【第3話 偽りと本音のスクールライフ】

 契約から一夜明けて、真壁悠斗は少しだけ早く家を出た。

 理由は簡単。朝の電車で、姫野梨央と会うのが気まずかったからだ。

 「……変に意識してる時点で、俺の負けだよな」

 軽く頭をかきながら駅の階段を下りると、校門前に見慣れた姿がいた。


 「おはよう、悠斗くん」

 爽やかに微笑む梨央がそこにいた。

 「……なんで、こんな早く?」

 「そっちこそ」

 軽く返されて、返す言葉が詰まる。

 二人で歩いていると、ちらほらと視線を感じた。

 昨日の“契約”の話は、早くも校内に広まっていたらしい。


 「見られてるな」

 「うん。気にしないで」

 梨央の言葉にうなずきつつも、悠斗の胸の奥はざわついていた。


* * *


 教室に入ると、佐伯翔太がすかさず声をかけてきた。

 「なあなあ、姫野さんと付き合ってるってマジ?」

 「……それ、誰に聞いた」

 「オレの情報網ナメんなっての。にしても、お前ってほんと隠し球持ってんな〜」

 翔太のにやけ顔に、悠斗は乾いた笑いを返すしかなかった。

 契約のことは誰にも話さない、と梨央と約束していた。

 だからこそ、なおさら息苦しかった。


 (これは、嘘なんだ。演技なんだ)

 そう何度も自分に言い聞かせる。


 だが昼休み、その“演技”はさらに強化された。

 「悠斗くん、いっしょにお昼食べない?」

 そう言って、A組の教室からわざわざやってきた梨央が、微笑む。

 教室が一瞬、凍りついたように静まり返る。

 悠斗は困惑しながらも、「うん」と小さく返した。


* * *


 学食の隅のテーブル。

 並んで座る二人に、周囲の視線が注がれる。


 「すごい注目浴びてるな」

 「演技の効果、ばっちりってことだよ」

 さらりと言う梨央の言葉に、悠斗は内心苦笑した。

 こんなふうに“演じる”なんて、得意じゃない。

 それでも、梨央の言葉に従って自然に振る舞おうとする。


 「……梨央って、昔からこういうの、強かったっけ?」

 ふと漏れた問いに、梨央は手を止める。

 「……ううん。得意じゃないよ」

 「そうなの?」

 「でも、こうしてる方が……怖くないから」

 ポツリと零した言葉に、悠斗は一瞬、胸が痛くなる。

 (俺が、そうさせてしまったのかもしれない)


* * *


 放課後、昇降口で靴を履いていた悠斗に、再び梨央が声をかけてきた。

 「今日も一緒に帰れる?」

 「……いいよ」

 ふたり並んで歩く帰り道。

 夕焼けが落ちかけて、駅前の通学路に影が伸びていた。


 「ねえ、悠斗くんってさ……今までに、本気の恋ってしたことある?」

 突然の問いかけに、悠斗は戸惑った。

 「……どうだろ。少なくとも、自分では本気だったと思ってた」

 「それって……中学のとき?」

 「うん」

 そう答えると、梨央は黙ったまま歩き続けた。


 しばらくの沈黙の後、彼女が言った。

 「私ね、あのとき……ずっと聞きたかったことがあったの」

 「……なに?」

 「なんで、別れようって言ったの?」

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 その問いだけは、来てほしくなかった。


 「……あのときは、俺なんかじゃ君を幸せにできないって思った。

 君はいつも輝いてて、俺なんか、ただの空気だったから」

 絞り出すように言葉を吐いた悠斗を、梨央は見つめていた。

 悲しそうな目だった。


 「……バカだな、悠斗くん」

 「え?」

 「私にとっては、あの頃の悠斗くんが一番、心地よかったんだよ」


 それ以上、何も言葉が出なかった。

 電車が到着するベルが鳴り、二人はそのまま改札へ向かう。


 改札を抜けた直後、梨央がぽつりと呟いた。

 「契約とかじゃなくてさ、今でも……あなたに触れられると、ちょっと嬉しいの」


 振り返ると、彼女は少しだけ赤くなった頬を隠すように、髪を耳にかけていた。

 そして、何事もなかったかのように、改札の向こうへ歩き出した。


 (あれは“演技”じゃなかった――よな)

 悠斗は、胸に残った感触と言葉を、まだ信じきれずにいた。

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