書留目録

タカマⅱ

第1話

 見上げてみれば、灰色の空が浮かぶ。

 アレは青いのだろうか……。

 もしくは、黒いのだろうか……。

 もう分からない。


 それほどに、ずっと。

 一切の変化も無く、ただただ在るだけの天井を、変わらず見上げるだけだった。


 確かに窮屈だと思っているのに、

 手を伸ばしても、

 跳んでみても、

 絶対に届くことはなかった。


 つまり、広い事実と、狭い感情は繋がらない。

 この窮屈な場所でも、きっと誰かにとっては広いのだろう。


 それは幸福なことなのかも知れない。

 私にとっては、なんてのは関係がない。

 意味がない。聞く必要のない言葉で、

 ―――ただ、そう感じて、

 ―――ただ、そう想った。

 というだけの話だから。


 けれど、私は祈るように見上げ続けていた。

 何も変わらないのに、ただずっと、変わらずに。


 だから、ふと分かった。

 誰も幸福だけなんて、信じてはいない。

 信じることが出来なくなってしまうのだ。


 明日を生きること、今日を生きること。

 たったそれだけで精一杯で、昨日のことなんか忘れてしまうのだ。


 でも―――、

 それでも、きっと―――、



 ―――私たちは生きていかなければならないのだろう。



 ◇



 強い日差し。肉体を溶かそうとでも思っているのではないかと思ってしまうほどに、突き刺さる。

 浮かぶ太陽に、どれだけ暑い暑いと言っても、聞き入れてはくれない。

 だから、耐えるしかない。


 吹いた風。少しだけ生温く、けれど吹き去ってしまう頃には、確かに涼しさを感じさせる、そんな風。

 蝉が鳴いて、魚が泳ぐ。

 その遊泳は気ままで、誰に促されたモノではなく、その合唱もまた生き残る術ではなかったりする。



 ―――曰く、阿鼻あび叫喚きょうかん

 そんな言葉があるらしい。


 泣いても泣いても、

 叫んでも叫んでも、

 救いは訪れず、苦しみ続ける。

 それがその言葉の意味なのだと、いつか誰かが教えてくれた。


 そして、その言葉こそが、この地に相応しい。

 広大なりて、壮大な地。

 或いは、警戒なりて、一度降り立てば絶望するべき地。


 ―――またの名を、


 有無など言っても意味がない。

 誰も聞いてはくれない。

 皆んな自分のことばかり。

 隣を仰げば、自身と同じ罪を犯し、自身と同じ罰を受ける者。


 所詮は、おなあなむじな

 姿形が違おうとも、犯した罪は同じ。


 だから、救いがないのに幾度の死を経験し、数多な再生を体験しなければならない。

 酷い、惨い、と口にしても、誰もその営みを止めることは出来はせず、ただただ淡々と死を迎えるしかないサイクル。

 辞めてほしくば、最初からするな。

 これがこの地の獄のモットー。



 ―――のはずだった。


「………」


 記録するためのノートに、文を書いている最中の私。

 その瞳の中。其処に煌めく水面を背景にでもするかのように、同じくらいの輝きの笑顔を浮かべている子供たちの姿が観えている。


 改めて、ここは南東の地の河付近。

 所謂、河原という場所で、私たちの座るところは、河原に在る岩の上だ。

 だから、一つ見下ろせば、この河付近に絞れば、どんなに離れた場所だったとしても、一望が出来てしまうワケだったりする。


 しかし、一望出来てしまうからこそ、私の疑問は止まらない。

 主に、鬼ごっこをしたり、隠れん坊をしたり、けんけんぱをしたりなど、それなりに楽しそうな遊びをしている子供たちに。


 つまるところ、この日差しとか、生温くとも微かに涼しい風の流れとか。

 或いは、河に集まって、遊んでいる子供たちとか。

 そういうのが他ならぬ、この地獄という地であまり見ることのない光景だったから。

 だから、今もこうして、筆を片手に唖然とも似た様子で、河原の岩に座り込み、そんな姿を眺めてしまっているワケだ。


「………可笑しい、か」


 そう言ってしまうのは、簡単だ。

 それくらいに、可笑しいと思う。


 だからか、今一度と私は疑ってしまう。

 ただでさえ、南東ここでは太陽が差し込み、どこまでも青く、どこまでも蒼い地が広がっていて、そこに死体の一つもないというのは、かなりイメージとかけ離れている。

 加えて、遊ぶ子供の笑い声なども割り入っては、もはや地獄というより天国のようだ。


 これを可笑しいと言わずして、他に何と言おうか……。

 何と称し、この筆を使って、このノートに書き記すべきか……。



「………はぁ、」


 口から、ため息が漏れた。

 それは、考えるのが疲れたから放たれたモノだったが、どこか呆れのようでもあり、安堵のようでもあった。

 多分、いつかに聞いた地獄が、まさかこんな明るい場所なのだとは思わなかったからだろう。


 そんな私の声が聞こえ、様子を察したのだろう。

 私の傍らに居て、私の腕に掴まっていたシャビロッテが、子供たちを眺めるのを止め、顔を覗き込ませた。

 その金色の髪が、強すぎるほどの光を浴びて、より一層とその輝きを増させている。

 また、黒にも見間違うほどに、深く青い濃藍こんあい色の大きな瞳が、その青さを伺わせていた。


「どうしたの?」

「……いや、なんでもないですよ。ただ、これが地獄なのかぁ……っと思っただけですから」


 間違いは言っていない。

 彼女に、自分の至らなさを直接打つけるなんてのが出来なかっただけだ。

 だから、少しだけ遠回りな文言になった。


 ただ、それを聞いたシャビロッテの瞳は、僅かに細められた。


「ほんと? アンタ……、フィアンセに嘘を言ったらダメなのよ?」


 真偽を問う言葉と眼差し。

 仮に嘘を言っていて、後ろめたさでも感じていたなら、その隙を逃さないだろう。

 そうまで察してしまうほどに、真っ直ぐな瞳が、私を捉えている。


「………」


 だからこそ、私は嘘偽りのない言葉で返す。


「はい、本当ですよ」


 そう返すと、シャビロッテはそのままに細くした瞳で見つめて来る。


「………、………、………」


 そのまま、何を言うワケでもなく、ジッと瞳を合わせてきている。


「………、………、………っ」


 微かに走る緊張感。

 何なんだこの緊迫感。

 今更ながらも、どうしてこうなったと、意味のない自問自答。


 けれども、視線を逸らすことは出来ない。

 そう。一体、どんな能力なのか。

 私が“しない”のではなく、“出来ない”のだ。


 すると―――、


「………そう。なら、良いんだけど」


 やがて、満足がしたのか。

 シャビロッテは、それだけを言っては、瞳をまた大きくさせ、子供たちのほうへと顔を向き直した。

 そうして、浮かべた彼女のつまらなそうな横顔に対して、私の心臓は驚きの余韻を打ち鳴らしていた。


 でも、仕方がない。

 まさか、私の言い回しの妙に、彼女の勘が働くとは思わなかった。

 だから、嘘を言ってなくて良かったという安堵と、これからはもっと気を付けなければならないという注意に、コクリと頷いた。



 そして、一息を放った頃。

 改めて見てみると、シャビロッテの視線は未だに河原で遊ぶ子供たちのことを眺めていた。

 私もそれに促される形で、今一度とこの“地獄”なのに“平穏”という、矛盾のような可笑しな光景を認識する。


「おーい」

「あははっ」

「このやろうっ!」


 河の近くでは、様々な声が飛び交っている。

 時に誰かを呼んだり、笑ったり、怒ったり。

 その声を聞いただけでも分かるほどに、本当に楽しそうに遊んでいる。

 子供だからって、全員が同じなワケではない。中にはきっと、体を動かすのが苦手な子も居ることだろう。

 けれど、そこに在るのは、その全てが笑顔だった。

 たったそれだけが、決まっているかのように感じた。



 だが、見間違ってはならない。

 此処が地獄ならば、彼らは罪人である筈だ。

 つまり、地獄に堕ちるほどの罪を犯している。

 また、それは“傲慢の罪”である筈に違いない。

 でなければ、この『傲慢のリリィ』が収める南東の地に居る筈がない。

 それはもう、居てはならないと云っても良いほどに、常識めいたことだ。


 すると、子供たちの活気が、一段と輝き出した。

 これまでの暖かな雰囲気が、羨望から来る輝かしい空気に変わったような様子。


「うん。来るらしい!」

「どこで見たのー?」

「さっき、里の中で見かけたヤツが居るんだってー」

「ほんとっ!? やったーっ!」


 様々な活気に満ち溢れた声。

 誰かが来るというのを喜んでいるらしい。

 やがて、その眼差しが、一方に向かって集まりだす。


「………」


 それは河原を囲うようにある森の中で、人の通り道を作っている方向。

 度々、新たな子供が駆けながら訪れ、または駆けながら姿を隠していく場所。

 つまり、その道こそが、彼らの云う里へと繋がる道なのだろう。


 そこから人影が現れる。

 和洋わよう折衷せっちゅうの身軽な装い。

 洋紅ようこう色の布地に白い蓮華の模様があしらわれた着物に、黒のロングスカートを合わせている。

 あごにかかるほどの短さと、後頭部に一纏めにされている髪。

 丸く大きくも気丈さを失わない瞳が、太陽の光を浴びて、いっそう茶色を深めている少女。


「本当に姉ちゃんだ!」

「嘘じゃなかったんだ!」

「久しぶりーー!」


 その少女が姿を見せた時、子供たちの足が彼女へと向いて、少女の周りに一人、また一人と集まりだした。


「今日は何しに来たの?」

「ここに来たってことは、遊ぶんだよね?」

「オレたち新しい遊びを考えたんだ! 一緒にやろうっ!」


 やがて、その人集りが少女を囲うようになった頃。数人の子供たちが少女の背を押すようにして、河辺へと連れて行かせ始めた。

 もはや、少女が何を返しているのかも分からないくらいに騒ぎの中では、自身が河へと向かっていることも、恐らく気付いていない。


 そうすると、河の中で先回りして待ち構えていた子供が、足が水触れる手前まで来ていた少女に水をかけた。


「―――うわっ!」


 それが少女の着物を濡らし、彼女にこの大声を上げさせた。

 驚いたように目を大きくさせた少女。

 ここでやっと、自身が押されていた先に河が広がっていたことを知ったに違いない。


 対して、呆然としている少女に、子供たちはもう一度と水をかけるための体勢を取った。

 すると、その意図を汲み取ったのか、少女はニヤリと笑ってお返しだと言わんばかりに、かけられるよりも先に水をかけ返した。



 そうして、始まった水のかけ合い合戦。

 時に少女の味方をする者と、対してそれに対抗する小さき者たち。

 その攻防は次第に激しくなっていき、殆どのかけ合い合戦の当事者の髪を滴らせる。


 すると、中でも一番狙われていながらも、それを華麗に避けて、同時に攻撃をしていた少女が足を滑らせ、体勢を崩し、尻餅をついた。


「あいたっ!?」

「あははー! 姉ちゃんが転んだぞー! 今だーっ!」

「ちょっ! ちょっと、今はタンマ――ぶわっ!!」


 一時停止を呼びかける必死な声を無視して、無慈悲にも水の追撃を与えられる少女。

 それまで、他の子供たちと比べて、明確に濡れていなかったのが、今回の集中攻撃により、誰よりもびしょ濡れになった。


 やがて、その集中攻撃が終わり、攻撃した者たちが応酬が来るぞーと離れる。

 すると、側から見ていても、重たそうな衣服と髪を、ゆらりと持ち上げながら、少女が不適な笑みを浮かべ、


「ふ、ふふ、ふふふっ……」


 という恐怖を感じさせる笑い声を響かせ、濡れたことにより前髪が目元まで垂れ下がり、彼女の顔の前を覆った。


 そして、その顔を中々見えなくなさせていた前髪の隙間から、少女が目を覗かせる。

 そうして、見えた瞳が、自分に背を向けている攻撃してきた者たちを捉えたかと思えば―――、


「――――!?」


 ―――その姿が消えた。

 瞬間に、水面が一気に跳ねる。

 まるで、がそこを通ったことを、遅れて世界に示し合わせるようにしてだ。


 それを確認して、私はその水が跳ね、幾つもの波紋を生んでいた所を辿るようにして、やがて見つけた。


 離れるために背に向けながらも、そこに居る者へと顔を振り返らせていた子供たちの進行方向の先で、手を横に広げている少女。

 子供たちは、その消えた存在に気付いていない。

 しかし、このまま走って向かうであろう、その先の場所に少女は、確かに居るのだ。



 つまり瞬間移動。

 いや、この場合なら、その場に転々として現れては消えるという意味合いを持つ“瞬間移動”というよりは、が正しいだろう。

 でなければ、水面に明らかに“誰か”が通った跡など残らないし、生まれない。


 だから、もっと正確に云うなら、それは『瞬間“的”移動』なのかも知れない。

 それが、あの和洋折衷の少女のの原理を、最も言い表した言葉になり得るだろう。



 それも恐らく知らない子供たちは、案の定のとおりに、少女の元へと走り続け、そこに広げられた腕に引っ掛かかるようにして、遮られ目を見開いた。


「えっ!?」

「うおっ!?」

「なんでっ!?」


 と。駆けていた子供たちは各々のニュアンスで、背後に居た者が消えたことに驚き、走るのを遮られた衝撃に驚き、その消えたと思った者が自身を遮っているということに驚く声を上げた。


 それを聞いて、少女はしめたっ! と、腕に掛かった子供たちの勢いを難なく受け止め、逆に押し出し始め、子供たちを背中から水面に落とした。


 そして、見事に情けない声を上げて尻餅をついたその子たちを前に、少女は腹を抱えて、膝を叩いた。


「あははははっ!」


 一際目立つ笑い声。

 無邪気で、してやったりと喜ぶ姿。

 どこまでも少女らしく、どこか子供っぽい表情が、さっきまで髪が滴って隠れていた顔に浮かんでいる。


 これを見て聞いて、最初は尻を摩っていた子供たちも、恥ずかしがったり、ムッと少女を睨んだり、少女に感化されて笑い出したりの反応を見せる。


 やがて、目元を流れる涙を拭う少女の笑い声が、途切れ途切れになり始めれば、立ち上がり、次の攻撃の準備を整えた子供たちに、その手の平を向けて、横に振った。


「ムリ……。ごめん、ムリかも……。わ、笑い死ぬ……」

「えーー」


 少女の振り絞るように出された言葉に、これまで分かりやすいかと思うほどの落胆の声を上げる子供たち。

 しかし、今回はその一時停止の言葉を素直に受け取って、自分たちで水のかけ合い合戦を再開し始めた。



 そうして、子供たちを見送った少女は、途端に当たりを見回し始め―――、


「――――!?」


 やがて、吸い寄せられるように、その瞳で私とシャビロッテを捉え、やはりこの世界に似つかない微笑みを浮かべてみせた。

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