十五. 面倒で愉快な頼まれ事(1)
☀︎.°
朝。
いつもならギラギラと世界を照りつける日差しも今日はまだ大人しい。この時間だと太陽すらも眠っているようだ。頬を掠めるそよ風が心地よく、商店街を歩く天音は大きく深呼吸をした。
神谷天音という人間は昔から朝に弱い。とにかく弱い。いくら早い時間に眠ったとしても早く起きれるわけではない。その分だけ長い時間眠れるだけである。寝すぎたなぁ、なんて思うだけで起きる時間は変わらないのだ。
だから朝の五時に起きて七時に店を開ける我が妹のことが本当に信じられない。よくそんなことを毎日繰り返していられるものだ。そんな風に言ってみたところで「姉さんがだらしないだけでしょ」と絶対零度の眼差しで返されるに決まってるので余計なことは言わない。
しかし。そんな天音が、だ。子供の頃は妹に起こされないと学校に行けなかった天音が、だ。大人になった今でも起きるのは昼頃になってしまう天音が、だ。今日はなんと七時半に起きれたのである。
(早起きって気持ちいい〜!これなら毎日続けてもいーかも〜)
ルンルン気分で見慣れた道を歩く。どこもまだ開いていない商店街は何だか異世界のようで、鼻歌交じりで進んでいく。気分がすごくいい。明日も明後日も早く起きようかな、なんて思うくらいだった。多分三日坊主になるだろうが。
(さて、水聖でもからかいにいこうかな〜)
ここ数週間の間泊まっている宿屋は優しい老夫婦が経営していてとても心地よい。しかし室内で大人しくしていたって創作力は湧かないし、やることもない。だったら妹が汗水垂らして働く店に行った方が楽しいに決まっている。天音は軽い足取りで先を急いだ。最近は東雲とかいう一風変わった軍人が妹の周りをウロチョロしているのだ。その様子も面白いし、そんな彼を鬱陶しがっている妹の姿もまた面白い。
もう時期、店が見えてくる頃だ。今日はどんなお客さんがいるかな、と心躍る。客の前で頑張って虚勢を張る妹の姿が滑稽で大好きだから。いつだって本心はひた隠しにして笑顔を浮かべ助言をする。そのくせ、内心でイライラしていたり、感動して涙がこぼれそうになっていたり、呆れて物が言えなくなっていたり、虚勢を貼ってもあれだけ分かりやすいのにどうして女神だなんて比喩されるようになったのだろう。天音にはその理由がさっぱり分からなかった。
次の交差点を右に曲がったらすぐだ。すぐに辿り着く。実家兼茶屋である水天一碧に。
それは母、
そしてそれを受け継いだ水聖が物の見事に立て直したのである。我が妹ながらに立派である。
「…………?」
見えてきた実家は茶色い屋根に白い壁が特徴的な木製のシンプルな建物で、見慣れているが可愛らしくてとってもいい建物だと思う。いつ見ても安心できる色合いは、破天荒で傍若無人な母より水聖の方が似合うと思っていた。
そんな可愛らしい建物の壁に見慣れない何かが蹲っているのが見えた。天音は「なんだあれ、」と呟く。遠目からでも気付けたのはそれの図体が大きなせいと、オーラが黒ずんでいたせいだろう。カラカラとした快晴だと言うのに、あの辺だけどんよりとして今にも雨が降りそうである。
「……あれは……、」
徐々にその姿が見えてきた。質のいい袴に腰刀、見なれた帽に隠れた猫っ毛の黒髪。つい最近も見たある男の正装だ。
彼のすぐ目の前まで近づき、首を傾げる。この距離まで来たというのに彼はピクリとも動かない。体育座りの体制で顔をすっぽりと腕の中に埋めている彼。そのせいで表情は分からない。
「東雲さん?何してんの?」
名前を呼ばれたというのに全く反応を示さない丸い塊に眉を顰める。まさかよく似た別人か?などと思ったがその丸い塊は顔も上げず「……追い出された」と言った。その中性的な声は東雲のもので間違いない。
「追い出されるなんて今に始まったことじゃないじゃんか〜。そんなことで凹んでるの?」
「………………この前は入れてくれた」
「……??あぁ、たしかに。なんかいたね、店の中に」
そういえば1週間ほど前、彼が突然自分の元に子供を置いていったあの日。彼は普通の顔して店の中にいた。入れてもらえるようになったんだ、なんてその時はぼんやり思っていたがどうやら違ったらしい。せっかく優しくされたのにまた邪険にされては、流石の東雲でもこんなふうになってしまうようだ。
(えー、めっちゃ面白いじゃーん)
天音は口角を吊り上げて笑った。目も口も三日月ように歪んだ、まるで悪魔のような笑顔だ。
「ねぇ、なんで追い出されたの?」
「……」
「なんか心当たりあるの〜?」
「……」
「ていうか、水聖のことどう思ってるのよ〜」
天音は彼の前にしゃがみこんでつんつん、と頭をつつく。体が揺れるほど強くてつついていると東雲はモゾモゾ目元だけを出してこちらを見上げた。その瞳は真剣そのものだった。
「こんなしょぼーんとしてて、仕事のためだ〜とか言わないよね?」
「……」
「ねぇどうなのよ〜」
「………………好ましく思っている」
「へぇ〜そうなんだぁ、……って、ええ!?」
恥ずかしくて狼狽える彼を揶揄うつもりで聞いたというのに馬鹿正直に返ってきた返答。そうだろうなとは薄々感じていたが直接本人の口からその言葉を告げられると驚きの方が勝ってしまう。仰天の悲鳴をあげるも東雲はピクリともせず「なぜ驚く」と言った。
「君が聞いてきたことだろう」
「それは、そう、なんだけど、さ。そんな正直に白状するとは思わなかったから〜。へぇ、そうなんだぁ〜」
天音は目尻を少し下げて微笑む。東雲は表情筋さえ死んでいるが素直で正直な人間らしい。水聖に少し分けてやりたいくらいである。
「それで?水聖が構ってくれないから拗ねてるの?」
「構ってくれないというか、避けられているんだ。もう1週間くらい口も聞いてくれない」
「避ける……?ふーん、あの子がそんなことするの珍しいね」
そもそもペテン師の水聖が東雲に対してぞんざいな扱いをしていること自体、少々違和感があった。相手が軍人だから、盗聴していたから、初手で殴ってしまったからなど理由はいくらでもあるだろうが、それでもいつものように胡散臭い笑みを浮かべで上手く事を収めるのが水聖という女である。そんな彼女が避けるなんて分かりやすい行動とるとは思えなかった。
(上手くできないのかなぁ〜。東雲さん相手だと)
純粋で、まっすくで、嘘なんて知らなそうな真っ白な心を彼をいつもみたいに受け流せないから避けているのだろうか。我が妹ながら不器用すぎて笑けてくる。こういうところが弄りがいの塊であるということに本人は気付いていない。
自身で状況を説明したせいでより現実を感じてしまったのか、東雲の纏うオーラが更に暗くなった気がする。扉のすぐ横にこんなのがいれば営業妨害だろうな、と思ったがそんなことは天音にとって関係無い。ニタァ、と意地の悪い笑みを浮かべて次は東雲の肩をバシバシ叩いた。
「でもさ、東雲さん。それって水聖にとって特別ってことなんじゃない?」
「………………特別?」
「だってそうじゃん〜。ずっとストーカーしてたんでしょ?水聖の性格知っているでしょ〜」
少しだけ顔を上げた東雲は眉間に皺を寄せて、ジロリと天音を睨んだ。その目つきは鋭いというのに、少し潤んでいて、可哀想で、駄々をこねる子供のようにしか見えなかった。
「俺もそうだと思っていた」
「そうでしょう?だったら……」
「だから言ったんだ」
「ん?何を?」
「…………い、て……いるって」
「え?なんて?」
どんどん小さくなる声に耳を近づける。いつでも堂々と発言する彼に珍しい、ボソボソとした聞き取りにくい声に眉を顰めていると、急にバッと東雲が顔を上げた。そして告げる。
「君を好いているって」
「………………………………へ、?えええええぇ!!!??」
本日二回目の絶叫。真正面からその悲鳴を受けたというのに涼しい顔をしている東雲は「うるさい」とだ言い放ちぷいっと顔をそらす。
「え、告白したってこと?」
「告白したってことだ」
「え、言っちゃったの?」
「言っちゃた」
「そう、なんだ……」
「そうだ」
天音の怒涛の追求に東雲は顔を赤らめた。首まで真っ赤である。何を今更照れているのだろう。さっきまで平気な顔して”好ましく思っている”とか言ったくせに”告白した”は恥ずかしいのだろうか。彼の羞恥の基準は謎である。
「えぇ〜でもそれじゃあ確かに避けられても仕方ないかも」
「何故だ」
「何故って……あの子そういう免疫ないから……。お付き合いしたことないだろうし」
腕を組んで、うーん、と思い返してみても水聖と恋愛絡みの話をした記憶がなかった。街の人々に女神扱いを受ける彼女が恋人を作るのは難しいのだろう。姉としては少々つまらな───心配である。
天音の言葉に分かりやすく東雲は肩を下げる。しょぼん、という文字がピッタリな姿だ。そんな彼はさらに眉も下げて「怖がらせてしまっただろうか……」と呟く。
「怖がらせたっていうか……。どうしたらいいか分からないだけじゃない?慣れてないから対処法に困ってるんだよ、きっと」
「……対処法なんて言うな、まるでフラれるみたいではないか」
「………………、東雲さんって意外と女々しいんだね」
天音としてはかなり優しく慰めたつもりだったのだが、違うニュアンスで捉えた東雲にキリッと睨まれてしまった。正直かなりめんどくさい。小さな弟ができたような感覚に、よしよし、と頭を撫でる。不服そうな顔を浮かべながらもされるがままの彼は相当参っているようだ。その姿を見ているとだんだん可哀想になってきて、先程までは100パーセント自身の欲の為に話を聞いていたが、少しだけ慰めてあげることにした。
「でもさぁ、東雲さん。こんなところでへそ曲げててもどうしようもないでしょ。何か行動で示さないと」
「……無視、されてるのにか」
「んー、、……まあ、そうだねぇ……」
ごもっともな彼の意見にぐうの音も出ない。じとり、とこちらに目を向ける彼に慌てて言葉を吐く。
「んーとほら!押してダメなら引いてみろって言うじゃない?そんな感じでそっと見守ってたら?」
「……それで何か変わるのか?」
「変わ、るかもしれないよ、うん。知らんけど」
「……」
彼の視線に耐えきれず目を逸らし、口笛を吹く。しかし天音は口笛を吹けない。唇尖らせて空気が抜ける音が鳴るだけのシュールな光景となってしまった。
かなり投げやりで誰でも考えつくような提案だと思う。こういう時、水聖ならもっと話を親身になって聞いて打開案の一つや二つすぐに提示するのだろう。しかし残念なことにこの場にいるのは、その姉である。そして残念なことに、姉はその才能がまるでない。
他に何かないか、もっとマシな案───なんて、考えていると。
「確かに、一理あるかもな」
「え、」
急に立ち上がった彼がそう言った。その顔はキラキラと輝いていて、表情も明るい。先程までクヨクヨ悩んでいた男とは思えないくらいである。
「当分任務でここを離れようと思う」
「へ、いや急……ていうか護衛はどうするの?」
「盗聴しているから大丈夫だ」
無表情のままピースサインを浮かべる東雲。恐ろしい男である。仕事でなければただのストーカーだ。
(じゃなくて!)
「大丈夫って……そういう問題じゃ……」
「もしかしたら寂しくて俺の事、思い出してくれるかもしれない」
「やっぱ女々しいな」
「俺がいない間、俺の好感度でも上げておいてくれ」
「え?」
「それじゃあ俺は行くから、頼んだ」
東雲はそれだけを告げ走り出した。瞬きをしたその一瞬であっという間に遠ざかっていく。
(え、つまり、どゆこと?)
何だかよく分からないが面倒なことになった気がする。取り残された天音は「えぇ〜」と呟く他なかった。
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