沈黙は無色
一通り校内見学を終える頃、静かだった廊下に人の声が響き出す。恐らく今日のオリエンテーションが終えたのだろう。校長とは校長室で別れ、職員室に戻る。
職員室は人が疎らだ。今朝案内された自席に座るが両隣はまだ戻ってきていない。手持ち無沙汰になって目の前のパソコンを起動する。デスクトップにある「共有フォルダ」というものが目に留まりそれをクリックした。見るのがダメだったら鍵がかかっているだろうし。
フォルダを開くと個人名と各科目が並んでいる。下の方に用務員というフォルダを見つけた。開いてみると、「業務内容」「注意事項」「緊急時マニュアル」なんかが入っている。一番上をクリックすると、一日のタイムスケジュールが丁寧に纏められていた。どうやら俺は、これから毎日校内の掃除や物品補充、庭の手入れをすることになるらしい。正直肉体労働は苦手だし好きじゃない。どちらかというとデスクワークが好きだ。人と話さない仕事なら尚良い。まあ、「用務員」という時点である程度諦めてはいたが。
「ごめん、お待たせ」
後ろから声がかかり、ほぼ同時にぽんと肩を叩かれた。声の主は俺の隣のデスクに腰掛ける。
「お疲れ様です、豊森先生」
豊森先生は今日から一年生の担任を持つと言っていた。忙しいのだろうに、俺の世話まで。あの傍若無人な瀬戸天音に押し付けられたに違いない。申し訳ない。
「あ、フォルダ見てくれたんだ。必要かなって思うことはまとめておいたんだけど……うちの学校、用務員さんなんていたことないからさ。色々決まってない部分もあるし。それはその都度詰めていこう」
未経験の俺に、学内で前例のない仕事を教えるなんて考えただけでも面倒だと思うが、彼女はそんな様子ひとつ見せない。それどころかへにゃりと力の抜けた笑みさえ見せてくれる。人間が出来ている。
「今日は初日だし疲れたでしょ?このあとはもう休んでいいから……明日から直近でお願いしたいのは校庭の花壇周辺の草むしりと校内にある教科準備室の清掃、それから」
「プレハブ小屋と体育館の落書きの清掃を大至急なさってくださる?」
豊森先生の言葉を遮るように現れたのは青髪の女性だった。今朝、俺や豊森先生、神代を馬鹿にしていた教員であり、体育館で高らかにキンキン声をあげていた教員だ。
一般に耳があるべき場所には鳥のような白い小さな羽翼が付いている。眼鏡をしているが、眼鏡は羽にひっかけているんだろうか。それとも見えないだけで耳があるんだろうか。……まあ、どっちでもいい。
その女性教員が、鋭い眼光で俺を見下ろしている。効果音を付けるとすれば「キッ」とかだと思う。気の強い女のステレオタイプ。こういうタイプというのは一見面倒だが、実際の対策は案外簡単だ。
「はい、わかりました」
淡々と、はっきりと。そう返事をする。女は満足そうに微笑んだ。
「よろしい。立場をわきまえているようね」
腰に手をあて、偉そうに。そんな言葉を残して去っていく。ああいうのは争うだけ無駄だ。できるだけ従順に、適当に。できるなら、言葉は右から左に流すのがいい。素直に自分の中に迎え入れるのもやめた方がいいだろう。
「……今のは、
「天人主義者」
「その通り」
豊森先生が笑う。掴みどころのない、ふわっとした人だと思っていたが、その笑顔は悪戯で少しだけ幼く見えた。
「天人主義って結構多いんですか」
「……まぁ瀬戸ちゃんの存在が大きすぎるからね」
彼女は一瞬、周囲に視線を投げた。それから、一段声が小さくなる。
「学力、身長、運動神経、スタイル、お金……人間、生きてると色んな定規を手に入れるでしょう。ここでは能力っていう定規を持っている人が多いんだよね」
淡い茶色の眼が、俺を見る。金眼とは違う、優しい色。どことなく寂しげで、曖昧な色。言葉は返さず、ただ頷いた。
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