第34話_凌大、裁断の剣

 午前4時。東の空がわずかに白み始めた廃工場の鏡界層。現実とは逆光の法則が働くその空間では、陽が昇るほど闇が深まるという、因果律の歪みが支配していた。

  その中心で、剣が二本、正面から激突する。

  「……まだ来るか」

  拓巳は、肩で息をしながら短剣を構える。だが、その手は震えていた。対する凌大は、額に血を流しながらも、目を伏せずに睨みつけている。

  「千紗を……誘拐した理由を、聞こう」

  「……必要だった。勢力を崩された〈零視点〉にとって、駒じゃなく――“札”が」

  「答えになってない」

  ビリ、と空気が鳴る。凌大の剣が〈鏡界〉の地面ごと裂いた。黒く染まった瓦礫が浮き上がり、拡散するように周囲へ広がる。

  「人を札に喩えるな。命に序列をつけるな。俺は、そういう“理屈”を何度も許してきた。そして、そのたびに誰かが――」

  凌大は言いかけて止め、目を伏せた。

  「……それでも俺は、あんたを斬る前に聞いた。後悔だけは、させたくないからな」

  拓巳はその言葉に息を飲み、肩の荷を落とすように腰を落とした。

  「瑠美に……伝えてほしい。“最初から、俺はあいつが怖かった”って。共感されるたびに、見透かされるような気がして……だから、俺は外に“逃げた”。零視点っていう居場所に」

  凌大は、無言で構え直す。

  「だが今は違う。だから、この剣を、正面から受ける。……俺が、お前に選ばせてやる」

  静寂が降りた。

  次の一撃で、決まる。双方が、そう理解していた。

  ――刹那。工場の残骸に差し込む光が、奇妙な波を描く。光が剣を舐め、二人の影が揺らいだ。

  拓巳が動いた。刃を前に突き出し、剣速ではなく“覚悟”で突進する。

  「ッ!」

  凌大の剣が真横から閃光のように振るわれる。

  鋭い金属音と、どこか肉を裂くような音が重なる。

  ――そして、次の瞬間、二人の影が交差した。


 血が、剣先から滴った。

  だがそれは、凌大のものではなかった。

  拓巳は、その場に崩れ落ちた。右肩から背中にかけて大きく斬られた傷が走っているが、致命傷ではなかった。

  「……やっぱり、お前は……優しすぎる」

  「それは、違う」

  凌大は静かに言った。

  「これは“裁断”だ。赦したわけじゃない。ただ――その場に残る覚悟が、お前にあった。それだけだ」

  拓巳は、息も絶え絶えに、苦笑を浮かべた。

  「……ほんと、やだな。俺みたいな奴が……こんな大それたことして……結局誰にもなれず、誰にも届かず……」

  「千紗は、お前を責めない。だからもう、黙ってろ。あとは俺が連れ帰る」

  その言葉に、拓巳の目がわずかに見開いた。

  「……あの子、怖いくらいに頭が切れる。だから余計に、俺が何をしたか分かってるはずだ」

  「それでも、待ってる」

  凌大は振り返らず、倒れた拓巳の隣に膝をついた千紗の姿を見ていた。

  「凌大……無事、なの?」

  「重症だがな。俺のことはいい。こいつを、連れて帰る。あとは任せるぞ。策士」

  そう言って、ゆっくりと立ち上がると、肩に拓巳の身体を担ぎ上げた。無理にでも帰るという意志が、足元の鏡界を軋ませる。

  「……戻るぞ。もう、“敵”って線引きは必要ない。選んで、迷って、間違えた奴を……それでも、見捨てない。共鳴隊ってのは、そういう連中だったはずだ」

  その背に、千紗はわずかに目を見開き、そして静かに頷いた。

  浮遊する鏡界の光粒が、二人の後を追って風に舞う。壊れた廃工場がその役目を終え、ゆっくりと崩れ落ちるように沈んでいく。

  ――その日、〈零視点〉の強硬派は、事実上壊滅した。

  そして、命を賭けた一人の男が“裁たれた”ことで、また一つ、世界は選択肢を取り戻したのだった。

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