16曲目 ケセラセララ

タイトル:曇天

歌:吉澤嘉代子 私立恵比寿中学

作詞・作曲:吉澤嘉代子

URL:【 https://www.youtube.com/watch?v=bTY-8oxQzss&t=1s 】

   私立恵比寿中学 【 https://www.youtube.com/watch?v=vf1rpzJ5vYw&list=RDvf1rpzJ5vYw&start_radio=1 】

初聴:社会人4年目(2025)

蓬葉No:1894

蓬葉階級:——/6つ星 最近聴いた曲なので、階級はありません。 



——ケセラセラ 

 スペイン語です。「なるようになる」という意味で用いられることも多いですが、じつは疑問文で「どうなるであろうか」という意味らしいです。

 前者の意味でとると、明るい意味となりますが、後者だと明るさという正の印象がやや薄れ、ニュートラルになるように思えます。「正」から「0」へ引いたという意味ではやや「負」、すなわち、マイナスの印象すら錯覚してしまいます。


 私の音楽史のなかにMrs. GREEN APPLEは現状存在していないため、これを語ることはできないのですが、流行の楽曲「ケセラセラ」は、前者の意味をとった、明るく前向きになれる曲であると感じます。


 しかし、今回の「曇天」の歌詞中に登場する「ケセラセラ」は、おそらく後者の意味です。つまり、未来への漠然とした不安が歌われているのです。




 私立恵比寿中学のチャンネルにはアニメMV付きで上がっています。もがいてももがいても、何か心にうろがある。そんな雰囲気のMVです。かつて大切にした人がいて、今は一緒にいないけれど、いつまでもいつまでもいつまでも、その人の幻影が消えない。それが、たとえばタバコとその煙によってあらわされている、と私は感じます。



 さて、歌詞はどうでしょう。

 歌いだしや、2番Bメロ(あるいは1番Aメロも?)などに少々、性的な表現が見られますが、それがこの曲の、なんというのでしょう、ままならなさ、とでもいうものを表しているように感じます。

「なんとかなる」というより、「これからどうなるの……」というような感覚です。

 

「あなた」の瞳には「私」は映っていないらしい。

 

 私個人の印象ですが、この曲における二人は、世界の見え方が違ったのではないか、と思います。つまり、「あなた」の瞳には「私」はおらず、「別の誰か」がいるというのではなくて、好きなものであったり、知識であったり、人生観であったりが、違う。


 この曲において、二人の価値観に相違が見られるのは「純粋で退屈な映画」(2番Aメロ・Bメロ)についてです。「あなた」はその映画が好きなのに対して、「私」は「退屈」と表現していることから、あまり好ましく思っていないように見えます。

 が、私はそれも含めて「全部わかって気がしていた」と続きます。そして、その場所が「この世でいちばん優しい場所だった」と続く。


 ここから、「私」は「心地よさ」と「相違」とを同時に感じているのがわかります。であるなら、なぜ別れたのだろう。

 もしも二人の世界観が違ったと仮定するなら、そのふとした時に顔を出す「相違」が、一緒にいるときに感じる「心地よさ」を上回ってしまった、ということなのでしょうか。


 ただし、この解釈の場合、「あの人を信じたい」のという歌詞がわからなくなりますね……。曲を聴く時の参考程度に、してみてください。



 

 最後のサビ。

 曇天の向こうには ケセラセラ

 何が待っているのでしょう。

 青空でしょうか。さらに分厚い雲でしょうか。雨が降るでしょうか。虹がかかるでしょうか。


 ケセラセラ。

 この先どうなるか。それを知っているのは、未来の私だけです。

 だからこそ、毎日、生きていかなければなりませんね。





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