腫れ物の英雄
NAKA
第一部 目覚めと制裁 第一話
目が覚めると俺はごく普通のベッドで寝ていた。
横の窓には濃い茶色のカーテンがかかっており、その隙間からは薄日が差している。
枕元に置いてある目覚まし時計を見ると、時計の針は7時5分を指していた。
部屋の大きさは6畳くらいで、壁の色は白。アイドルと思しき派手なミニスカートを履いた7人組の女の子の写真が貼ってある。
その下には使い込んだ木の机があり教科書や参考書が10冊以上置かれていた。「大学入試漢字問題集」や「有名私大攻略問題集」などがあるので、この身は恐らく高校生なのだろう。
不思議なもので、俺はこの高校生のことは全く知らないのにも関わらず、その行動様式は全て分かっている。いや、分かっているというか体が勝手に動くし、これからやるべき事もなんの支障もなく為されていくのだろう、と思う。
俺はベッドから起き上がり、目覚まし時計のスイッチをオフにする。部屋から出て洗面所に行き、歯を磨き顔を洗う。
洗面所の鏡に写る今の俺は見つめるが、特に感想はない。ただ、何とも情けない顔をしているなあ、としか思わなかった。身長は160と数センチで体重は、うーん、この痩せ具合から言って50Kgあるかないか。まあいい。取りあえずトイレで用を足し、それからまた部屋に戻って壁に掛けてあるシャツやブレザー、それにズボンを身につけた。ここまでの行動も俺は一切意識せずにこの体が勝手にやっている。
今日の時間割を見て、必要な教科書を鞄に詰め込み部屋を出ようとしたが、ふと机を見るとスマホと眼鏡が置いてある。俺は同じく何も考えずに眼鏡を手に取って掛けた。急に視界がぼやけて少し困惑する。
どうも俺が憑依(人によってはこれを寄生とも呼ぶらしいが、何となく俺自身がウィルスになったようで気分が悪いので、敢えてこう表現している)すると、宿主(本来は被憑依者と呼ぶのだろうが面倒なのでこうする)の仕様が修正されるようで、視力や体力と言った基本的な身体特性とか果ては持病なんかまで改善されたりする。
どうしよう。おそらくこの体はこれから学校に行くのだろうが、眼鏡を掛けていないと不自然だろうか・・・。だが、さすがにこの視界はいただけない。まあ、取りあえず携帯して必要とあれば掛けるということにしよう。
スマホ・・・。
ボタンを押して指紋認証を終えると画面が明るくなった。
日付を見ると、眠りについて約1年程度経過していた。
一年か・・。長かったのか短かったのか、何とも言えない。
ネットニュースを開き、見出しを読んでみる。
『SB氏、消息不明のまま1年が経つ。彼はもう二度とこの世界に戻っては来ないのか』
『SB氏が公開した宇宙人の科学技術がアメリアとヨーロップ連合を中心として全世界に共有される。重力制御技術、実用化に向けて開発強化』
『SB氏なき世界。各地で再度燻る戦争の火種。これから世界はどうなっていくのか』
等など。
最後のニュースというか評論はいただけないな。
だが、今はこの身体の持ち主が最優先だ。俺が憑依したからと言って、すぐにこの冴えない高校生の人生を壊してしまう訳にはいかない。
俺は眼鏡をポケットに突っ込み、スマホを鞄に入れるとそのまま抱えてリビングに向かった。
少し腹が減ったので朝飯を楽しみにしていたのだが、そこには誰もいなかった。テーブルの上にはビールの空き缶や焼酎の瓶等が散乱しており部屋全体にすえた匂いが充満している。
なるほどね。ここはこういう家庭ってことね。
諦めて冷蔵庫を開けると食べかけのカニ蒲と魚肉ソーセージが無造作に突っ込んであった。俺は賞味期限が切れていないことを確認した上で両方とも口に放り込んだ。
そのまま、玄関に向かい外に出る。どうやらここは団地らしい。狭い踊り場に向かい合った部屋。そしてドアを出て右側には上り下りの階段がある。
俺は階段を下り、棟を出て近くのバス停に向かった。行き先は分からないが、2本目のバスが来ると自然に体が動きそのままバスに乗り込んだ。もちろん乗る際には電子決済をちゃんと行っていた。
うん、問題ない。このまま学校まで行けるだろう。
所定のバス停で降り、学校への道を歩いていると、突然後ろから尻を蹴られた。ううむ、ちょっと痛い。俺が憑依している状態で痛いってことは、かなり酷く蹴られたということになる。
今度は首をヘッドロックされた。
「カスケイ、おはよー」
誰だか見えないが、この声を聞いた途端、俺の全身が硬直するのを感じた。これは、恐怖の感情からくるものだ。
なるほど。誰だか知らないが、俺の宿主はこいつを非常に恐れていて、抵抗する気さえ起こせないのか。
しかもこの男、結構本気で俺の頭を締め付けている。耳もこめかみも、それなりに痛い。少し腹が立ってきた。
俺の頭に回されているそいつの左肘をつかみ、そのままちょっとだけ力を込めた。
「え?が・・うぐ・・がああ!」
そいつはカエルみたいな呻き声を上げて地面に膝をついた。
「こ、この野郎、離せ・・痛い!早く離せ、クソがあ!」
あ、これ嫌いな声だ。このまま潰しちゃおっかな。
肘を掴む力を少し緩めて
「はなせって、よくこんな状況で命令とかできるね。このままこの肘、潰してほしいのかな?」
真っ赤な顔で歯を食いしばっている、あ、確かこいつは大木ってやつだと思い出した。
「どうなの?大木君。ほら、骨がギシギシ言い出したよ。どうするの?」
また力を入れると、「な・・カスケン、この野郎・・」と、しばし文句を言っていたが、そのうち情けない声で身を捻りながら
「がっ・・はな・・ご、ごめん、ごめんなさい!離してください!」
見ると思い切り閉じた目尻から涙が出ている。
「いいよ。でもね、今度同じようなことや舐めたことすると、おまえの手足の骨、全部折っちゃうからね。わかった?」
大木君は、激しく何度も首を縦に振っている。
「はい、離したよ。ほら、お礼は?」
大木君は蹲ったまま、何も言わない。
俺は大木君の耳を引っ張り
「聞こえなかった?大木君。お礼はどうしたの?」
「いだいっ・・あ、あ、ありがとう・・もう許してください・・」
ちょっとカチンときた。
「へえ。俺の宿主・・俺が許してって言ったとき、大木君は許してくれた?」
大木君はびくっとして、小さく蹲ってごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら何度も謝ってきた。
まあ、これ以上やるとイジメになっちゃうし止めとくか。
「早く行かないと遅刻するよー」
俺はそれだけ大木君に声を投げ掛けて学校に向かった。
予想どおり、俺はなんら迷うことなく学校の門をくぐり、靴箱で上履きに履き替えてから教室に入り自分の席に座った。
「おはよう」
と周りの生徒達に声をかけるが、誰一人反応がない。
なるほど。話ではよく聞くが、リアルなんだ、とちょっと感動すら覚えてしまう。
鞄から教科書を出していると、俺の真横にバサッと何かが落ちてきた。
「おーわりい。カスケン、上履き拾って持ってこい。」
全く悪いとは思っていない口調で言われても困る。それに何より面倒だから無視することにした。
すると今度は俺の後頭部に何かが飛んできた。俺は首を右に捻ってそれをかわしてから、そのまま何もなかったように教科書を整理する。
「おい!拾えって言ってるだろ、カス!」
そもそも何故俺がカスケンと呼ばれているかも分からないのに、今度はカス呼ばわりである。
俺には、いや俺の宿主にだが、小林健吾というれっきとした名前がある。
また無視していると、何か喚きながらドスドスとこれ見よがしに足音を立てて迫ってきた。
どうしようかと考えていると教室の前のドアを開けて先生が入ってきた。同時に後ろの足音が消える。
「おはよう」
先生は白髪混じりの肩まである髪をかき上げながら教壇に登り、挨拶をした。
先生が声をかけると、不揃いなおはよう、がポツポツ上がる。
先生は後ろを向き、黒板になにか問題を書き出した。黒板の左から
1,2,3と少し間を開けて書き、続けてそれぞれに問題を書いていった。
簡単な微分方程式の問題だ。問題を書き終えると、
「昨日、やってこい、と言っていたよな。ほれ、今から名前呼ぶからやってみろ。」
へえ。ちょっと探ってみたが、こいつの頭の中にはそんな宿題のことは全く記憶されていなかった。
なんか、この宿主もたいがいなのかも、なんて思っていると、
一人、二人とクラスメイトの名前が呼ばれ、三番目には俺の名前が呼ばれた。え、俺がやるの?とは思ったが、これが学校だ。指名されたらギブアップするか前に出て問題を解くしかない。
うーん、まあいっか。
三番目の問題を見ると、一番二番に比べると少し複雑で、計算式も
10行になる。それにXの値も整数ではなく小数点を伴うものだ。
まあ、チョークで文字を書くのはかなり面倒だが、やむを得ない。
そう思って壇上に上がると、先生が俺を見ながらニヤニヤしている。それにクラスの連中もクスクスと笑っている。
「おい、小林。今日という今日はその問題が解けるまで黒板の前に立っていてもらうからな。」
先生が言うと、さっきまでのクスクス笑いが、次第に音量が大きくなっていく。俺は訝しく思いながらも、前に出てさっと問題を解き、席に戻ろうとしたが、
「待て。そのまま立ってろ。」
先生はそう言って、わざとらしい態度で俺が書いた計算式の前にきて解答を確認する。
「・・・合ってる・・」
何度も確認したあとに小さくぼそっと漏らすと、俺の方を見て
「誰に教えてもらった?え?そうか、この式一つ一つをご丁寧に覚えてきたのか?おまえ、覚えられる頭があったんだな。」
困惑気味な先生の顔がまたゆがんで変なニヤけ顔になった。
なるほど。この小林君、やっぱりと言うか、あまり頭がいいとは言えなかったようだ。先生からも他のクラスメイトからもかなり馬鹿にされている。
ただ、この先生のやり口も相当なものだ。もういい年だろうに、なんだかみっともない。それに今朝のことと言い、さっきの上履きのことと言い、この先生の対応といい、随分な対応である。
俺はにやっと笑って、
「お気に召しませんか、それならこれはどうでしょう?」
俺はさっき書いた解答を黒板消しで全て消し、ちょっとだけ考える。高校生か・・・逆に合わせるのが難しいな。
d²×/dt² + ω²×=0
単振動の微分方程式。これならギリいけるか?
黒板に式を書き終えると、先生の方を向いて
「先生ならこれが何の式か、当然おわかりになりますよね?まあ、高校生レベルの内容だし、それほど難しくはないですからね。一応同じ微分方程式ですから。この式の成り立ちを皆に説明して差し上げたらいかがですか?さっきの、小学生の計算ドリルみたいな問題よりも遙かにためになると思いますが。」
俺はそう言って、自分の席に戻った。
もしかするとこの式は物理で習うものかもしれないが、仮にも数学の先生だ。このくらいの説明はしっかりしてもらわないと。
先生は呆けたように黒板をじっと見つめていたが、しばらくするといきなり
「きさま、何を勝手なことをやっているんだ!ふざけるな!」
と怒鳴りながら俺が書いた式を乱暴に消していった。
「小林!きさま、バツとして廊下に、いや、教室の後ろに立っていろ!」
と、先生は意味不明なことを怒鳴った。え、これって単振動の方程式だよ?バネや振り子だよ?分からないからまさかの逆ギレ?よくこれで数学の先生とかやっているよな、とは思いつつも、相手にするのが面倒で俺は言われたとおり教室の後ろに移動し、そのまま立っていることにした。
クラスの皆は納得がいかないような、不思議そうな微妙な表情をしている。数人の、いかにも上位成績者に見える生徒だけが、少しの間、訝しそうにこちらを見ていた。当の先生は気持ちを切り替え、一番と二番の問題の説明をし始めている。
なんだかなあ・・。この体の持ち主、大丈夫かな・・。
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