ポイントガード・順平
2月14日。水曜日。22時半。駅のホーム。終電14分前。
まだ吐く息が白く、冷たい空気が肺の奥まで染みわたる。俺の首を締め付けるのは、ウールにポリエステルが混ざった少しチクチクするチェックのマフラーだ。知らず知らずのうちに吐き出した不本意な成分が物質となって現れた結露が、マフラーの繊維に冷たく張り付いていた。
俺以外には、一眼で出張帰りだとわかるほどに大きいスーツケースの上に、ビジネスバッグを載せて合体させた化合物を右手で支えながら、左手の携帯を耳に当てて誰かと電話をするビジネスマンと、どこかの会社の制服らしき服を入れた紙袋を地面スレスレの高さでキープしながら両手で持ち、どこか遠くを見つめる40代前後の女性しかいない。
向かいのホームでは、駅員さんが一日働いた新幹線の最終点検を、疲れた顔で行っているのが見える。
田舎の駅なんてきっとどこでもこんな感じだろう。
電車なんて一時間に一本しか来ないし、終電もこんな時間だ。 そもそもこんな時間になってまで勉強や仕事に取り組む人なんて、母数となる人口が少ない分、数えられる程度しかいない。
かといって、飲み会を終えたサラリーマンたちが大声で中身のない話をしながら、よろけたままホームに駆け込んでくるかと言えば、金曜日以外はそんなこともない。
水曜日のこの時間にホームにいる人たちはきっとみんな真面目で、誰かのためか、もしくは何かのために、必死で任務を遂行した人たちだ。俺以外は。
18時半に部活が終わる予定だったはずが、最後に集合をかけられた時に、剛志がコーチの話を聞いてなかったせいで、罰としてクォーターダッシュ10本が課された。
その不必要な苦行のせいで、結局19時近くまでかかってしまった。
その後は軽くシューティングをしてから、剛志から謝罪のココアを1年全員に奢ってもらい、部室で30分ほどあいつらとだらだら無駄話をした。
ちなみにココアだったのは少しでもバレンタインデーの気分を味わって欲しいかららしい。余計なお世話だ。
それからは終電の時間まで駅ビルのフリースペースで明日までに提出しなければならない古文の課題をこなしていた。
本当は明後日の英語の課題もめんどくさいからこなす予定だったが、いつも以上に勉強が捗らず、気がついたら古文の課題を終えた時点で終電の時間が迫っていた。
というよりも、ここ数日はまるで勉強が捗らない。
でも、俊と一緒の時もそんな集中はしてなかったか。
頭の中で、そんな独り言を呟く。
部活は、先週から1年生唯一のスタメンに昇格した分、実践形式の練習の参加回数も増えて、より楽しさは増したが、その分コーチから名前を叫ばれて説教される回数も格段に増えた。
元からミスは少ないし、言われたことを忠実にこなせる、自分で言うのも変だけどコーチにとってはありがたいタイプなんだと思う。
でも、僕は期待される1年生のホープ候補というよりも、足音も立てずに、いつのまにかどこかへ消えた元ホープの後継者という見方に変わってしまったんだ。
つい二週間前まで使い勝手のいい1年生シックスマンだったのに、瞬く間に元県選抜の同学年の穴を早急に埋めることを義務化される1年生スタメン(仮)になってしまった。
試合に出る時間が増えるのは嬉しい。しかも唯一の1年生スタメンだ。
でも、このチームではスタメンになることは、料理で言う下味になるみたいなもんなんだと思ってる。(もちろん料理のことなんて詳しくは知らない。)
チームスタイルなんてかっこいい言葉で呼ばれることもあるけど、言ってしまえば、レシピをコーチが決めて、スタメンは調味料としてその味を忠実に体現しなければならない。
醤油が必要なら誰かは醤油にならないといけないし、塩も同様だ。
そんな料理でも時には味変がしたくなる。マヨネーズとか、酢とか。
バスケにおけるシックスマンという役割は、いわば味変だ。
とにかくベースの下味を邪魔さえしなければ、自分の味を存分に出すことを許可される。
俺はいままでマヨネーズや酢を状況に応じて演じ分けていたのに、突然うますぎる醤油になることを強制されてしまったがゆえに、「なんでお前は醤油にならねえんだ!これからはマヨネーズになる必要はない!醤油になれ!」って怒られてしまうようになった感じ。
そんな感じで、調味料がなくても無理やり誰かをその調味料に加工しようとするから、チームの成績は毎年乱高下が激しい。
東洋は、県内の中では有数の進学校だから、文武両道の逸材がたまたま同じ学年に集まることもあれば、スタメン経験者が誰もいないなんてこともありうる。
ただ、今のチームは1年、2年ともに理由もなくたまたま粒揃いのチームになった。
県内では、推薦入学した生徒でスタメンを固める強豪校がほとんど。
そんな中でも、今年1月の県新人で一般入試組オンリーの俺らが33年ぶりにベスト4に入るという快挙を成し遂げた。
地元の新聞やニュースでも取り上げられるほどに、県内では軽く話題になったが、一ヶ月ちょっとも経たないうちに味の決め手となる高級な塩がいなくなったことで、そのレシピは一旦幻になった。
俊は、どんな気持ちでコーチの説教に耐えていたんだろう。
あんなに上手いのに、あんなにバスケが似合うのに、みんなから頼りにされていたのに。
俊がやめてから、誰も一度も連絡を取っていないし、クラスメイト以外は会ってもいないはずだ。
一度LINEしようとしたが、俺は正直勇気がでなかった。
だから、俊がなんでやめたのか、俺はその理由を知らない。
去年の4月、入学したばかりの1年ながら、2歳も年上の先輩たちに割って入る形でスタメンの座を手にした俊は、代替わりしても唯一の1年生スタメンとして、なんなら大エースとして、県内の強豪相手にも互角以上に渡り合えるチームのスモールフォワードの座に君臨していた。
スモールフォワードってのは、個人的な感覚だと、バスケの花形のポジションだと思っている。
シューティングガードってのは、読んで名の如くシュート力に自信がある人が飛び道具的な意味合いで担うことも多い。湘北高校でいう三井寿のポジションだ。
パワーフォワードってのは、縁の下の力持ち的ポジション。とにかくリバウンドを拾ったり、ガード陣のアシストに合わせて得点したり、時には外に出てスリーを決めたり。決まった役割がない分、チームスタイルに合わせて役割が異なることが多い。桜木花道のポジション。
センターは、とにかくチームで一番背が高い人が、その高さを思い思いの方法で生かしてチームに貢献するポジションだ。元々はリング付近に居座って勝負するスタイルが主流だったが、最近は流行りの戦術に応じてスリーを打ったりもするようになってきた。ゴリのポジション。
俺のポジションであるポイントガードは、チームの司令塔。
他のポジションはチームスタイルによって役割が変わったりすることはあるけど、基本ポイントガードだけはどこのチームでも司令塔の役割を担う。
試合の状況を読み、コーチの指示を踏まえて、最適な指示出しとボールの供給をする。宮城リョータのポジション。
そして、スモールフォワードは、いわゆるオールラウンダーだ。
リバウンドもとるし、ドライブもするし、速攻も走るし、ポストプレーもするし、スリーも打つ。湘北高校の流川楓もだし、NBAでもレブロン・ジェームズやケビン・デュラントといったスーパースターは、このポジションで大エースとしての重積を背負っている。
俊は、本当に誰がみてもうまいとわかるくらい上質な塩だった。
お刺身につけても、漬物に使っても、全ての素材のポテンシャルを完璧に引き出してくれる。
なんなら、父が見てたドラマでやってたみたいに、単体でお酒のつまみにしても、主役として存在感を放つことだってできる
どんな対戦相手でも、どんな選手がマッチアップしてきても、時には一人で、時には仲間を生かして必ず攻略してしまう。
速さ、強さ、高さといったフィジカル、そして基礎に忠実なシュートフォーム、正確無比なパスセンス、場所や体勢を問わず最適な手段で決め切るスコアリング能力など、総合力で言ったら贔屓目なしに県内の1年では群を抜いていた。
それに加えて、協調性と戦術理解度も高いレベルで備えている。
このチームにおけるエースとしての完全解答のようなタイプに思えていた。
中学時代は、県選抜だったこともあって名前を聞いたことはあった。
でも、俊がいた柳町中と対戦したことはなく実際のプレーは一度も見たことがなかった。
小学生時代のチームメイトで、中学時代に柳町中と試合をしたことがある剛志いわく、俊のプレースタイルは昔からずっと変わらないんだとか。
とにかく基礎に忠実で、戦術を完璧に理解し、チームをまとめ上げ、チームが「勝てるチーム」になるための最適解を一人で見出してしまう。
俊の家は駅の近くだから、俺と俊はいつも部活終わりに一緒に駅ビルのフリースペースで勉強し、終電が近くなったら、俊が改札まで着いてきてくれて、そこで別れるのが定番だった。
時には駅ビルの本屋で、一年半後あたりからお世話になる赤本とかいう悪魔の冊子を試しに読んだり、時には近くの公園で落ちてるテニスボールと太めの木の枝を使って野球みたいな遊びをしたり。
バスケの時間もそうでない時間も、たくさんの時を一緒に過ごした。
そして、徐々にプレーヤーとしてだけでなく一人の人間としての俊を知っていく中で、俺にとってまさに俊は最高のお手本であり、俺の完全上位互換だ、と思うようになってきた。
俊は、あのバスケの才能と釣り合わないほどに謙虚だ。
バスケに関しても、「俺にはバスケしかないからさ。」の一点張りで、自分のプレーを自画自賛するところなんてみたことがない。
その上、進学校である東洋に進学できるほどの学力も有しているのに「塾に親が入れてくれたからさ、塾では勉強しかやることがないわけだしなんとなく勉強していっただけだよ。」と答えるほどの謙遜っぷりだ。
その上、先輩に対しても生意気な口は一切聞かない。
もちろん誰の悪口も言わないし、チームメイトを責めるところも見たことがない。
プレーヤーとしても、人間としても、俺は常に俊のずっと後ろにいる。
一度、俊とこんな会話をしたことがある。
「順平ってさ、すごいよな。」
「え、急にどうしたんだよ。」
「順平ってさ、どんなポジションで試合に出ても完璧に適合するよね。」
「いやいや。お世辞はいいよ。」
「お世辞じゃないよ。順平は、このチームがそれぞれのポジションに求めているのはどういう働きなのかを理解している。その上で、このタイミングで自分をコートに出したってことは、自分はそこにどういう色を加えることを求められているのかも自分で予想して、すぐに結果を出せる。」
「んー、そうかなあ。」
「そうだよ。チームを勝たせるために自分を変えられる。」
確かにそうかもしれない。俺は特別な存在じゃない。
俺=〇〇が秀でている、みたいな明確な強みがあるわけじゃないから、とにかく全部の役割をそれなりにできるように練習はしてきた。
そんな俺にとって、シックスマンこそが、チームの中での自分の明確な居場所な気がしていたんだ。
ポイントガード、シューティングガード、スモールフォワード。
それぞれのポジションで、このチームには100点中80点以上を取れるプロフェッショナルがいる。
俺はこの三つのポジションそれぞれで80点は取れないが、70点に加えて特殊な部分点をもらうことができる。
誰よりも速攻で走ったり、誰よりもルーズボールに飛び込んだり、誰よりもしつこいディフェンスをしたり、時には誰よりも相手をイライラさせてみたり。
俺には特徴やエゴがないからこそ、自分を遠慮なく変えられるんだ。
俊と交代して出場したとしても、俊とは別の重要なオプションとしてスケールが一回り小さいちょっと意図的に臭みを出したプレーを正当化してもらえる。
強みがないという強みが、どうやら、このチームのシックスマンという役割にとって、最高に都合が良かったみたいだ。
無個性な自分が無個性なままでいることで、チームに貢献できる。
俺は、シックスマンとして向き合うバスケが最高に好きだった。
だけど、スタメンになった今は、正直バスケをする楽しさは減った。
シックスマンという、治外法権が適用される場所の楽しさを知ってしまったからかな。
わかってる。自分みたいなプレーヤーはエゴを出すべきではないなんてことは。
でも、心の奥底に眠る、自分の感情を司る形の見えない"第二の脳みそ"みたいな物質が、16年間で頑丈に強化してきた"忠実”という名の鎧を突き破ろうとうごめくのを最近感じているところだ。
俺みたいな才能がない人間にとっては、部活みたいな集団の中で自分の立ち位置を確立するには、言われた通りのことを忠実にこなすことが、最適にして唯一の道だと自覚している。
人はそれを勤勉とか真面目とかいうのかもしれないけど、俺は違うと思う。
俺は人よりも冷静で捻くれているから、将来を悲観的かつ現実的に捉えがちなだけなんだ。
高校生なんて、基本「どこの大学に行こうか」、「どこの学部に行こうか」程度の数年後の未来しか具体的に考える必要性に迫られない。
医学部か薬学部みたいな「学部=職業へのルート」と言う学部を志望する人たち以外は、どの職業がどんな仕事をするかなんて全く知らないまま、仮決めで夢を語る。
俺は、生まれ持った性格のせいもあって、人より未来との距離を身近なものとして捉えがちな人間みたいだ。
だからこそ、才能ある人たちと競争する必要のない枠を確保するために、今のうちから勉強という手段を用いて"学歴"という第一関門を突破する必要性を他人より強く自覚しているだけなんだ。
俺は、国家公務員になりたいと思っている。
自分みたいな"一般人"の枠をはみ出ることが今後一切ないと言い切れる立場の人間にとって、頂点のような職業だと思っている。
優秀な大学に進学し、国家公務員になるための試験を受けて、それが通れば、晴れて"一般人"のなかで最高峰の称号を手に入れることができる。
国の偉い人たちの言うことを忠実にこなせる人たちが重宝されて、他人からすごいすごいともてはやされる。
強烈な個性や実績がない、普通の人間にとっては、就活みたいな採点基準がないものよりも、自分次第でどうにかできる可能性が広がる点で国家公務員という選択肢はある意味非常に良心的だなと思う。
だから、おそらく今後高校を卒業して大学で数年過ごして、進路を決める必要性が出てきたタイミングでも、俺の夢は国家公務員のままだろう。
その点、俊は俺とは違う。
あいつにはバスケという、誰の人生にも劣らない明確な軸がある。
俺はあたりまえのように、就活の舞台だとしても、誰もを魅了できる圧倒的に華やかなバスケの物語を、ここから大学4年でフィナーレを迎えるまでずっと書き続けるものだと思っていた。
だから、俊は俺とは違って、「将来のことなんて考えなくても、勝手に将来の方から手招きしながら声をかけてくれることが約束されてるんだろうな。いいなあ。」なんて俺はぼんやり考えてた。
でも、俺も脇役で登場していた、俊が主人公のバスケ漫画は、どこかのチームに嘘みたいにボロ負けしたわけでもなく、その物語は作者の都合で一方的に終わってしまったんだ。俺らを置いてけぼりにして。
もう一度言うが、俊は俺の完全上位互換なんだ。
俺のはるか先にいるとはいえ、歩いている道はきっと同じはずなんだ。
それでも、俊はバスケという名詞がわりの武器があるおかげで、俺とは違って理不尽な就活の舞台でも戦えるチャンスがあったんだ。
そのチャンスをあいつはなんで手放してしまったのか、俺には理解できない。
得意なんだろ。好きなんだろ。お前にとって全てなんだろ。
一緒に駅ビルで勉強するたびに俊はよく言っていた。
「俺にはバスケしかないから。」って。
なんなら、俺と人生を交換して欲しいくらいだ。
俺が俊だったら、途中で怪我したりはするかもしれないけど、きっと理想のエンディングを迎えることができる。
多分バスケに関しては無理なんだ、俺が俊と同じ立場になるのは。
素材は一緒のもの同士かもしれないけど、俊のバスケは誰よりも美しくピカピカに磨かれていたんだよ。それなのに、なんで俺と同じ土俵に降りてきてしまったのさ。
せめてさ、卒業するまでは一緒にやってくれると思っていた。
普段ならベスト8行けたら万々歳の東洋が、インターハイという、夢のまた夢だと思っていた舞台に行きたいと本気で思えるようになった。
それが俊のおかげであるということぐらい、鈍感で謙虚であまりにも自尊心が低い俊も流石に気づいているよな?
誰よりもチームのためを思って行動できる人間が、責任を放棄してチームの夢の可能性を狭めてどうするんだよ。
おかげで今、俺苦しいぞ、すごく。
比較させないでくれよ。俺お前の後ろで隠れながら走る方がタイム出やすいんだよ。
電車が来た。
俺は一つ小さなため息をついて、開閉用のボタンを押して二両編成の電車に乗り込んだ。
今日が終わる。そしてまた明日が来る。
俺は今日帰宅したら、いつも通り、俊の下位互換なりにチームの完璧な下味になるためにどうしたらいいかぼーっと考えて、気がついたら朝を迎えているんだろうな。
そんなことを考えながら、電車の座席でさっきやり損ねた英語の課題を解き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます