第10話 国王陛下の部屋
あの夜会の翌日には、正式に婚約申請の書類が届いたらしい。決して冗談ではないのだと証明され、婚約の返事をしなければならなくなった。
(ロティーが決めていいよ、とお養父様は仰るけれど…。)
グランツ城へ向かう馬車に揺られながら、シャーロットは昨夜の話し合いを思い返していた。
昨夜、フェリクスと養母アデルから婚約についてどう考えているのか尋ねられのだ。短時間の話し合いの結果、一度スティーヴンと出掛けてから決めることで承諾を経た。
両親共にスティーヴンには良い印象を抱いているらしく、控えめに婚約を薦めてくる。侍女のジャスミンはというと、意外にも、誰よりも慎重に考えているようだった。
考えずとも、とても良い条件の婚約であることはわかっている。何より、この国のためになる。そして感謝してもしきれない程、世話になっているフローリー家のためにもなる。
それでも、シャーロットが簡単に承諾できないのには理由があった。
「ロティー、もう着くよ。そんなに険しい顔をしなくて大丈夫だ。私も傍にいるから」
フェリクスの声に顔を上げると、心配そうな表情で様子を窺われていた。
「少し考え事をしていました。わたくしは大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
慌てるシャーロットにフェリクスは思案顔を浮かべていたが、なにやら納得したように手を打った。
「そうか、スティーヴン王子のことを考えていたんだね?」
少し頬が赤らんだシャーロットに、フェリクスが嬉しそうに笑う。
「なにか心配事があるのかい?」
養父とはいっても、シャーロットにとっては父親だ。父親相手にこのような話をするのは気恥ずかしいが、意見を聞きたくもある。
「わたくしの…変わった体質について、スティーヴン様にお話をしておくべきでしょうか」
シャーロットは魔女の呪いの影響で、通常の人とは大きく体質が異なっている。人間の摂理を無視したかのような、異常な体質が。
「ロティーはどうするべきだと思っているんだい?」
ハッとして目を丸くするシャーロットに、フェリクスは穏やかな笑みを浮かべた。
「どうすべきか、もうわかっているのだろう?大丈夫、その程度で彼は揺らがないよ」
何かを思い出すように笑うフェリクスとは変わって、シャーロットはまだ不安そうな表情を浮かべている。
「でも、そうか~」
フェリクスが嬉しそうに腕を組んで何度も頷いている。首を傾げているシャーロットに、フェリクスが悪戯っぽい笑みを向けた。
「スティーヴン王子に嫌われたくないんだね」
「そ、そのような意味で言ったわけでは…!」
慌てて否定するあたりどう考えても図星であるのだが、そのことに気が付く程の余裕がシャーロットにはない。
「私は嬉しいよ。彼が現れてからロティーの表情には色が付いたように感じる」
馬車の動きが止まった。王城へ到着したようだ。
フェリクスの手を借りながら馬車を降りると、いつ見ても派手で眩しい城門が上がるところだった。
「彼と出掛ける時に思い切り我が儘を言ってごらん。ロティー、彼はね、きっと何でも受け入れてくれるよ」
確信しているかのような口ぶりに内心首を傾げるが、表面上では素直に頷いておく。
きっと、彼の中には自分に対する誤解があるはずだと、シャーロットは信じて疑っていなかった。
(わたくしを好きだなんて、絶対に何かの間違いだわ。例えそうだとしても、がっかりされてそれでお終いよ。)
胸の奥が微かに痛んだ気がした。
王城へは年に一度足を運んでいるが、いつになっても慣れない。山道を馬車で登りきった頂上に聳え立つ、豪華な装飾が施されたグランツ城を見上げると、金の装飾が眩い太陽の光を反射させていた。グランツ城、別名『太陽ソレイユの城』と呼ばれるだけある。
緊張の面持ちで門を潜るも、いつもいる筈の人物がそこにはいなかった。
「ヴィクターもサミュエル王子も今日はいない。安心していい」
(早く言ってよ!)
フェリクスを非難しそうになったが、堪えて頷く。よくよく考えればそうだ。あのようなことがあった後に平気で出迎えに来るはずがない。
安堵しながらフェリクスの後に続くと使用人に出迎えられた。応接室へ通される。
だだっ広い応接間の一角に腰を下ろし、所狭しと置かれた高級品や壁に飾られた絵を眺めていると、案外直ぐに使用人に呼ばれた。
普段は王族以外立ち入ることのできない、国王陛下の部屋へ通されることを知り思わずフェリクスの顔を見たが、彼はすでにそのことを知っていたようで、顔色一つ変えない。
(なんだか不安になってきたわ。)
シャーロットはもう、サミュエルの婚約者ではない。宰相の娘というだけで国王陛下の部屋に通されるなど、恐れ多くて足が竦みそうになる。
失礼なことをしてしまわないよう、細心の注意を払わなければ。
「ここからは一人で行きなさい。ここで待っているからね」
代々の国王の肖像画が飾られた一室で、フェリクスが足を止めた。この部屋の先に国王の部屋がある。
一緒に来てください、と口走りそうになりつつも先を促されて奥へと進んだ。
(一体、何用でわたくしは呼ばれたのかしら。婚約破棄の手続きは直ぐに済ませたし、このような場所に通されるだなんて。)
紋章を彫刻されている木目調の大きな扉を恐る恐る叩くと、中から国王の声が聞こえた。中から扉を開かれ、国王の側近に中へ入るよう促された。
国王の部屋は想像していたよりも広くはなく、必要最低限のものを置かれている、といった印象をもった。勿論のことながら壁の装飾から床の模様まで抜かりはなく、洗練された高級感や高貴さを感じる部屋であったが。
部屋の中心に国王は腰かけていた。
「シャーロット・フローリー、ただいま登城いたしました」
最敬礼をすると、すぐに顔を上げるようにと声がかかった。
「この度は、サミュエル・グリフィス・オルシャキア、ヴィクター・リードの処分について伝えるためにここへ呼んだ」
(処分!?)
驚きつつも、思い返せば当たり前だと納得した。確かに、魔女裁判など禁忌に等しいものを再現しようとしたことは罪に等しい。そしてヴィクターも、殺人未遂として裁かれてもなにもおかしくはないのだ。
「サミュエルは王位継承権の剥奪、そして一年間の幽閉の後、第二王子リュカの補佐役として勤めてもらう。ヴィクター・リードは騎士団からの除名処分、殺人未遂の刑罰については現在調整中だが、恐らく五年程は出てはこれないだろう」
国王の言葉に、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。サミュエルの処分だけでも気持ちが追い付かないほどに驚いたが、その後に続いたヴィクターの処分で絶句するしかなかった。
この処分は妥当で正しい。国王がそういうのならば、正しいのだ。
そうはわかっているが、シャーロットの心の中はなぜか、喪失感と焦燥感で渦巻いていた。
「この度は大変すまないことをした。この処分を実行するにあたってシャーロット・フローリー、貴女の意見が聞きたかった。愚息に関してはこれでは処分が甘いのではないのかと私自身も思っている」
(王位継承権の剥奪って甘い処罰なの!?)
動揺を表に出さないよう、ゆっくりと息をして心を落ち着かせる。失礼のないように言葉を必死に頭の中で組み合わせていく。
「十二分に重い処罰であると感じます。わたくしは確かに、サミュエル殿下や…ヴィクター騎士団長から侮辱行為を受けました。ですが…それによって、今まであった感謝の念が全て消えるわけでは、ないのです」
「……感謝の念、か」
訝し気な国王の声にも動じず、大きく頷く。
「はい。彼らは、わたくしに救いの手を差し伸べてくださいました」
変わった容姿、異常な魔力。それだけではなく、実父は罪人だ。フェリクスに引き取られた頃は、まともに言葉も話せなかった。
好奇の目に晒されるシャーロットを助けてくれたのは、サミュエルとヴィクターだった。言葉の読み書きだけでなく、剣術や魔術だって、彼らが手助けしてくれた。
あの優しい手は、あの頃の笑顔は、嘘ではないと信じたい。
「彼らの処分は、わたくしからすれば重すぎます」
王族に意見するなど言語道断。そんなことはわかっている。
冷や汗が背中をじっとりと濡らす。
国王はゆっくりと息を吐いて、腕を組んだ。瞼を下ろしてそのまま静止する。
この静寂の中で暴れている心臓の音だけが響いているのではないかと息を殺していると、国王がゆっくりと瞼を持ち上げた。
「王位継承権の剥奪、騎士団からの除名処分は譲らん」
「……では、サミュエル殿下の幽閉を失くし、ヴィクター騎士団長の殺人未遂の罪状を取り消してはいただけませんか」
国王が太い眉を持ち上げ「ありえない」とでも言いたげな表情をシャーロットに向けた。
「罪状を取り消しては、あの日のことがなかったこととなるのと同じだ。それでもいいと言うのか」
「はい。大変恥ずかしいお話なのですが、わたくしはヴィクター騎士団長のことを兄のように思っていたのです。罪人は……実父だけで充分です。なので、どうか」
国王は眉間に深い皺を刻んでいた。
(怒られる、かしら…。)
覚悟を決めて強く唇を噛みしめたが、国王からの返答は予想外のものだった。
「……寛大な心をお持ちである貴女を傷つけてしまったこと、改めて謝罪する」
怒号でも飛んでくるかもしれないと覚悟を決めていただけに、肩透かしを食らったような気分になった。
「いいえ、国王陛下。サミュエル殿下やヴィクター騎士団長としっかり会話を交わさなかったわたくしにも非はあるのです。この度は騒動を起こしてしまい、申し訳ございませんでした」
サミュエルとの仲は、とうに諦めてしまっていた。もっと話をして誤解を解く努力をしていれば、結果は違っていたかもしれない。
「彼らの処分に関しては再度検討することにする。が、フェリクスへは己で説得するように」
苦い顔で付け足された言葉の意味を思案して、すぐにシャーロットも同じような表情になった。
「それはそうと、スティーヴン王子との婚約は決めたのか?」
「いっ、いいえ」
先程までの威勢のよさはどこへ行ったのか、狼狽えるシャーロットに国王は微笑を浮かべた。
「そうか、嫌ではないということだな。良い返事を期待しておこう」
「……はい」
改めて国王へ礼を述べ、部屋を後にした。
扉が完全に閉まってから踵を返し、早歩きで養父の下へと向かった。
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