第2話
どこまでも青い空。
白い雲が遊泳し、小鳥が華麗なダンスを披露する。
澄んだ空気は、きっと彼らを応援するために存在している。
空気も、
輝きも、
空も、
地も、
在るべくして在るなら、きっとそうだ。
この世界には、現実しかない。
ずっと、果てしないまでに、現実しか存在しない。
此処に、理想や希望を抱くなら、それは其処に在る現実の見方が間違っているから―――。
そして、此処に絶望や苦痛を感じるなら、きっと其処に在る現実の見方が分からないから―――。
誰が悪いワケでもない。
誰もが悪いし、誰もが正しい。
裏とか、表とか。
そんなモノを見つめるから、どうしようも出来なくなる。
どうにもならなくなってしまうんだ。
私はそう思う。
だって、手の平に乗せられた黒も白も、ひっくり返さない限り、ソレが何なのかなんて、誰も分からないのだから。
例え、これが理想なのだとするなら、私はそれで良いと思う。
――理想を抱くこと。
これが間違いなんてことは、絶対にある筈がないんだから。
逆に、これが堅実なのだとしてしまうなら、やっぱりそれでも良いと言おう。
――現実を知ること。
これは間違うことなんて、必ずあり得なくさせる盾なのだから。
ならば、私のすることなんて決まっている。
初めから決まっていて、決まっているから始まるのだ。
理想は抱くこと。
現実は携えること。
そうすれば、きっとこの世界はもっと広くなる―――。
◇
一体、どれだけの時間が経ったのだろう。
私のノートに書いていた記録の文も、ひと段落を終えて、微かに息を放った時、頭上を二羽の鳥が駆け抜けていくのが見えた。
けれども、影は作らない。
それくらいに離れた場所を、高いところを飛びながら、宛らじゃれ合うようにして、くるくると其処を駆け回っている。
「………」
そんな光景を観て、ふとこの地の平穏さが、人間以外にも影響されていることを知る。
つまり、この平穏さは特異な人間が齎した平穏ではない。
もっと大きく、広く、この地そのものが“平穏”になっているということなのだろう。
そうでなければ、動物が子供のように遊ぶことなんてあり得ない。
特に、鳥のような弱々しい存在が、表に出てくること自体が、この地獄に於いては既に変だったりする。
やがて、遊ぶ子供たちの声にも疲れが見え始めた。
不意にあの
しかし―――、
「………うん?」
……見当たらない。
結果はそんな悲惨なモノだった。
しかし、それで見つからないからと“居ない”とするべきなのか……。
「いや、」
もしも、仮にあの少女が帰ったとしてだ。
帰ったとしたら、子供たちが気づかないなんていうのは不自然だ。
あの少女が来る時に見せたあの輝きは、そこまで一時的なモノではなかった。
けれど、今一度と改めて辺りを見回しても、やはり居ない。
一際目立つというワケではないが、記憶には留めていた和洋折衷の姿の少女。
洋紅色の装いは、決して探そうと思えば、きっと簡単に見つけられる目印にはなるはずだ。
けれど、見つからないのだ。
なら、考えられるの二つ。
私が空を見上げていた時間が、自分でも思うよりも、ずっと長くて、あの少女が姿を消すまでの間を費やしてしまったのか……。
もう一つは、あの少女には誰にも気付かれずに、姿を消せる能力があって、その才能を活かして、姿を消したということなのか……。
どちらも、限りなくあり得なくもない。
そんな可能性で、事実がどっちだったのか、中々に暫定出来ない。
「だからつまり……」
ここで、新たに一つ。
どうにかして、現実味を上げようという魂胆だ。
―――結果。
私が空を見上げている僅かな時間の隙間に、少女が例の『瞬間“的”移動』を以てして、この場を離れ、どこかに行ったということに至る。
「………うん」
私なりには、これで納得が出来た。
だから、この結論が起きたのだとして、私は考えるのを辞めた。
……まあ、もっと深く考えれば、
“何故わざわざ『瞬間“的”移動』で姿を消さなくてはならないのか”とか、
“何故子供たちは誰も目立った反応を見せていないのか”とか、
そういった、色々と疑問は浮かぶが、そこは保留にする。
別に、真実を知りたいワケではなかったから。
ただ単に、納得がしたかっただけでしかないから。
ならば、これぐらいで丁度いい。
「………?」
などと考えていたら、河に居た子供がこちらに手を振ってきた。
だから、手を振り返す。
しかし、どうして私なんかに手を振ってきたのだろうのかが、分からない。
確かに、互いに存在は認識していた。それは、ほんの二時間ほど前――私が森を彷徨い、たどり着いた河原で始まった関係だ。
二時間よりも前。過去の私は何を思ったのか、気がついたら居た森の中をアテもなくフラフラと歩いていたらしい。
そうして、運良く辿り着いたこの河原に、私たちが来るよりも先に訪れ、遊んでいた子供たちの内の一人があの子だった。
それから、私たちは一時的な休憩のためと、これまで観てきたモノをノートに記録するために、こうして留まったワケになる。
つまるところ、現在への回帰だ。
それとも、もしや私たちは、子供たちの中で、それなりの話題になっているのだろうか……。
或いは、あの振った手の行き先は、私ではなく、傍らのシャビロッテなのか……。
……うん。確かにシャビロッテは、彼らと同じくらいの年齢層だ。
ならば、同じ歳くらいの子に手を振るのなんてのは、然程珍しいことではない。
しかし、そうすれば、その手の行き先に違和感を覚える。
シャビロッテが居るのは、私の左手側だ。
そこで私の腕に掴まっている。
なのにも関わらず、その振って見せている方向は、シャビロッテが居る左手側というより、右手側だ。
だからこそ、ただ眺めているだけで、あまり関わりを持たない私が手を振り返した。
のだが―――、
「―――うわッ!?」
思わず、私から大きな声が出ていた。
それは驚きの声。ふと、私がシャビロッテの居る方向とは対になる方へと、視線を切った時に打ち放たれた声だった。
「―――っ!? なにっ!?」
その声に反応して、私が見て知って、驚愕という形で反応した場所――そんなところで、膝を抱えニコニコと穏やかに笑って、子供たちへと手を振り返していたあの和洋折衷の少女が、反射的に立ち上がった。
すると、切迫した表情で、辺りを見回し始める。
まるで、何かしらの脅威が、何処からやって来るのかを把握するための行為にも見えた。
「居ない……?」
やがて、その行為にも終わりが来ると、和洋折衷の少女は長い呼吸を放った。
と、同時に全身の脱力もさせていき、軽く一周だけ最後の確認をし、コクリと頷いた。
「……うん。やっぱり、何も来てないみたいね……」
呟かれた声には、明らかな安堵があり、強張っていた全身も、脱力を一つと挟み、自然体に戻っていた。
そして、ここで初めて私と目が合う。
随分と遅れた互いの存在認識が、やっと果たされた。
「えっと……、あの、ですね?」
少女に謝るべきか……。
それとも少女に問うべきか……。
少し悩む。
悩みながら、口を開いていて、言葉に詰まる。
果たして、どちらが先で、どちらが言いたいのか。
あまりに突然だった邂逅に、それすらも掴めない。
本当に、どうしたものか……。
などと考えながら、体勢を立て直そうする。
―――が、
「―――ッ!?」
痛みが走った。
左腕に、ビキッと突き刺さるような痛みが駆け抜けた。
そんな突如としての痛感に、視界が片方だけ細くなり、驚きの彩も混ぜた声を放ちながら、息が詰まる。
私の異様な反応に、不可解そうに首を傾げる目の前の少女。
もはや、それにすら構っていられないほどに、反射的に左腕を見下ろす。
「――――」
―――そこには、恐らく見てはならない光景があった。
――否、なってはならない光景があった。
手首よりは上で、肘よりは下。
所謂、前腕に当たる部分。
それが、掴んで引っ張られた針金のように、不自然に曲がっていた。
「ぅ―――」
自分で見ていて気持ちが悪いと思った。
まるで、本能がこの現実の理解を拒絶し、自身の肉体に起きた“異変”を無かったこととしようとしていた。
だが、目の前には、確かにソレがある。
これは変えられない。
意識が、記憶が、本能がどうしようとしても、視界に捉えてしまった“真実”を、ただただ突き付けて逃さそうとしない。
「、――――」
だが、これではいけないと、すぐに思った。
私の左腕。それに抱きついていた少女――シャビロッテが、確かにこの不自然を、見つけてしまっていたから。
「っ―――ッッ」
だから、一見して振り解くようにしてでも、彼女の凍りついた視界から、腕を引っ張り上げ、背後に隠した。
最中の痛みはとんでもない。僅かな遠心力だって、喉が張り裂けそうだった。
でも、唇を噛み締める。
途端に出始めた冷や汗も、今は後回しにし、どうにかシャビロッテには笑顔を向ける。
従って、シャビロッテの凍えた顔が、私を捉える。
「ん? どうしたんです?」
震える喉で、平静を装うことに全力を注ぐ。
出来なくとも普段通りに。
ただただその一心で、語りかける。
ただ、シャビロッテの瞳が揺らいだ。
そして、顔を俯かせてしまう。
けれど、私は“大丈夫だ”と、無理にでも押し通さなければならない。
何故なら、シャビロッテが自責の念に苛まれているのは、他ならぬ彼女が左腕に掴まっていたから。
咄嗟のことで、腕から手を離すことが出来なかったが故に、私の偏った体重が一点に集まり、この異変を起こしてしまったことに起因するからだ。
これは誰も悪くない。
強いて言うなら、私の至らなさが招いた自業自得だ。
でも、そんな言葉を投げかけたって、シャビロッテが自身を許すことなんてはあり得ない。
ならば―――、
彼女が自身を許せるように、
彼女が自身を責めなくて良いように、
そうするために行動を起こさなければならない。
彼女に泣いて欲しいなんて、一片たりとも思っていないのだから、当たり前。
私が私であり、彼女が彼女であるのなら、初めから決まっている。
どれだけの痛みを味わおうと、私は笑顔を作るのだ。
見せかけでも、それが正しいのだと信じて、笑顔を向け続けるのだ。
「………」
リリニアと呼ばれていた少女が、眉を顰める。
私の言葉や反応。それ等から、その意図を察したのだろう。
しかし、彼女が口を開くことはない。
私がそうするように、彼女に視線を送ったから。
彼女には、悪いがこのまま付き合って貰う。
そうしないことには、現状の打破は限りなく難しいからだ。
「ところで君は?」
痛みが落ち着きを見せ始めた頃を確認し、語りかける。
そうして、私に尋ねられると、リリニアは少しの沈黙を置いて、口を開いた。
「リリニアよ。基本的にはこの辺りから少し離れたところに住んでるんだけど、暇つぶしに色んなところに顔を出してたりもするの」
と。まるで、叱咤するような固い声で、自己紹介をしてくれた。
その文言に頷きつつ、私は彼女の想いに気付かないフリをする。
気付いていないのなら、私からの返答は普段とあまり変わらない。
ということは―――
「ほぅ。つまり、リリニアさんは、所謂なところで云う“暇人”ってことですか?」
こうするべきだろう。
多分、間違いはない。
だから、後は貫き通すだけ。
だが、そんな私の言葉を聞いて、リリニアは驚きに瞳を大きくさせた。
恐らく、自身が明らかに露見させていた叱咤の感情を無視されたこと。
それと、こんな状態の私が日常の延長的な会話を持ち掛けてきたから……。
すると、彼女の表情は、これでもかと自身の感情を露わにさせたモノとなった。
多分、軽んじられた自身の名誉や無駄にされた思慮もあるに違いない。
「よくもまあ、人が気にしてることをハッキリ言ってくれたわ……。でも、まあ、そうよ。ただし、ただの暇人じゃなくて、“適度な暇人”だからね? 勘違いはしないように」
「はぁ……。適度、ですか……」
思わずクスリと笑ってしまう。
暇に適度も過度もないだろうに。
でも、彼女は私のこの身勝手な行為に付き合ってくれるらしい。
ただし、その言葉の節々には、まだ叱咤の用意を残すが、それでも、やっぱり私はこの決意を揺るがすことはない。
やがて、彼女が呆れに呆れて、ため息を放ったとしても、決してあり得ないだろう。
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