男友達
仕事帰り、大学時代の友人と居酒屋で落ち合った。
「おつかれー」
「おつかれ」
先に着いていた私が軽く手を振ると、彼も手を上げて応える。
平日の夜のせいか、店内は少し静かで落ち着いていた。
「なに、疲れてるじゃん」
「最近ずっと忙しくてさ。定時で帰れたの、いつだっけって感じ」
苦笑いしながらメニューを開く。
ビールと、軽めのつまみをいくつか頼む。
「そういえばさ、美咲のやつ、結婚するんだって?」
「うん、この間プロポーズされたんだってさ。すごいよね」
ビールを一口飲んで、杏奈はふっと笑った。
あの頃、一緒にバカなことばかりしてた友達が、
気づけば次々に“人生のステージ”を進んでいく。
こうして気軽に飲みに行ける友人も、今や目の前の男くらいだ。
「で? お前は相変わらず瀬名様推しか?」
「当然でしょ? 瀬名様は私の心の栄養源よ」
誇らしげに言いながら、杏奈はスマホを取り出し、
ロック画面に設定された推しの写真を見せつける。
「出たな。もはや家族写真かってくらい自然に開くな、その画面」
「この世に瀬名様を送り出してくれた瀬名ママには、日々感謝してますから」
五年前から推し続けている、アイドルグループのセンター・瀬名類。
ビジュ、歌、ダンス、トーク――全てにおいて完璧。
ライブには何度も足を運び、グッズも一通り揃えている。ファンクラブは当然継続中。
「……尊い」
スマホ画面を見ながら、杏奈はうっとりと呟た。
悠真は苦笑しつつ、グラスの氷を揺らす。
「推しに生かされてる人間のセリフって、なんか宗教みたいだよな」
「推しは宗教じゃない。――生きる希望よ」
「ほーほー、さいでっか」
悠真がグラスを傾けながら適当に相槌を打つ。
「推しなんていないからわっかんねー」と肩をすくめる彼に、杏奈は胸を張って返す。
「わたしが一番わかってれば、それでいいのよ!」
好きな仕事があって、自由に使えるお金があって、尊い推しがいて、
こうしてくだらない話に付き合ってくれる友人がいる。
――こんなに人生楽しくていいのだろうか、とふと思う。
「で?杏奈は彼氏とか、どうなんだよ?」
「んー、ここ数年はいないなぁ」
杏奈は箸をつまみながら軽く答える。
「付き合ってもさ、だいたい半年くらいで『連絡ほしい』とか『もっと会いたい』とか言われてさ。
めんどくさくなって放置して……そのまま自然消滅ってパターンが多い」
「……最低だな、お前」
悠真がジト目で睨む。
「ひど〜い。事実を言っただけなのに」
「いや、事実でもダメだろ、それ」
「で?悠真は?」
「俺? 最近は誰とも付き合ってないな。まあ、仕事忙しいし」
そう言って、悠真は自分のグラスを見つめながら、少しだけ間を置いた。
「おい、帰るぞ……ったく、しょうがないな」
すっかり酔いつぶれた杏奈の肩を抱え、タクシーに押し込む。
弱いくせにお酒は好き、という困った習性の持ち主を送り届けるのは、いつだって悠真の役目だった。
タクシーの中でも「うーん、まだ飲めるのに〜」と小声でうわごとのように言ってくる彼女を、聞こえないフリで受け流す。
玄関に着いても、杏奈はぐずぐずしたまま。
「ほら、鍵出せ。家に入れないだろ」
「……んー、どこだっけ」
「もう……」
ため息をつきながら鞄を開け、鍵を探し出してドアを開ける。
「着いたぞ。せめて靴くらいは自分で脱げよ」
言うそばから、ふらふらと身体を預けてくる杏奈。
「……うーん、まだ呑もうよ」
「いい加減にしろ、酔っ払い!」
怒鳴るというより、呆れたような声だった。
それでも、その手は彼女が壁にぶつからないようにしっかり支えていた。
「……はぁ、まったく。仕方ないな」
ため息を吐きながら、彼女の靴を片足ずつ脱がせる。肩を貸したまま、よろめく杏奈とともに部屋の中へと入る。
ほんのり花の香りがする部屋は、レースのカーテンにクッション、ぬいぐるみと――いかにも女の子らしい空間だった。
普段の飄々とした杏奈とのギャップに、何度来ても不思議な気持ちになる。
ようやくベッドまでたどり着き、そっと彼女を横たえる。
やれやれ、とばかりに背を伸ばし、踵を返した。
「服は自分で着替えろよ。あとシャワーぐらいは浴びろ。さすがに……酒くさい」
言いながら、ほんの少し笑ってしまう。
彼女のこういうところが嫌いになれないのだ。
「……まだ呑めるのに……」
布団の中から、くぐもった声が返ってくる。
「……ったく。もう帰るぞ。ちゃんと戸締まりしろよ」
「むりぃ……」
ドアを閉めるふりをして、そっと足音を消す。しばらくして物音がしないかを確かめる。
「……はぁ、まったく……」
脱ぎ捨てられた上着を拾い、布団の端をきちんとかけ直すと、小さくつぶやいた。
「ほんと、世話の焼ける女だよ……」
しばらくジッと杏奈の寝顔を悠真は見つめた。楽しい夢でも見ているのかたまに笑みがこぼれている。
「はぁ……」
そして、深くて長いため息を吐いた。
そのままリビングのソファに腰を下ろし、しばらくして杏奈が起きて戸締まり出来る状態になったのを確認してから、ようやく静かに家を後にした。
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