛び込んできた。


「小春様! 殿がお呼びでございます! 大至急、執務室へ!」

「えっ、何かあたし、やっちゃいましたかね!?」

「いえ、そうではなく! と、とにかく! さあ、こちらへ!」


十郎様に急かされるまま、あたしは執務室へと向かった。そこはまつりごとの中心。普段は食事を運ぶ侍女以外、誰も近づけない場所だ。一体、なんの御用だろう。



部屋に入ると、政宗様は山と積まれた書状を脇に寄せ、難しい顔であたしを待っていた。その手元には、ずしりと重そうな金子の入った袋が一つ。


「よく来たな、小春」

「お呼びと伺い、参上しました。あの、何かご用でしょうか?」


あたしが恐る恐る尋ねると、政宗様は無言で金子袋をあたしの前へすっと押し出した。


「今月分の『契約料』だ。受け取れ」

「け、契約料……?」


そうだ、忘れてた! あたしはこのお城に、家の借金を返すための契約で来ているんだった。毎日美味しいご飯のことばかり考えていて、すっかり頭から抜け落ちていた。


それにしても、と袋の重さにあたしは目を丸くする。実家の借金を返し、お釣りがくるどころか、一生遊んで暮らせそうなほどの大金だ。


「こ、こんなに!? 約束が違います! 多すぎます!」

「……貴様の飯には、それだけの価値がある」


政宗様はぶっきらぼうに、しかし、きっぱりと言い放った。

そのまっすぐな言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。料理人として、これ以上嬉しい言葉はない。


「いえ、でも……」

「受け取らぬというなら、契約違反とみなす」


ぐっ……。それはずるい。

あたしが渋々金子袋を受け取ると、政宗様は満足そうに頷いた。そして、ふと何かを思い出したように、懐からもう一つ、小さなきりの箱を取り出した。


「それから、……これもだ」


「?」


あたしが不思議に思って箱を受け取り、そっと蓋を開けると、中には一本のかんざしが入っていた。磨かれた珊瑚さんごでできた、小さな桜の花をかたどった、可愛らしいかんざし。あたしがこの城に来た時にいただいた、桜色の着物によく似合う。


言葉を失うあたしに、政宗様は少し気まずそうに、視線を逸らしながら言った。


「先日、脇差は……その、あまり趣味に合わなかったようだからな」


覚えていてくれたんだ。あたしが刀で大根を切るのかと当惑していたことを。そして、女の子は刀なんかより、こういうものが嬉しいだろうと、考えてくれたんだ。

あたしのために、選んでくれたんだ。


「…………」


突然、鼻の奥がつんとして、視界が滲んだ。

今まで、誰かからこんなに心のこもった贈り物をもらったことなんてなかった。父上からも、物をもらうことはあっても、それはいつも姉たちのお古だった。

あたしだけのための、綺麗な贈り物。


嬉しくて、嬉しくて、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「あの……殿。あたし……今までで、一番、嬉しいです」


しゃくり上げながら、やっとのことでお礼を言う。

そのあたしの顔を見て、政宗様の心臓が、どくん、と大きく音を立てた。

契約のためでも、命令でもない。目の前のこの女が、ただ笑ってくれることが、これほどまでに己の心を揺さぶるものだとは。


この笑顔を、もっと見たい。俺が、見せてやりたい。


初めて芽生えた、はっきりとした欲。政宗は、その衝動のままに口を開いた。


「小春」

「……はい」

「……俺以外の男の前で、涙を見せることは許さん」


え、とあたしは涙で濡れた顔を上げた。


「では、玉ねぎを切る時はどうすれば……?」

「……たまねぎ?」


政宗様の、鬼のように鋭い眉間に、くっきりと疑問のしわが刻まれた。

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