【第4話 揺れる視線、ふたりの距離】

 日曜の夜、姫野梨央はベッドに寝転んだまま、スマホを持つ手をそっと胸元に下ろした。


 目を閉じても、まぶたの裏に浮かぶのは、あの時の悠斗の表情。


 ──「明日、放課後……“それっぽいデート”してみる?」


 ほんの数時間前に届いたそのLINEは、既読をつけたあと、すぐには返せなかった。


 けれど、心はもう決まっていた。


 (“それっぽい”って、なによ……)


 思い出して、少しだけ笑った。


 演技、フリ。そういう言葉に逃げながら、どこか本音が混ざるのが、怖くて、嬉しくて、面倒で──


 (明日、ちゃんと演じきれるかな……)


 そんなことを思いながら、梨央は眠りについた。


* * *


 月曜日の放課後。


 ショッピングモールの入口で待ち合わせたふたりは、どこかぎこちなく、でもどこか自然に並んで歩き出した。


 「……わりと、混んでるな」


 悠斗の一言に、梨央は笑う。


 「まあ、みんな同じようなとこ行くよね」


 会話のテンポは悪くない。だけど、互いに無意識に距離を測っている感じがあった。


 「“それっぽい”って、どういう意味?」


 ふと、梨央が聞いた。


 「ん? ……雰囲気、的な? デートっぽいっていうか」


 「そう。なら、頑張って“それっぽく”してあげる」


 そう言って、わざとらしく腕に手を回す。


 (……演技。これも演技)


 だけど、ほんの少し触れた悠斗の服の感触が、思ったよりも鮮明で、梨央は小さく息をのんだ。


 「姫野って、慣れてるの?」


 急に聞かれて、思わず眉をひそめた。


 「何に?」


 「こういうの、デートとかさ。リアルで彼氏いたとか」


 「……いたけど。昔の話」


 「そっか」


 悠斗の表情は読み取れなかった。


* * *


 雑貨店やアパレルを見て回ったあと、ふたりはカフェに入った。


 店内は学生が多く、落ち着くようで少し居心地が悪いようでもあった。


 向かい合って座ると、自然と沈黙が訪れた。


 「さっき……手、握ったときさ」


 「うん」


 「なんか、ちょっとドキッとした」


 言葉が落ちるまで、少し間があった。


 「それは……“演技”にしては、失格じゃない?」


 梨央は笑って言った。


 でも、心の中ではまったく笑えていなかった。


 (私も、同じだったのに)


 「姫野はさ……」


 ふいに悠斗が口を開く。


 「俺たち、本当に“フリ”で終われると思う?」


 梨央は、答えられなかった。


 代わりに、カップの紅茶に口をつける。


 だけど、もう冷めていて、何の味もしなかった。


* * *


 帰り道。空はすっかり夕焼けに染まり、街の風景を橙色に変えていた。


 「……ねえ、悠斗くん」


 「ん?」


 「演技って、どこまでが“演技”なんだろうね」


 「さあ。たぶん……演じてる本人にも、分かんなくなるときあるんじゃない?」


 その答えは、思いのほかリアルで、梨央の心に静かに刺さった。


 ふたりの歩幅が自然と揃う。


 もう言わなきゃ、と思った。


 このままじゃ、何も進まない──そう思った。


 「……私さ、悠斗くんのこと、また好きになりそうで怖い」


 風が止んだように感じた。


 「それ、契約違反かな」


 悠斗は立ち止まり、彼女を見た。


 「そんな契約、破ってもいいんじゃない?」


 その言葉に、梨央の目が少し潤んだ。


 「……じゃあ、もし私が本気になったら?」


 「そのときは……俺も、ちゃんと本気で向き合う」


 答えは、まっすぐで、逃げなかった。


* * *


 電車が来るまでのわずかな時間。


 ホームで並んで立つふたりは、もう言葉を交わさなかった。


 けれど、静けさの中にあるぬくもりが、たしかに心を満たしていた。


 「今日さ……すごく楽しかったよ」


 梨央が小さくつぶやく。


 「俺も」


 電車がホームに入ってくる音が響く。


 「じゃあ、また明日」


 「うん」


 その一言に、たくさんの想いを詰めて。


 ふたりは、それぞれの車両に乗り込んだ。


 そして、夜の街に電車が走り出す──。


 その車窓に映る、少しだけ笑った梨央の表情は、きっと演技じゃなかった。

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