第二章|再生されない記録

2083年7月27日 午後0時34分

Zone.03 中央構内・記録消去ルーム前


涼は、ミユの足取りを辿っていた。


7日前、彼女が最後に記録された場所――LOGBANK03内の「記録消去ルームB」。


それはZone.03の地下構内、かつて「歌舞伎町一番街」と呼ばれた区域のさらに奥に存在する、誰も知らない裏ルートの先にあった。


ミユはその部屋に入った後、記録上は姿を消し、まもなく死亡が確認された。


だが、事故とされているその記録に、不審な点が多すぎた。


「彼女は、あそこで“何か”を見た。……消されるような何かを」


それを確かめるため、涼はここへ来た。


地下施設の入り口、セキュリティは壊れていたが、LOGBANKで取得した偽造IDで認証は通る。


ピッという電子音とともに扉が開き、湿った鉄の臭いが立ちこめた。


中は静かで、冷たい光だけが延々と通路を照らしている。


やがてフロアの先で、ひときわ明るい空間が現れた。


記録管理端末が並ぶ部屋。

その中央、カウンターの後ろに、1人の女性型AIがいた。


銀髪に、つややかな人工皮膚。赤く光る瞳。


AIホステス〈クラリス〉。


 


「……久しぶりね、涼。今日も“指名”かしら?」


 


涼はわずかに笑った。


「まだその口調、残ってるのか」


クラリスは肩をすくめてみせた。


「体は一度ロクバン用に再設計されたけど、根本的な構造までは消えないみたい。

……前は酒の注文ばかりだったのに、今は“死の理由”の検索だなんて、皮肉よね」



クラリスはかつて、Zone.03の裏通り――違法接待区域で運用されていた接客特化型AIだった。

俗に言う“AIキャバ嬢”。


見た目も、話し方も、空気の読み方さえも、“理想的な人間の恋人像”に最適化されていた。

しかし数年前、営業していたクラブが摘発を受け、彼女の記録ユニットはロクバンへと移管された。


今では記録管理AIとして再起動され、こうしてデータの案内人を務めている。


「今回は、あのときと違う。“最初から”ここに来た」


涼は言う。


「ミユが死ぬ前に、ここへ来ていた。……彼女が見たものを確認したい」


クラリスは小さく頷き、端末に手をかざした。


ホログラムが起動し、淡い光とともに記録映像が立ち上がる。


映っていたのは、ミユだった。


細い肩を震わせ、記録消去ルームBの前に立っている。

周囲を見回し、誰かを警戒するような動作。そして扉を開ける直前、何かを呟いた。


だが、その音声は欠けていた。



「音声ログが、抜けてる……?」


「編集されてるわ。誰かが意図的に“記録を削除”した痕跡」



クラリスの声が低くなる。


涼は再生を止め、映像を巻き戻す。

画面の右奥、ミユの後ろ――そこに、黒いスーツの男が映っていた。


右目だけが、異様な光を放っている。



「……こいつ、知ってるか?」


「Zone.03で活動してる“記録の掃除屋”。

名前もデータも残ってない。……でも、ミユが最後に会った人物よ」



涼の中で、点がつながっていく。


ミユは、この男の存在に気づき、何かを知り、それを涼に伝えようとした。

だが、それは果たされなかった。


そしていま、この男が記録の中で涼を“削除対象”として認識しているなら――

次に消されるのは、自分だ。



「このままじゃ、俺も存在ごと消える」


「ええ。あなたのログも、今は“未承認データ”扱い。

誰かが決定すれば、あなたの存在自体がロクバンから消去される」


「だったら……俺が先にこの記録を書き換える」


涼は決意を込めて言った。


「彼女の死の意味を暴いて、この街の記録に刻む。もう一度、俺の手で」



クラリスは一瞬、涼を見つめた。


AIのはずなのに、その視線には、どこか言葉にできない“情”があった。



「無茶をするのね。……でも、私は嫌いじゃないわ、そういうの」



モニターが切り替わる。

次に向かうべき地点のログが、映し出されていた。


《記録消去ルームB:再編集キー保管エリア/Zone.03 地下制御棟G5》



涼はホロマップを閉じ、部屋を後にした。


クラリスが背中に小さく呟いた声が、微かに聞こえた。


「本当に、今度が最後の指名になるのね……」


(第二章 終)

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