魔物の無差別殺傷事件

第29話 魔物の無差別殺傷事件

「カロリーナ!ちょっと、聞いているの?」

「あっ、すみません」

「ぼーっとして、どうしたのよ」

 そういえば、退魔師協会施設を案内してもらっているところだった。

「あまりに施設が広いものだから、頭がいっぱいいっぱいになっちゃって…」

 人に好かれそうな笑みを浮かべると、新人教育係のグレイシーは呆れたように息を吐く。

「可愛い顔をしたって駄目よ!今日覚えてもらわなきゃならないことは、これだけじゃないんだから」

「はあい」

 面倒見の良い先輩に当たったのは幸運だ。なんだかんだ一つひとつの説明が丁寧でわかりやすい。質問をすれば的確な返答も返ってくる。

「この時期に入団するなんて、貴女も運が悪いわね」

「運が悪い、ですか?」

「ほら、ここ最近物騒だから退魔師たちもピリピリしているのよ。カロリーナ、貴女も知っているでしょう?例の事件のこと」

「はい。魔物の無差別殺傷事件ですよね」

「そう」

 深く頷いてグレイシーは大きな溜息を吐いた。憂を浮かべた表情が色っぽく、通りがかった男性退魔師がグレイシーを目で追っているのが見えた。勤務中に何を見惚れているんだか、と呆れつつ、グレイシーに視線を戻す。

「でも、どうしてピリピリする必要があるんですか?人間が魔物に攻撃されたわけではないのに…」

 わかり切っていることをわざと質問すると、グレイシーは呆れたような表情を浮かべた。

「魔物の無差別殺傷事件の犯人が人間だったら?魔物たちが暴動でも起こしたら?」

 ハッとしたような表情を浮かべ、怯えの色を見せてみると、グレイシーが顔色を変えて早口で捲し立てた。

「だ、大丈夫よ。魔物たちは馬鹿じゃないわ、直ぐにそうなるとは限らないし、大体犯人が人間とも言い切れないし…!それに、貴女は今日配属されたばかりの新人だから最前線に立つなんてあり得ないから!あっ、ああでも違うの、貴女には実力がないとかそういうことじゃなくて…!」

 微笑みそうになる口元を意識して引き締めたのが、機嫌を損なわせたと勘違いしたらしい。必死にフォローするグレイシーが可笑しくて我慢できずに笑みが漏れた。

「大丈夫ですよ、わかっています。グレイシー先輩は優しいですね」

 顔が怖く近寄りがたいとよく言われていることはリサーチ済みだ。新人退魔師を直ぐ泣かせてしまうことで有名らしい。本人は口下手のようで、先程から必死さが伝わってくる。悪い人ではないようだ。

「や、優しいだなんて、初めて言われたわ…」

 ぽかんと口を開けていたグレイシーが呟き、照れたようにそっぽを向く。

「ほら、午前の勤務ももう終了よ!無駄口叩いてないで早く施設内を覚えなさい!」

「はあい」

「伸ばさない!返事ははい!」

 照れ隠しなのだろう。さっさと背を向けて歩き出してしまう。そのあとを微笑みながら続いた。

(よし、これでカロリーナは頭のちょっと弱い、危険性のない人物として印象付けられたはず…!我ながら演技が上手だわ!でもやっぱり偽名はうっかりしていると自分が呼ばれていることに気が付かないわね。しっかりしないと…!)


 現在シャーロットは新人退魔師として退魔師協会に潜入していた。

 何故このようなことになっているかというと、遡ること一週間ーーー。




〇  〇  〇  〇  〇  〇




 その日は所用で珍しく外出をしており、侍女ジャスミンと馬車に揺られていた。

 いつものように馬車の小窓から外を眺めていると、道路の真ん中であるにもかかわらず人だかりができていた。迂回しようとした御者を止めて、シャーロットはジャスミンと共に馬車を降りた。

「どうされたの?」

 シャーロットの言葉に人だかりは一気に道を開け、言葉を発したのは一人の少年だった。

「なんかね、おちてたんだ」

「あっ、こら…!」

 シャーロットのことは皆知っているらしい。それもそうだ、奇怪な容姿をしている上に町では『魔女のシャーロットが魔王と婚約したらしい』と噂話が広がっている最中なのだから。

 オルシャキア王国は魔物と良い関係は築けていない。争い合ったりはしていないが、魔物を恐ろしいものと認識しているものが大半で、魔王という存在も只の御伽噺、それもちょっと怖いお話程度の認識しかないのだから、仕方ない。

「トリさんかな?おねえさん、なおせる?」

 純粋な子どもの瞳に微笑みかけ、地面に倒れている小さな生き物に目を向けた。

「ジャスミン、ハンカチーフを」

 差し出されたハンカチでその生き物を包み、よく観察する。ぱっと見は小さな烏のようだが、閉ざされた瞳は一つしかない。

「単眼の烏ね…すごく弱っているわ」

 氷のように冷たくなっているが、浅く呼吸をしていることが確認できた。命が尽きかかっていることは一目瞭然だ。

「たんがん…?」

 手元を覗き込む少年に頷く。

「目が一つの魔物の烏よ」

「目が一つなの!?」

 驚いたように身を引いた少年が、母親と思われる女性の後ろに隠れた。苦笑いを浮かべながら烏を手の平に乗せたまま立ち上がる。

 ここで治療するには人目が多すぎる。

「単眼はね、神様の血を引いたものって言われているのよ。魔物だからって、さっき貴方が抱いた慈しみの念を消したりしないで」

 少し言葉が難しかったらしく、少年は首を傾げている。

「誰に優しくするかは貴方が決めることだけど…ちょっと怖いからって途端に優しくされなくなっちゃうと、この子もきっと悲しいわ」

 少し考えてそう言うと、なんとなく伝わったらしい。こくりと一つ頷いた。

「この子はわたくしが預かりますから、道を開けてくださいな」

「も、もしかして、魔王様に…?」

(嗚呼、確かに魔王様に報告した方が良いわね。)

 シャーロットの反応を肯定とみなした町人たちが一斉に青ざめる。

「私共は何も!何もしておりません!ただ、見ていただけで…!御慈悲を!」

「あら……」

 何だか悪役にでもなった気分だ。今までと違う疎外感に苦笑いを浮かべる。

 今はこの場を鎮めることよりも先に、手の上で浅く呼吸をしているこの子を治療しなければ。

「安心なさって。わたくしは魔女ではないし、魔王様は無慈悲な方ではありませんから」

 それだけ述べて馬車に乗り込み、ジャスミンが扉を閉めた。

「どうなさいますか」

「取り敢えず回復魔術を使って治療してみるわ。ルーカス、スティーヴン様に」

「ミー」

 自分の影から返事が返ってきたのを確認し、ジャスミンには今日の予定の変更を伝える。

「一度屋敷に戻りましょう」

「かしこまりました」

 ジャスミンの返答を聞くなり、ローブの懐へ仕舞っていた魔導書を取り出し、回復魔術の呪文を唱える。魔導書はその場に浮かび、ぱらぱらと音を立てて頁を変え、適した項目を開いて止まった。文字が浮かび上がり、螺旋状に烏の身体を包み込む。淡い光と共に折れた右の羽が元の形へ修復された。

「……駄目、これ以上は効かないわ」

 氷のように冷たい体は元の体温へ戻らなかった。原因がわからないため、これ以上の回復はシャーロットにはできない。

 一度魔導書を閉じ、できる処置を考えていると微かに、手元の烏が動いた。

 冷え切った身体を震わせる烏が、薄く瞳を開け、シャーロットを見た。その瞳からは怯えが感じ取れる。

「大丈夫。大丈夫よ。魔王様の下へ連れていくから、安心して」

 回復魔術は諦め、光の魔術で烏の身体を温めることにした。先程のように呪文を口にし、魔導書が浮かぶ。適切な魔術が示された頁の文字が螺旋状に烏を包み、淡い光に変わる。烏は安堵したように数度瞬きを繰り返し、意識を失った。

「ジャジー」

「今夜までに調査報告をお持ちします」

「ありがとう」

 名を呼んだだけで的確な要望を察するあたり、つくづく優秀だと感心する。

(スティーヴン様に会うまでにもつかしら…。)

 スティーヴンが普段どのような場所で生活しているのか知らないため、こちらから訪ねるということができない。そのうえ相手は多忙だ。直ぐに時間を取ってもらえるだろうか。


 不安を胸に抱いたその時、馬車の底に穴が開いた――ように見えたのも束の間、突如現れた真っ暗な穴に一人、落ちていった。

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