第37話:歴史の砂嵐、記憶の砂時計

サフィールと名乗る老人は、私たちを遺跡の入り口から少し離れた、古びた茶店へと案内してくれた。薄暗い店内は、香辛料の独特な香りに満ちている。私たち以外に客はおらず、ひっそりとしていた。健太は、初めて見る異国の茶菓子に興味津々で、目を輝かせている。


「この砂漠の地では、歴史の記憶が、まるで砂のように、次々と流出している。このままでは、この国の歴史そのものが、闇に葬られてしまう」


サフィールの声には、深い悲しみが込められていた。彼は、私たちが座るテーブルに、古びた地図を広げた。そこには、私たちが今いる遺跡を中心に、いくつもの点が記されている。


「この地に異変が始まったのは、およそ一年前のこと。最初は、数百年前の小さな部族の争いの記憶が曖昧になった。だが、それはやがて、この国の建国の歴史、そして、かつて栄えた『失われた都市』の記憶へと広がり始めたのだ」


サフィールは、広げた地図のいくつかの点を指差した。

「この点々は、過去に重要な歴史的出来事があった場所だ。遺跡、古いオアシス、そして、かつての王家の墓所など……。今では、そこにまつわる記憶が、まるで風化した石碑のように、どんどん削り取られている」


タカシは、地図を食い入るように見つめながら尋ねた。

「その『歴史の記憶の流出』は、具体的にどういう現象なんですか? 記憶が丸ごと消えるんですか?」


サフィールは、ゆっくりと首を横に振った。

「いや。記憶そのものが消えるわけではない。だが、まるで砂時計の砂が落ちていくように、記憶の『詳細』が失われていくのだ。例えば、ある戦いの記憶は残っていても、それがいつ、誰と誰の間で戦われたか、なぜ戦われたか、といった具体的な情報が欠落する。勝利した喜びも、敗北した悲しみも、全てが曖齬になり、単なる『出来事があった』というだけの、味気ない情報へと変質していく」


その言葉に、私は鳥肌が立った。それは、私たちの故郷で起こった「存在そのものの改変」でもなければ、古都で起こった「感情の窃盗」でもない。記憶の「詳細」だけを抜き取り、その歴史から意味を奪う、新たな手口だ。


「それは……歴史を語り継げなくする、ということですか……?」


私が尋ねると、サフィールは悲しげに頷いた。

「その通りだ。歴史の『意味』が失われれば、人々は過去から何も学ぶことができない。やがて、その国は、自身の歴史を顧みない、空っぽな存在へと成り果てるだろう。彼らは、これを『歴史の風化(ヒストリー・エージング)』と呼んでいる」


「歴史の風化……!」


タカシの顔に、怒りの色が浮かんだ。その手口は、これまでの敵以上に、巧妙で陰湿だ。


「この『歴史の風化』を企む者たちは、誰なのですか?」


私が尋ねると、サフィールは深く息を吐いた。

「私たちは、彼らを『歴史の編纂者(コンパイラー)』と呼んでいる。彼らは、過去の歴史には無駄が多く、特定の情報を『選別』し、より『効率的』な歴史を創造しようとしている。彼らの目的は、『効率的な歴史』の確立だ」


「効率的な歴史……。そんなもの、本当の歴史とは言えない!」


健太が、憤慨したように叫んだ。彼の純粋な心には、その不条理が許せないようだった。


「彼らは、この遺跡の地下深くに潜んでいる。この遺跡は、この砂漠の地で最も古い『記憶の揺籃』の一つ。ここには、この国の全ての歴史が刻まれているのだ」


サフィールの言葉に、私の「記憶の羅針盤」が再びかすかに震えた。針は、遺跡の最も深い場所を指し示している。


「歴史の編纂者は、この遺跡の地下に、巨大な『記憶の砂時計』を設置した。それは、この地の歴史の記憶を吸い上げ、それを砂のように細かく分解し、彼らが望む形に『再構築』するための装置だ」


サフィールの説明に、私たちは息を呑んだ。まるで、実際に歴史の砂が落ちていくかのような、不気味な想像が頭をよぎる。


「アオイ殿の『記憶の真髄』の力があれば、この『記憶の砂時計』の仕組みを解き明かし、彼らの編纂を阻止できるかもしれません。しかし、彼らは、この地の歴史の記憶を歪ませ、私たちを惑わせるような罠を仕掛けているでしょう」


サフィールの瞳は、私たちの覚悟を試すかのように、真っ直ぐに私たちを見つめていた。


この砂漠の地で、私たちは「歴史の編纂者」と対峙する。この国の、そして人類の歴史を守るために。私たちの新たな戦いは、すでに始まっていた。

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