青い瞳のロボ子さん余命一年の灰花を生ける

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

序章〜余命あり悲恋なし〜

第1話 猫を被って愛しています

 世間一般的に映画館デートはダメらしい。

 特に恋愛映画はダメ。

 恋愛感情が機能していないロボ子さんでもその理由は理解できる。


 上映が始まってしまうと会話ができない。

 上映中の会話はマナー違反だ。

 マナーを抜きにしても、上映中に会話をするのは映画に没入できていない。

 映画がつまらない証拠となる。

 観る映画を失敗している。


 だが本当に怖いのは鑑賞を終えたあとの感想戦だ。

 二人の映画の感想が一致していれば問題ない。

 盛り上がることができる。

 面白ければ大成功。

 面白くなかったならば酷評で盛り上がればいい。

 でも抱いた感想が異なっていたら?

 せっかく好きになった映画をつまらないと言われた。

 感情移入するポイントが違いすぎた。

 必死に反論して喧嘩になるのも嫌になる。

 だから言葉を飲み込んで、愛想笑いを浮かべながら相槌を打つ。

 けれど心の中では「趣味が合わない」と悟ってしまう。

 これが別れるきっかけとなる。


 特に恋愛映画は観てはいけない。

 なぜならば男女で感想が一致することがないからだ。

 人気の恋愛映画を何本か思い浮かべてみればわかるだろう。


 恋愛映画は完全に女性向けコンテンツだ。


 彼氏役のイケメン俳優に胸キュンして、溺愛されるヒロインに自己投影するためのジャンルだと断定できる。

 あとどちらかが死ぬタイプの悲恋が多い。


 ヒロインに自己投影させるジャンルなのに、なぜ非日常的な設定と悲劇的な結末が人気なの?

 そんな疑問を抱いた恋愛無理解なロボ子さんに、幼馴染で大親友の汐見花恋しおみかれんはこんな名言で答えた。


『恋愛映画は女性のファンタジー。悲恋は異世界冒険活劇よ』


 さすがは映画好きでアニメ好きでイベント好き。

 外に出まくるタイプのインドア趣味ガチ勢幼馴染の花恋様だ。

 幼い頃から色々な場所に連れ回してくれた大親友の言葉は、恋愛経験値皆無なロボ子さんも納得させた。

 異世界冒険活劇ならば、どんな試練が降りかかってきても見終えた達成感を得られるに違いない。

 仲間を失っても大冒険の代償として噛み締めればいい。

 結果ではなく経過。

 体験こそが恋愛映画だ。

 当然だが、異世界冒険活劇な恋愛映画のターゲットにカップルは含まれていない。


 それなのにロボ子さんは現在映画館で彼氏と恋愛映画を観ていた。

 季節は夏。

 太陽が猛威をふるう高校一年生の夏休みの半ば。

 夏の暑さにやられて血迷った。

 デートの定番はだいたい経験した。

 ダメだとわかっていたのについ変わり種に手を出してしまったのだ。


 この春に地元から離れた高校に進学した。

 両親の反対を押し切っての一人暮らし。

 同じ高校の三年生で背の高いイケメンな先輩と交際を始めた。

 名前は佐久間虹陽。

 虹陽先輩。

 漢字はお堅いのでカタカナでコーヨー先輩と呼んでいる。

 コーヨー先輩とロボ子で呼び合う仲だ。

 生まれて初めてできた恋人との交際四カ月は順風満帆だった。


 お手本のような夢の高校生活スタートを飾ったロボ子さん。

 実は毎週土曜日の夜に、大親友の花恋から電話でお説教を食らっている。

 花恋曰く。


『ロボ子は全ての選択肢であり得ない間違え方をして全力でバッドエンドに直行している』


 ここから巻き返しに期待したところである。

 ちなみに花恋はロボ子さんが遠く離れた別の高校に進学することも反対していた。

 花恋の主張する選択肢の間違いは高校受験からだろう。

 それなのにロボ子さんを見捨てず、毎週のように長電話してくれる花恋様には感謝している。

 そして忠告は的を射ていた。


 コーヨー先輩との交際は順調だが、問題がないわけではない。

 むしろ世間一般的に大きな問題を抱えている。

 それぐらい恋愛に向いていないロボ子さんでも理解できている。

 始まりから間違っていた。

 だから花恋の言葉を否定できないのだ。


 別にコーヨー先輩が十股など女癖が悪いわけではない。

 暴力も振るわれていない。

 束縛はかなりきつめではある。

 でも理由があるし、ロボ子さんも納得している。

 顔が良くて、頭も良くて、背が高くて、優しい性格で、家も裕福。

 これで彼女に対してだけ執着心が強いのはある意味プラスポイントと思う女性は多いだろう。


 一見すると何も瑕疵もない年上のイケメン彼氏。

 けれど受験を控えた高校三年生だ。

 夏休みに高校一年生の彼女と毎日デートして、血迷って映画館で恋愛映画を観ている時点で、コーヨー先輩はワケありなことを察してほしい。

 ロボ子さんはその事情を受け入れている。

 契約書に署名して、全てを受け入れている。


 初めて出会ったその日に、ロボ子さんはコーヨー先輩との一年未満の恋人契約を交わした。

 この期間は縮まることはあっても伸びることは絶対にない。

 一年後、ロボ子さんの隣にコーヨー先輩はいない。


 ロボ子さんとコーヨー先輩が交わした契約内容は以下の七ヶ条だ。


 第一条、よほどの事情がない限り毎日会って一緒に過ごす。

 第二条、互いを名前で呼び合う。

 第三条、心がこもってなくてもいいので毎日互いに愛の告白をする。

 第四条、他の誰かを好きにならない。

 第五条、ロボ子はコーヨー先輩のことを好きになろうとしない。

 第六条、ロボ子はコーヨー先輩のことを憐れまない。

 第七条、ロボ子はこの契約を一方的に破棄して、いつでもコーヨー先輩の前から姿を消していい。


 なんて良心的な契約だろう。

 ロボ子さんから一方的な破棄が許されている。

 さすがにこの契約内容は……、と揉めながらも実印を押した。

 一人暮らしを始めるため作成したばかりの実印だ。

 不動産契約の名義は親だし、銀行預金も幼い頃に親の名義で作成されたものを使っている。

 つまり実印を使うのは初めてだ。

 初めての捺印だった。


 ちゃんと契約書も作成して、捺印した契約書のコピーも互いに持っている。

 契約書まで交わして交際をスタート。

 ロボ子さんとコーヨー先輩はしっかり者の恋人同士だ。


 さてそんなロボ子さんだが、地元では幼馴染の花恋に何度も映画館に強制連行……ではなく、一緒に映画鑑賞するのが趣味だった。

 そのため実は映画館上級者だ。

 恋愛がよくわからないロボ子さんでも楽しめる恋愛映画鑑賞術を会得していた。


 まず映画を観る。

 基本です。

 お金払ってチケット取って席まで確保して、上映されている映画を観ないのは全方位に失礼です。

 ちゃんと観ましょう。

 恋愛映画は原作ありが多いです。

 ネタバレなどの心配は無用です。

 なぜなら制作側は原作ファンに向けて作っていることの方が多いので、事前に原作で予習しておいた方が楽しめます。


 むしろ原作を知らないと困ります。

 原作付きの恋愛映画はぶっ飛んだ設定なのに説明が乏しいことが多いので。

 途中で設定が気になって肝心の恋愛模様に集中できない事態に陥ります。

 設定なんて飾りです。

 ちゃんと恋愛模様に没入しましょう。

 そのためにも原作の予習が必要です。


 評価ポイントは原作ファンに向けての細やかな演出と役者の繊細な演技による原作再現です。

 時間の都合による短縮改変は受け入れられますが、たまに意味のわからない改変を行う制作もあります。

 改変は基本的に原作ファンから嫌われるので初動評価が減点されます。

 初動での減点は興行を考えれば致命的です。

 結果として原作をきちんと再現した映画の方が映画の評価も役者の評価も上がります。

 なぜ変な改変が後を絶たないのでしょうか。

 これは愚痴です。


 さて映画の上映時間は長いので、人間の集中力はそれほど長く保ちません。

 ロボ子さんでも保ちません。

 恋愛に疎いので恋愛映画だと尚更気もそぞろになります。

 映画の没入感が浮いてきたら映画館の雰囲気を楽しむのがロボ子さん流です。


『黒王子のひだまり』


 現在、ロボ子さんの目の前で上映されてい少女漫画原作の恋愛映画です。

 余命モノ悲恋モノではありません。

 暗黙の了解で避けました。


 学園のプリンスで万能イケメン黒王子。

 なぜか一人だけ黒い制服が許されている黒王子。

 本名は割と普通で黒尾優志。

 本当にどうして一人だけ黒制服なのだろうか。

 実写化されると漫画を読んでいるときよりも、この辺りの細かい設定が気になってくるから不思議です。

 原作でも映画でも、黒王子が一人だけ黒制服の理由を説明するシーンは当然のようにありません。


 主人公のヒロインは王道中の王道設定。

 クラスでぱっとしない普通の女の子。

 どこがぱっとしない普通の女の子?

 可愛いよ。

 漫画でも可愛く描かれているし、実写でも女優さんが演じているから可愛いよ。

 実写だと本当にクラスで一番可愛いよ。

 だって主役だもん。

 でもぱっとしない普通の女の子。

 それがヒロインの猫使い飛田毬子ひだまりこだ。


 ……絶対ぱっとしない普通の女の子じゃないよね?

 名前はひだまりでタイトルとかかっているところが主人公っぽい。

 でも気になるのはそこじゃない。

 猫使いだよ。

 犯人は猫使いだよ。

 絶対に普通の女の子じゃないよ。


 この漫画は冒頭の出会いから猫に埋まっている。

 昔から異常に猫に好かれる飛田毬子は高校に進学して早々、学校の中庭で猫溜まりの猫遭難に遭った。

 なんだよ猫遭難って。

 猫に埋まって動けずに困っているひだまりちゃんを黒王子が助ける出会いから物語はスタートする。

 ひだまりちゃんを猫使いと呼んだのは黒王子だ。


 黒王子は家庭環境と過去のトラウマから誰かが側にいると眠ることができない。

 また夜の眠りも極度に浅い。

 だから一人姿を消して昼寝することがあった。

 一人になろうとして猫遭難に遭っているひだまりちゃんを見つけたのだ。

 黒王子はなぜかひだまりちゃんが側にいると安心できた。

 熟睡することができたのだ。

 凄いな猫使い。

 絶対身体から普通ではない成分を発しているよ。

 あと黒王子は猫科かな。


 黒王子の方から急速に近づいていく二人の距離。

 そこに黒王子の家庭環境やスクールカースト上位の黒王子を好きな女の子の問題が関わってくるのがストーリー。

 残念ながら猫使いの秘密を解き明かす物語ではない。

 本当に残念なことに猫使いメインではなく恋愛少女漫画だ。


 けれど安心してほしい。

 この実写映画の製作スタッフは有能だった。

 忠実に原作を再現してくれている。

 なんとひだまりちゃんを巡って、黒王子と猫の大群が戦うシーンを三回も盛り込んでくれたのだ。

 この作品の最大の見せ場は黒王子と猫のバトル。

 恋の最大のライバルは猫。

 原作ファンならばわかっている。

 でもストーリーに関わらない遊びの部分だ。

 本来ならば真っ先に削られるシーン。

 けれど作中で一番力が入った原作再現シーンだった。

 感動した。


 これだけで猫好きで原作ファンのロボ子さんは完璧な実写化映画と評価した。

 ちなみに現在流れているのは物語の佳境の告白シーン。

 本来のクライマックスだ。

 しかし原作ストーリーを知っているし、猫で満足してしまったロボ子さんは気もそぞろになっている。

 果たして観客の反応はいかに。


 一人客の男性。

 この系統のお客さんはどのジャンルにも必ずいて、作品のファンではなく映画鑑賞が趣味の人。

 話題作だから気が乗らなくても見に来ている。

 当然、この映画を酷評するだろう。

 この手の人は原作に興味がない。

 評価基準が映画だけ。

 黒制服や猫使いなど描写があるのに説明がない設定が引っかかり、そこで駄作と評価を下す。

 原作付き恋愛映画に向いていない。

 原作でも説明はないけれど。


 一人客の女性。

 カバンに付けられているアクリルスタンド。

 黒王子役のアイドル俳優さんのファンだろう。

 推し活勢だ。

 ひだまりちゃんに興味はなさそうだ。

 でも推しが猫とバトルするシーンには満足している顔をしている。


 仲良し二人組の女性客。

 普通に原作ファンだったり、恋愛映画が好きな人たち。

 友達だけではなく母娘も多い。

 メインターゲット層だろう。

 クライマックスの恋愛模様を真剣に見ている。


 そして男女のカップル。

 ロボ子さんとコーヨー先輩以外にもいた。

 女性は楽しそうだけど、男性はつまらなさそうだ。

 デートの選択に失敗している。

 これで映画館を出たら取り繕えるくらい男性側が慣れていたら問題ない。

 女性の熱心な感想に笑顔で相槌を打つだろう。

 その対応に失敗したら別れるかもしれない。


 さて。

 映画館全体の雰囲気を把握したところで、本命のコーヨー先輩の様子をうかがうことにした。

 つまらなさそうにしているだろうか。

 数日前に原作漫画を貸したけど、読んでくれたのだろうか。

 設定に躓いていないだろうか。

 猫は好きだろうか。

 その反応はいかに。


 決意して隣の席に座るコーヨー先輩の顔を見た。

 そしてそっと視線を戻した。

 映画を真剣に見よう。

 実はロボ子さんわかっていました。

 ずっと隣の席に座っているのだから、コーヨー先輩の反応ぐらいわかっています。

 無自覚だろうけど、コーヨー先輩は映画の途中からロボ子さんの右手首を握っている。

 コーヨー先輩の左手から伝わってくる震え。

 ぐずって鼻をすする音もしてました。

 わずかにハイノキの花の甘い香りも濃くなっています。


 コーヨー先輩は号泣していた。

 感動要素がないわけではないが、号泣するタイプの恋愛映画でもないのに号泣していた。

 一体なぜ!?


 感動的な愛の告白をしている黒王子は十分ほど前に、猫とのラストバトルを繰り広げていた黒王子だよ。

 ヒロインは猫使いだよ。

 映画の感想が一致しない。

 二歳年上の彼氏が原作ファンでも泣かない恋愛映画で号泣することは想定していない。


 そんな動揺が込み上げてくるが、同時に安心もあった。

 ロボ子さんは映画を見ている相方が感極まることに慣れている。

 未知の経験ではない。

 このタイプの感想の不一致は慣れっこだ。

 大親友の花恋がこのタイプだったから。


 喜ぶことに全力だった

 怒ることに全力だった。

 感動することに全力だった。

 とにかく楽しむことに全力だった。

 

 ロボ子さんはそんな感情豊かな花恋に憧れて尊敬していた。

 コーヨー先輩も同じタイプだったようだ。

 問題は上映が終わったあとコーヨー先輩の涙に触れていいのか。

 ロボ子さんが対応に困っていると、脳内でトレンディなモッズコートとサングラスをかけたハードボイルドなイマジナリー花恋様が語りかけてきた。


『ロボ子……男の涙に触れてはならねぇ。ただ笑顔で見なかった振りしてやんな』


 承知しました。

 たぶん花恋ならばこう言う。

 なぜハードボイルド風で再生されたのかはわからない。

 でも花恋が全く似合わないぶかぶかのモッズコートを愛用していたのは中学二年生の頃だった。

 懐かしい。


 ロボ子さんがほっこりしたところで、黒王子のひだまりは大円満のラストを迎えた。

 流れるスタッフロール。

 この時間でコーヨー先輩の涙が収まってくれていたら、笑顔でスルーしやすいな。

 そんな想いから席を立たなかった。

 映画館の劇場が完全に明るくなってから、ロボ子さんとコーヨー先輩の二人は外に出た。


 ◆   ◆   ◆


「あー……悪かった」


「なんのことですか?」


 ロボ子さんはなにも見ていませんよ。

 でもコーヨー先輩は泣いているところを見られた自覚があるようです。

 そしてそれを悪いことだと捉えている。

 映画館を出て公園で散歩している間、ずっとこんな感じだ。

 コーヨー先輩が泣いたから、ロボ子さんが映画を楽しめなかったと気にしている。

 そんなことはないのに。

 慣れている。

 幼馴染の変な服装を思い出してノスタルジックになったぐらいだ。


 映画館で購入したパンフレットと、夏にはちょっときついふかふかの猫被り黒猫帽子。

 頭にふかふかの猫の顔が乗っかっていて、頬には肉球付き猫の手が垂れてきている。

 夏にはそぐわないが猫遭難中のひだまりちゃんを再現したちょっとお高い映画グッズだ。


 話題を変えるために少し踏み込もう。

 ロボ子さんは帽子の猫肉球をふにふにするのをやめて、コーヨー先輩の日傘に入る。

 身体が触れ合う距離。

 鼻腔をくすぐるハイノキの花のわずかに甘い香り。

 白い肌は太陽の光に弱い。

 ロボ子さんは肩よりも少し伸びた自分の髪を一房握った。


「朝から気になっていましたけど、髪の色お揃いですね。お互い亜麻色で。ペアルックの髪色です」


「え……ああ。そうだな。そっかお揃いなんだ」


 どちらも亜麻色の髪。

 黄色味がかった茶色ではなくグレージュを意味する亜麻色だ。

 二人とも染めているわけではない。

 ロボ子さんは先天的で、コーヨー先輩は後天的。

 四月に初めて会ったとき、コーヨー先輩の髪はまだ黒かった。

 コーヨー先輩はどんどん色素を失っていく。


「……ずいぶんと白くなったな」


「もう少ししたら今度は私の名前とお揃いですね」


「ぷっ……そっか。そう考えると白くなっていくのは嫌じゃないな」


『灰花病』


 そんな病気がある。

 正式名称は後天性アルビノ症候群。

 発症するとどんどん色素を失っていく。

 太陽光を浴びれなくなる。

 体臭に変化が起こり、ハイノキの花に似たわずかに甘くて華やかな香りがするようになる。

 そして一年以内で死に至る。

 原因は不明。

 治療法は見つかっていない。


 コーヨー先輩が発症したのは高校二年生の二月二十二日。

 つまり猫の日だ。

 ロボ子さんとコーヨー先輩が出会ったのは今年の春。

 つまり出会った時からコーヨー先輩は死にゆく人だった。

 余命は一年未満。

 今は夏だからもう半年しかない。


 日傘の中。

 コーヨー先輩は元バスケ部でとても背の高い。

 対してロボ子さんは女性の平均的な身長だから顔は密着しない。

 コーヨー先輩が屈まない限りは唇が触れ合うことはない。

 今、コーヨー先輩がロボ子さんの肩か頭に手を乗せようとしてやめた。

 交際百日目だが過度な接触は控えている。

 互いの家族で顔合わせも済ませているのに。

 ロボ子さんは自動的に上目遣いになる距離間で笑いかけた。


「コーヨー先輩。このシーン覚えてますか?」


「ん?」


 ロボ子さんはコーヨー先輩から視線をそらさずに、足を後ろに一歩二歩三歩。

 公園の芝生を少し歩いたところで座り込んだ。

 夏の陽の光を浴びた芝は暑いくらいで、草の匂いが濃かった。

 ロボ子さんは黒王子のひだまりのワンシーンを再現するように猫の帽子を目深にかぶって、上目遣いに見えるように顔を上げる。

 コーヨー先輩は背が高いので少ししんどい。


「コーヨー先輩……愛しています」


 ただの映画の再現。

 気弱なひだまりちゃんは猫を被りながら学校の中庭で黒王子に想いを告げたのだ。

 だからロボ子さんの想いは関係ない。

 交際契約第三条にある愛の告白を履行しただけ。

 通算で百回目の愛の告白だ。

 毎回バリエーション豊かにお届けしている。

 だからコーヨー先輩も慣れていて。


「俺も……ま……」


 コーヨー先輩も百回目で慣れている。

 ……そのはずなのに。

 途中で『ま』というとして言葉を飲み込んでしまった。


「俺もロボ子のことを愛している」


 そう言われてはにかんだ。

 今度はちゃんと黒王子のセリフを言えたようだ。

 でもコーヨー先輩。

 一度目はなんて呼ぼうとしたんですか?

 作中、黒王子はひだまりちゃんのことを『ひだまり』と呼んでいるので『鞠子』と名前で呼ぶことはありません。

 まの続きはなんですか。

 そう言いたくなる衝動を微笑みで上書きした。


 ロボ子さんの本名は神岸真白かみぎしましろですよ。

 確かにコーヨー先輩との契約書の名義はロボ子さんです。

 けれどロボ子さんを本名で呼んでも構いません。

 身体に触れても契約違反にはなりませんよ。

 契約書にそのような記載はありませんから。

 だから怖がらなくてもいいですよ。

 ロボ子さんは傷つかないので。


 ロボ子さんとコーヨー先輩はバットエンドが決まっているのかもしれない。

 でも悲恋にはならない。

 ファンタジーにもならない。

 異世界冒険活劇にもならない。

 なぜならばロボ子さんは恋愛感情が機能していないから。

 恋がわからないから、悲恋にならない。

 だから大丈夫。


 ロボ子とコーヨー先輩の出会いは新年度が本格始動する前。

 春休みまで遡る。

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