歩く足には声が付く

 生徒が皆体育館を出て、暫し。校長は他の教員と落書きについて話し合っているようだった。そこに混ざりたいとは思えなかったが特にやることもなかったのでぼんやりとその様子を眺める。話している男は職員寮内で何度か見たことがある。名前は知らないが、彼も超能力者なのだろう。自信無さげに下がった眉尻と大きな黒縁の眼鏡。ぺこぺこと何度も校長に頭を下げてから足早に体育館を出て行った。

 それからすぐに、校長と目が合う。

 

「すみません、お待たせ致しました」

 

「いえ、全然。今のは……」


「彼は今年の二年生の担任です。落書きの件、クラスでの注意喚起をお願いしていました」


 あんなにおどおどした人にクラスの担任なんて務まるんだろうか。我ながら失礼だとは思うが、そんな考えが脳裏に浮かぶ。そもそも高校生なんて世間や大人を舐めてる奴ばっかりだろう、多分。しかも二年の担任ということは瀬戸や犬原のクラスを担当するということだ。犬原はさておき、瀬戸を制御出来るとは思えない。とはいえ、どんな人間なら制御できるのか、と考えてみても思いつかないんだが。

 

「豊森先生の手が空くまでの時間なのですが……校内をご案内したいと思っています。まだ回っていませんよね?」

 

「まぁ……でも、マップならもう頭に入ってるんで、別に」

 

「そう仰らずに」


 にこやかで柔らかな物言いだが、それ以上の言葉を封じられたように感じたのは俺のコミュニケーション能力が低いせいだろうか。自然な流れで歩き出す校長に促されて体育館を出た。

 渡り廊下を歩いて、校舎内に入る。このまま真っ直ぐ進めば右手に理科室、理科準備室、調理室。一番奥に保健室。左手には中庭に繋がる扉がある。少し進んで右に曲がれば階段が、左に折れると玄関。さらに進めば職員室と教材室がある。それ以外の教室配置だって、歩かなくても分かるのに。


「この壁の傷が犬原くんがつけたんですよ」


 廊下の壁についたひとつの傷を撫でながら校長が微笑を浮かべる。15cmくらいだろうか、ひびが入ったような傷だ。


「え? 瀬戸じゃなくて?」


「神代先生への牽制で……どん、と殴りまして」


 その傷へ、こつん、と自分の拳を宛てた。紳士的かつ沈着な雰囲気を醸す男が壁を殴っている様というのは、それはそれはシュールなもので。暫しの沈黙も相まってつい吹き出した。


「ふっ、は……そう、なんですね、……すみません……」


 出会って間もない上司を笑うなんてさすがに失礼だろうと思うが、今回ばかりは仕方ないと思う。それに、拳を下ろした男は特に気分を害した様子は無い。


「この学校は新しいですが、生徒の個性が強いのでこのような傷も多くあるんです。地図を見ただけでは分からないと思いまして」


 そう言われて見てみれば、たしかに壁には色んな傷がある。何かが擦れたような傷、何かが引っかかったような傷が、のっぺりとした真っ白な壁に人の存在を明確に刻んでいる。


「この学校は昨年出来たばかりですから、生徒は2年生まで、それぞれひとつのクラスしかありません」


 再び歩き始めながら、男が口を開いた。右手に折れて階段を上り、2階の廊下を進むと徐々に人の声が聞こえてくる。2階にはそれぞれの学年のクラスがひとつずつあるはずだから、きっとそこから響いている声だろう。

 

「2年生は29人、1年生は26人。全校生徒数は55人です」


「つまり、施設にはそれ以上の超能力者がいるってことですよね」


 たかが50人、されど50人。超能力者がそれほどいるのであれば、話題になってもおかしくない筈だ。なのに、俺は今まで超能力者なんて見たことが無いし、信じたことだってない。この現代、情報社会の世の中で、超能力者の存在をここまで隠せるものなのだろうか。此処に来てから浮かぶ疑問のほとんどは、ひとつの問に収束する。


「……施設って、どんなところなんですか」


 その問を口にする。沈黙した廊下に響く幼さの残る声。その音源の方へと向かう足は自ずと重くなった。ちらりと横目で盗み見た校長の表情は相変わらず柔和で、だけどその目はなにも写していないかのように仄暗い。

 

「どのように言えばいいか……少なくとも良い思い出を作れるような場所ではありませんでしたね」


 思い出しながら話しているというより、言葉を選びながら話しているのが伝わってくる。校長は50代くらいに見えるし、少なくとも俺よりずっと歳上だと思うが、一体どのくらいの期間を施設で過ごしていたのだろう。右の額から目元にかけて走るその傷も、施設と関係があるのだろうか。

 

「瀬戸さんには感謝してもしきれません。彼女がいなければ、あの生活がきっと死ぬまで続いていたと思いますから」


 大袈裟とは思えなかった。通り過ぎていく教室の中。どの横顔もただの子供にしか見えない。だけど、その顔が穏やかであることも、自由に声を発していることも。彼らにとってそれはなにひとつ当たり前のことではないのだろう。

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