神炎-the Spritfire-(読み切り版)

ヨシキヤスヒサ

1.ありがとう

1−1.プロローグ

 眼下に、それはいた。腐肉を貪っているようだった。


 人の三人分ほどの体躯。赤や緑などの鮮やかな羽毛で彩られたそれは、それでも筋肉の動きがはっきりと分かるほどに堅牢であり、また軽快そうでもあった。

 死肉をついばくちばしには、遠目からでも分かるほどにびっしりと鋸歯が並んでおり、猛禽やけものともまた異なる恐ろしさを感じさせるものだった。


 そして何より、その肢は一対、多かった。


 龍。


 この日のために、どれほどのものを費やしたのだろうか。それはもう、もはや思い出せもしない。

 纏った装束も。半里ほどにもなる麻縄を編んだことも。砂鉄を集めるところからはじめ、そうしてようやくに一本の剣のかたちを成したことも。

 すべて、この日の。そしてこれからのために費やしたものだった。


 しくじったらそのときは、死ぬだけだ。


 岩壁の上。その端に立った。剣の柄頭に麻縄の片方を巻き付け、しっかりと握りしめる。

 それの姿から目を離さないようにして、そして。


 その時、それがこちらを、向いたような気がした。


 跳躍。

 恐怖が、猛ったものに置き換わっていく。

 そしてそれすらも、怒りに。

 形容しがたい、どす黒いものに。


 足に感触があった。手にも。

 そして耳。甲高い、けたたましい叫び声が。


 剣。龍の背に、刺さっている。


 もがく龍の背。振り下ろされまいと、突き立った剣にしがみついた。それには銛のようにをつけてあったので、もがけばもがくほど、肉の奥へと食い込んでいく。


 それでも、視界は回っていた。


 巨躯は羽ばたいていた。それでもその背には、いまだ剣が突き立ったまま。

 麻縄が走る。手を伸ばす。掴んだ。手の中で滑る。熱さ。それでも。


 立ち上がり、体に麻縄を巻き付けた。


 と張る。体が、締め付けられる。息ができない。それでも宙空の龍の姿勢は揺らいでいた。

 全力で引っ張った。もがきが、麻縄を伝って手元を熱くする。必死に手繰り寄せようとした。


 体は、宙を浮いていた。

 空を飛ぶ龍にぶら下がり、ぐらつきながら。


 眼前。岩肌。

 ぶつかった。激痛。いっそ意識がはっきりするほどに。

 それが何回か。


 そのうち、高度が低くなった。

 麻縄を手繰れば、地面が足に付くほどに。


 転げながら着地した。

 そうしてまた、全力で縄を引っ張った。

 手応えは少なかった。いや、なかったのかも。


 そうやって手繰り寄せられたのは、一本の剣だった。


 その巨躯は、しばらく遠くのほうで倒れ込んでいた。

 鮮やかな羽毛を赤で染めながら。

 くちばしを、かちかちと鳴らしながら。


 歩こうとした。

 三歩ほどで、視界が横になった。

 見えた自分の体は、ぼろぎれのようだった。

 それでも剣を支えに立ち上がり、そこまで歩いていった。


 向こうも、体を起こそうとしていた。

 それでもできないようだった。

 前肢を血で滑らせながら、あるいは翼を支えとしようとして。

 敵意に満ちた瞳を、こちらに向けながら。


 鋸歯の並んだくちばし。ぶん回している。

 それもそのうち、勢いが弱まっていった。近づけるほどに。

 ぜえとなる音だけが、耳に入ってきた。


 燃え盛っていた。剣を支えにしなくても歩けていた。


 逆手に持った剣を、振り下ろした。

 眼窩。

 それで血しぶきと、叫び声が上がった。

 それを何度も繰り返した。

 煮沸するほどの熱さのものを浴びながら、何度も、何度も。


 そのうちに、その龍は動かなくなった。


 へたり込んでいた。

 そうして、溢れていた。溢れるままにしていた。

 体中の痛みを堪えることもなく、心から湧き出るものをおさえることもなく。

 ずうっと、ずうっと。


 引き抜いた剣。

 それはどうしてか、ほのかに熱を帯びていた。

 その温かさに導かれるようにして、瞼は重くなっていった。


 ああ。

 ようやく、手が届いた。

 皆を焼き滅ぼした、あいつらに。


 おれはきっと、果たせるんだ。

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