恋人の条件

 待ち合わせは駅前のカフェ。

 土曜の午後、街は人で賑わい、行き交う声と陽光がまぶしい。


「お待たせー!」


 杏奈はふわりと手を振ってやってきた。

 白のワンピースに、ポニーテール。ラフだけど、ちょっと気合い入ってる? ような気もする。


「ほんとに来たな。前日まで“めんどくさ〜い”って言ってたくせに」


「それな。だって昨日まで疲れてたし。でもさ、たまには外出しないと老けるからね?」


「そんな動機ある?」


 二人は他愛もない会話を交わしながらカフェのテーブルに着いた。

 アイスコーヒーと抹茶ラテ。季節は初夏。


「ねぇ悠真。今日の服、なんかキマってない?珍しくオシャレじゃん」


「……映画館って冷房効いてるからな。ジャケットくらい着るだろ」


「ふーん?そっかー?」

 杏奈はからかうようにニヤリと笑ってストローをくわえた。



---


 カフェを出て、映画館へ。選んだのは、話題の洋画アクション。

 杏奈が選んだはずなのに、悠真はあらかじめパンフレットまで買っていた。


「……え、予習したの?」


「……まぁ、せっかくだしな」


 杏奈はくすくす笑って、ポップコーンをつまんだ。

 スクリーンの暗闇の中、ふと隣を見た。悠真は真剣に観ていた。


(なんか今日、静かだな……)



---


 映画が終わると、ディナーの予約が入っていた。


「悠真ってさ、こんなレストラン知ってるんだ?」


「……まぁ、前に同僚に教えてもらって。雰囲気よさげだったから試しに」


「へー。……てか、コース料理じゃん。すご」


「食べとけ。たまにはちゃんと栄養のあるもの食べなきゃ倒れるぞ」


「……お母さん?」


 そんなやり取りをしながら、料理は静かに進んでいく。

 でも杏奈は少しずつ、違和感を覚え始めていた。


(……ん?これってもしかして、デート……?)


 いやいや、悠真は友達。何度も遊んでるし、今さら。


 ――でも。



---


「ちょっと寄り道していいか?」


 そう言って連れてこられたのは、小高い丘の上にある展望台だった。


 街の明かりが遠くにまたたいていて、風が心地よい。

 手すりに肘をつきながら、杏奈は小さく息を吐いた。


「きれい……」


「だろ?」


「……こんなとこ、誰かと来るの初めて」


「俺もだよ」


 その言葉に、なんとなく返す言葉が見つからなかった。



---


 静かな夜風が二人の間をすり抜けていく。


 それでも、杏奈はまだ――

 このあと、自分の日常が変わってしまうことに――

 杏奈はまだ気づいていなかった。


 


「なぁ、杏奈――」


「……なに?急に真面目な顔して」


 悠真は夜景を背に、まっすぐこちらを見つめていた。


「俺たち、付き合わないか?」


 


 風がふわりと杏奈の髪を撫でた。

 まるで、その言葉をそっと運ぶように。


「……え?」


 言葉の意味はわかっている。でも、すぐには飲み込めなかった。


「俺はさ、杏奈といると楽しい。気が楽だし、ずっと一緒にいたいって思う。……だから、恋人になりたい」


「……だめっていうか……」


 ――考えたこともない。

 悠真は大事な友達。かけがえのない、唯一無二の友人。


「……友達じゃ、だめ?」


「だめだよ。だめだから、こうしてちゃんと告白してるんだ」


 


 静かな夜風がふたりの間を吹き抜ける。


「でもさ……友達と恋人の違いってなに? 一緒に遊んで、馬鹿な話して、たまに連絡とる今の関係じゃ……満足できないの?」


「全然違う。恋人っていう“立場”がほしい。……それに、恋人同士にしかできないことだって、あるだろ?」


「……もし断ったら、今までみたいに友達でいてくれる?」


「……無理だと思う」


 


 杏奈の胸に、鈍く重たい音が響いた。


「……じゃあ、“そういうこと”も込みの友達は?」


 


 一瞬の静寂。


 そのあと、悠真は怒りを押し殺すように口を開いた。


「……それ、俺のこと馬鹿にしてるだろ?」


 


 杏奈は何も言えなかった。

 ふたりの間で、夜景の灯りが滲んで揺れていた。


 


「……わかった。じゃあ、今日から――彼氏彼女ってことで」


 杏奈の声は、どこか投げやりなようでいて、寂しげでもあった。


「……本当に、わかって言ってるのか?」


 悠真が低く問い返す。


「わかってるよ……じゃあ、キスする?」


 


 その言葉に、悠真は肩の力を抜いてため息をついた。


「……そういうのは、もっと自然にするもんだろ」


「でもさ、基本は今まで通りがいいの。たまに遊んで、飲みに行って……連絡したいときにする。そういう関係でいいよね?」


 そして、少しだけ照れたように、続けた。


「……もちろん、そのときは“恋人っぽいこと”もしていいよ?」


 


 悠真は、しばらく黙っていた。

 だけど最後には、少し笑って――優しく頷いた。


「……ああ、それでいいよ」


 


 どこか不安を抱えながら、でも確かにその夜――ふたりの関係は、少しだけ変わった。

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