第42話_瑠美の決壊

 ――5月1日 午前2時。

  場所は、学園要塞・地下医療区画。

  非常灯だけが仄かに照らす中、避難民たちは不安と疲労にまみれて押し黙っていた。

  「もう……限界だよ……。ご飯も、薬も、足りない……」

  「これが、世界が終わるってことなのか……?」

  「子どもが、熱出してるの。誰か、誰か助けて……」

  声にならない呻きと、かすれた呼吸。

  そのすべてが、ある一人の少女の胸に押し寄せていた。

  「――……っ、ぅ……!」

  瑠美の膝が、がくりと崩れる。

  彼女の背中では、共鳴フィールドが光の揺らぎとして脈打っていた。

  だがそれは今、共感の範囲を超えて、苦悶という名の津波に変わっていた。

  「ルミさん! 駄目です、このままじゃ――!」

  かすみが駆け寄る。

  だが、瑠美の目は焦点を失い、まるでどこか別の感情世界に沈んでいるようだった。

  「……怖い、よ。みんなの気持ちが、叫んでて、止まらなくて……」

  彼女の能力は“感情を繋ぐ力”。

  本来ならそれは、仲間を繋げる癒やしと絆の魔法だった。

  だが今、対象は1500人を超える避難民たち。

  その一人ひとりが恐怖・絶望・怒り――剥き出しの負の感情を放っていた。

  「わたし、ひとりじゃ……受け止めきれないよ……!」

  全身が震える。

  共鳴フィールドが反転し、過負荷の閃光を発しはじめる。

  「――瑠美、いいから、手を出して!」

  かすみが叫んだ。

  その声には、恐れも迷いもなかった。

  「ひとりで抱えるなんて、無茶だよ……わたしが、支える!」

  ぎゅっと両手で包み込まれた瞬間、瑠美の共鳴フィールドと、かすみの“癒やし波動”が重なった。

  それは、柔らかな光。

  温かな鼓動のような波紋が、医療区画を包み込んでいく。

  悲鳴が、止まった。

  呻き声が、静まった。

  そして、泣いていた子どもが、小さく笑った。

  「ふふ……すごい……あったかい……」

  「見て、みんなの感情……今、穏やかに波打ってる」

  かすみの言葉に、瑠美は微かに頷く。

  「……うん。これなら、もう大丈夫……みんなが、少しだけ、繋がれたから……」

  だがその直後、ふらりと瑠美の身体が傾く。

  「ルミさんっ!」

  かすみが慌てて支える。

  額には冷たい汗。脈拍は不安定。

  過負荷により彼女の神経系が限界に達していた。

  「まだ終わってない……でも、もう……」

  瑠美は、かすみの腕の中で微笑んだ。

  その顔は、どこか安らかだった。

  「繋がった……みんなが、繋がれた……もう少しだけ、信じられる……」

  かすみが肩を貸しながら、そっと彼女を寝台へと運ぶ。

  光の共鳴は、静かに灯り続けていた。

  ――そのとき、避難民の一人が立ち上がる。

  「ごめんなさい……僕たち、あなた一人に背負わせて……」

  「これからは、わたしたちも……できることをやります」

  「……ありがとう」

  瑠美の声は、囁くようだった。

  それでも、その一言には確かに、彼女の願いが宿っていた。

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