第22話 親友エンゲージ②〜虹陽Side〜

 俺が汐見花恋にぶん殴られる十分前。


「最近よく来るようになったな。米俵コーヒー」


 俺とロボ子さんが出会った店。

 そう思うと感慨深いはずなのに、なぜか笑いが込み上げてくる。

 米俵コーヒーにいるときのロボ子さんが思い出されるのだ。

 妙にテンションが高いし、食べきれないことを本気で悔やむ。

 親の仇を見るような目で米俵ロールを睨むロボ子さんは特に印象深い。


 今日俺が米俵コーヒー前に来たのは、ロボ子さんの幼馴染で親友の汐見花恋と待ち合わせしているから。

 午前十一時二十五分の米俵コーヒーの店の前。

 必ず店の前で待っているように言明されている。

 先に入店しているのはダメらしい。

 待ち合わせ時間にも意味があって、ロボ子さんと汐見花恋さんがこのぐらいの時間に米俵コーヒーに訪れていた。

 そんな思い出の時間帯だと聞いた。


 二人は映画を見終えたあとに米俵コーヒーをよく利用していたのだとか。

 その日最初の午前上映が終了した後。

 この時間帯はモーニングで長居していた客がランチの混雑を嫌って帰り、ランチ客はまだ訪れ始める前なので一番利用しやすかったらしい。

 わざわざロボ子さんとよく利用していた店と時間を指定したのだ。

 意味がないわけがないだろう。


 すでに昼前のショッピングモール内は大勢の人が行き交っている。

 夏休みシーズンに入り、自由を満喫している学生も多い。

 そんな中でも灰色がかった髪で長身の俺は目立っていた。

 さっきからチラチラと視線を感じる。

 ロボ子さんと一緒にいるときはこんな視線は気にならない。

 特別背も高くもないのに、俺よりもロボ子さんに視線が集まることが多いのだ。

 自分に向けられる視線なんて気にする余裕がない。

 ロボ子さんが隣にいない外出は久しぶりだ。

 落ち着かない様子でいる俺に声をかけられた。


「……虹陽先輩。店の前でなにしているですか?」


「その声は篠宮の妹。またこの店でバイトか」


 振り向くと米俵コーヒーの店員の制服を着た篠宮葵が立っていた。

 手に持っているのはランチメニューが記載された看板。

 どうやら店のランチの準備中らしい。


「今回は夏休み期間臨時の経験者枠採用です。今日はロボ子さんはいないんですか? まさか今の時期にあんなナンパされやすそうなロボ子さんを一人にしたわけではないですよね」


 俺の周囲を確認する篠宮葵。

 昔はもうちょっと俺に対しても先輩に対する敬意を向けてくれたような気がするが、今では完全にロボ子さんの添え物扱いだ。

 あまり好かれていない。

 理由がわかるのでなにも言えないが。


「ロボ子は自宅待機中だよ。俺は別の人と待ち合わせ」


「まさかロボ子さん以外の女性じゃないですよね?」


 飛んできたのは蔑視の視線。

 ここで「そうだ」とだけ素直に答えたら、あらぬ誤解を受けるうえにツカサまで巻き込んで尋問されるかもしれない。

 だから丁寧に説明する。

 甘酸っぱい要素は欠片もないのだから。


「待ち合わせの相手はロボ子の幼馴染の親友だよ。汐見花恋さん。今日はあちらから『ロボ子の親友として俺とサシで話したい』と呼び出しを食らったんだ」


「噂の汐見花恋さん」


 どんな噂かは知らないが、ロボ子さんの口からたまに語られる親友の存在。

 クラスメートとしても友達としても気になっていたようだ。


「ロボ子さんもそのことを了承しているんですよね」


「もちろん。この場所を俺に伝えたのもロボ子だし」


 浮気などの可能性は皆無。

 むしろ『親友として』などという意味深なワードから甘さどころか塩気を感じたのだろう。

 篠宮葵の目が笑い始めた。


「楽しみですね虹陽先輩。汐見花恋さんとの果たし合い」


「果たし合い言うな。あと盗み聞きするなよ。……ん?」


「どうかしましたか?」


「いや気のせいだと思うけど、近くにロボ子の気配を感じた」


「えっ!? まさかロボ子さんは盗み聞きとか監視を? そういうの一切しないタイプだと思いますけど」


「お前が言うなよ」


 二人でキョロキョロとしながら周囲を見回す。

 もちろんロボ子さんは近くにいない。

 親友がサシの話し合いを希望して、ロボ子さんがセッティングしたのだ。

 あの頑固なロボ子さんが一度聞き入れた親友の願いを破るとは思えない。


 なんだったんだろうか。

 一瞬だけロボ子さんが側にいるときのような感覚にはなったのだが。

 困惑しているとショッピングモールの人混みの先、五十メートルは離れた場所にいる燃え上がる炎のような少女と目が合った。

 不思議と目が離せない。


 赤い髪に小柄な体躯。

 着ている服のデザインはロリータだが、可愛いよりも凛々しさ際立つ赤だ。

 白でもピンクでもない。

 黒をふんだんに使用したゴシックロリータでもない。

 純粋な赤一色だ。

 赤い少女が構えを取って駆け出した。


「なにあの子凄!」


 篠宮葵も少女の存在に気づいた。

 ポカンと口を開けている。

 全速力で人混みの中をすり抜けてくるのだ。

 いくら身体が小さいとしも、こんな人混みの中で誰かにぶつかってしまう。

 走るのは危険だし、相手を驚かせてしまう。

 本来ならばその驚きにより周囲の足を止まる。

 全体が遅延し道が塞がれていく。

 結局、人とぶつかって足止めを食らうはずなのだが赤い少女の疾走に遅延はない。


 ただまっすぐに走るだけではない。

 とても軽いフットワークで右に左に移動しながらすり抜けてくる。

 誰の視界にも長居していないのだ。

 驚く暇さえ与えない。

 両手を頬まで上げて、小柄な身体をさらに小さく見せる構えの影響もあるのだろうが、単純に切り返しの判断に迷いがない。

 まるでこの人混みにいる全員の動きを全て俯瞰して読み切り、最短ルートを導きだしているかのように速い。


 残り三十メートル。

 名乗られていないが、俺は彼女が誰か本能で悟っていた。

 あの子が汐見花恋だ。


 残り二十メートル。

 どこからどう見てもロボ子さんとは真逆のタイプ。

 静と動。

 見た目も服装の傾向も正反対。

 それなのになぜかロボ子さんと似た気配を感じる。


 残り十メートル。

 汐見花恋の口元が動いた。

 なにを言っているのか聞こえていない。

 でも『腹筋洗って待っていろ』と言われていたことを思い出す。


 残り五メートル。

 汐見花恋が視界から消えた。


 残り零メートル。

 気づけば赤い閃光が俺の懐にいた。

 慌てて腹筋を引き締める。


「佐久間虹陽! この腐れダメ男が! 恨みを先払いさせてもらう!」

 

 ――バゴンッ!!!


 怒り狂った汐見花恋の右ストレートは赤く輝いているかのように見えた。

 ここまでの疾走で得た運動エネルギー。

 強く踏み込んだ足。

 身体の回転軸は一切ブレずに膝、腰、背中、肩、腕へと伝播し、破壊力に変換されていた。


 その襲撃を予期した俺は当然腹筋に力を入れて待ち構えていた。

 近くで見る汐見花恋は本当に小柄だ。

 女性として小柄だ。

 高校生には見えず、下手すれば小学生にも間違えられかねない。

 そんな彼女が真っ直ぐにストレートを放てば俺の腹部に衝突する。


 俺は身長が高い方だし、それなりに鍛えている。

 なにより男性だ。

 体重の差は二倍近いかもしれない。

 絶対的な体格差がある。

 通常ならば汐見花恋の打撃は彼女の手首を痛めるだけで終わる。

 そのはず……だった。


 だが粉砕されたのは俺の腹筋だった。

 硬く握りしめられた拳。

 独特の捻りが加えられた右ストレートは俺の腹筋を抉った。

 抉り、穿とうとする。

 迷いのかけらもない。

 打ち抜かんとする確固たる意志が宿った拳は硬さ、重さ、速さ全てを兼ねそろえた凶器だった。

 あまりの衝撃に俺の身体が十センチは浮いただろう。


 腹部に穴が空いたかのような痛みに、俺は一撃で膝をつく。

 痛みで引きつるのを我慢して見上げると、目の前には炎のような赤い髪と衣装を身にまとった少女いた。

 見た目からは想像もできない絶対零度の冷たい視線で俺を見下している。


「佐久間虹陽。殴られる心当たりがない。とは言わないわよね」


 俺は戸惑いながらも首肯するしかなかった。

 ……したくてもできなかった。

 ちょっと腹部が痛すぎて動けない。

 言われている言葉の意味は理解できてはいるのだ。


 相手はロボ子さんの幼馴染で親友の汐見花恋。

 そして俺は余命が宣告されている身で、ロボ子と交際をスタートさせた愚か者だ。

 ロボ子さんの関係者ならば殴りたくもなるだろう。

 先日行われたロボ子さんの家族との会談が上手くいったことは、一重に相手の善意だった。

 そのことを痛感させられている。


「なにか反応しなさい。私は今日あんたを一発殴るためだけに、三カ月も前からボクシングジムに通っているんだから」


 ボクシングジム!?

 この痛みはそれか。


「真白から『余命一年もない恋人ができた』ことを報告された次の日。私はボクシングジムの門を叩いたわ」


『一発……思いっきり殴りたい奴がいるんです』


「すると師匠は笑ったわ」


『ずっとお前のような奴を待っていた』


「ってね」


 どこのスポ根の始まりだよ。

 あまり突き抜けた突拍子のない行動力。

 笑ってしまうほどにロボ子さんを彷彿させた。

 

「あんたは近い将来必ず真白を泣かすわ。それだけは確定している。だって真白が選んだ相手だもの。その価値はあるんでしょ」


 これは俺が死んだあとの話だ。

 意識しないはずがない。

 考えなかったはずがない。

 それなのにずっと誰もが俺にその話をすることを避けてきた。

 俺にはどうしようもない病気のことだから。


 けれど汐見花恋は真っ直ぐにそのことを突きつけてくる。

 全てはロボ子さんの……いや親友の神岸真白のためだ。

 病気なんか関係ない。


『ロボ子の親友として俺とサシで話したい』


 汐見花恋は神岸真白の親友で、佐久間虹陽は神岸真白を泣かせる恋人。

 ただその関係性のみで今日俺と会おうとしたのだ。

 言われて改めて気づかされる。

 俺は神岸真白の涙を知らない。

 恨みがましく米俵ロールを睨んでいるところは見たことがあるのに、悲しんでいるところは見たことがない。


「真白を泣かせた相手を私が一発殴りたくなった時にはあんたはいない。殴り飛ばすことができない。なぜ一人だけ幸せに逝かせるのよ。それが真白の望みだろうけど、そんな勝ち逃げは私が許さない」


 親友だ。

 この子は間違いなくは神岸真白の親友だ。

 仲が良いとかそういうレベルじゃない。

 神岸真白と汐見花恋の行動原理は非常に似通っている。

 出会ったその日に俺のことを優先順位第一に定めて、死ぬその日まで側にいてくれることを覚悟してくれた神岸真白。

 ロボ子さんを優先順位第一に定め、余命や病気などの雑音を一切無視して、ただ俺を一発殴るためだけにボクシングを習い始める汐見花恋。


 呆れるほどの愚直さ。

 行動に迷いがない。

 二人は見た目も性格も真逆だ。

 それなのに神岸真白と汐見花恋は驚くほどに在り方が同じだった。


「あなたは己の罪をもっと自覚しなさい」

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