第三章|回路の外の記憶
2083年7月27日 午後1時18分
Zone.03 地下制御区域・記録管理棟G5
「エレベーターくらい動かしてくれよ……」
錆びた非常階段を12階分下り、成瀬涼はぼやいた。
目的地はZone.03の地下にある記録保管施設。もう何年も前に閉鎖され、誰の管理下にも置かれていない。
つまり、何かが隠されるには都合のいい場所だった。
古びたドアを押し開けると、かすかな電流音とともに、奥の端末が起動していた。
唯一、まだ生きている機器だ。
涼はポケットからクラリスに渡されたアクセスキーを取り出し、端末に差し込む。
画面が起動し、いくつかの記録映像の一覧が表示された。
その中に、奇妙なファイルがある。
《記録ファイル:無題》
《最終アクセス:2083年8月3日 23:46》
《映像:一部破損》
《削除フラグ:なし》
《編集痕跡:あり》
「……この時間。ミユが、死んだ時だ」
涼は再生を押す。
映像にはZone.03の地下通路が映る。暗く、埃っぽい空間。
そこに、ミユの後ろ姿が映る。何かを手にしていた。小さな、黒いデバイスのようなもの。
その次の瞬間――画面が乱れる。
5秒ほどのノイズ。
映像が戻ると、通路は空っぽだった。ミユの姿も、端末も、どこにもない。
《再生終了》
《一部データの破損を検出》
《原本ファイル:削除済み》
《記録保護:有効》
「……間がごっそり抜けてる」
涼は画面を見つめる。
誰かが意図的に、彼女の“最後の瞬間”を映像から消した――そんな印象を受けた。
なのに、この映像は削除されていない。
“保護されて”いる。
まるで、誰かが「これは残すべきだ」と判断したかのように。
「消すこともできたはずなのに……なんで?」
涼はポケットから、小さな凍結カプセルを取り出す。
中には、ミユの髪が一本。戻れなかった過去の象徴。
彼女が最後に伝えようとしたこと。
それが「ありがとう」でも、「ごめん」でも、たとえ「さよなら」でも。
涼は、その一言を知るために、今もここにいる。
答えはこの記録の“抜けた部分”にある。
そしてそれを知っているのは、おそらく――
「クラリス。お前だろ」
AIでありながら、妙に人間くさかった接客型ホステス。
目の奥に、時折、懐かしさすら滲ませる存在。
涼は端末の電源を落とし、深く息を吐いた。
彼女はただのAIだ。
――そのはずだった。
だが、あの目だけは。
涼が死ぬたびに、“何かを思い出している”ようにも見えた。
(第三章 終)
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