第2話 幸運のイルカ


「すいませーんっ」


 ひっそりとした店内に若い男性の声が響いている。

 私は手元でいじっていたペン型の魔導具を作業台に置き、ひょこっと顔だけを入口から見える位置に出して答える。


「はーいっ!今行きまーす!」


 インクで汚れた指先をボロ布で拭き、私は細長い店の中を真っ直ぐ歩いて入口までたどり着く。


「お待たせ致しましたっ!当店での買取をご希望でしょうか?」


 一応、接客用の笑顔を顔に貼り付けて、ニコニコとお客さまに愛想を振り撒く。


「え?はっ‥?えっと、そうですね。買い取お願い出来ればと思ってたんですが」


 ——ですが?とは?


「あ、あの、大人の方いらっしゃいますか?」


 でたよ。私が1番嫌なパターンだ。

 私とユーリがお店を切り盛りしているのに、ユーリが居ないと話にならないのだ。

 商談をすることもなく帰ってしまう客人の背を、何度苦い思いで見送った事か。


 まぁ、魔導具しか買い取らない古道具店に来てしまった哀れな客人に、あれこれと文句を言う気持ちもないのだが。


「他の者は、夕方頃に戻ります。私で良ければお伺いしますけど」


 特に興味もなかったが、追い返す訳にもいかないので、相応に話を振ってみる。


「え?あ、じゃあ。お願いできますか?」


 珍しい‥。

 お願いの方だった!



 ◇ ◇ ◇



「これなんですけど」


 ポロッと、何気なく男性の来ていた厚手のパーカーのポケットから取り出されたそれは「イルカの形をした置物」だった。


「は?!」


 私は目をしばたかせ、何度もそれを確認してしまった。

 私が幼い頃に絵本で読んだ『幸運のイルカ』にそっくりだったのだ。



***** 



 金色に輝く体を持つ「イルカの置物」は、とある裕福な家庭の飾り棚が居場所だった。変わり映えのしない日々に飽きたイルカは、ある日、棚から抜け出した。

 そして、初めて市井に出たイルカは、貧しい人々の暮らしに心を痛めた。


「神様!私の金の体を差し上げますから、食べる物さえない人々を、どうかお救いください」と。


 するとイルカの金の体は鈍い鉄となり、サビの浮いた見窄らしい姿と成り果てた。


「そんな姿のお前を愛するような目と心を持つ大いなる者に、大いなる幸運を授けよう。その者は、いつか豊かな社会を作り出す」


 イルカは悲しんだ。

 イルカが願うのは、日々の食事さえも得られない人の幸せだったからだ。


「神様っ!私の願いは、空腹で今にも倒れそうな人々が食事を得る事だ。目の前にいる人々へ幸福を!」


「ならばお前を手にした人間に、相応しい幸福だけを授けよう」


 神の言葉を受けて、イルカは考えた。

 見窄らしい自分を手にしてもらうには、どうするべきか‥?


 そうだ、以前の暮らしに戻れば良いんだ‥。

 棚に入って、人の暮らしを眺めよう。


 イルカはワクワクしながら、朽ちた古い家へと入っていった。


 今もどこかで、『幸運のイルカ』は人々の暮らしを眺めているのだ。




*****



 そんなお話だった。

 そして『幸福のイルカ』は今、ここにあるようだ。


「このイルカは、元々どこにあったのでしょうか?」


「それは、アルバイトしていた寿司屋の大将がくれたんです。ドバイで店を開くのに、荷物を減らしたかったみたいで。何故か捨てる気にもなれなくて、最悪引き取ってもらえたらと思って持ってきました」


「ちょっとお借りしますね」


 そう言って、ポケットから白手袋を取り出し、「イルカの置物」を受け取る。

 店内の奥に行くことを促し、長い通路を2人前後に並んで歩いていく。

 その先にあるのは、工具だらけの私の作業台だ。


 ライトの灯る作業台で、イルカを360度グルッと眺め回して確信する。


「やっぱり!」


 幼い頃の考えに、今やっと確信が持てた。

『幸運のイルカ』は、やっぱり魔導具だったんだ。


 金属面には複数の溝が有り、体は複数のパーツが組み合わせて造られていることが分かる。まるで、立体パズルだ。

 背びれの部分がロックになっていて、外すと体全体がバラバラに分かれる仕組みらしい。


「ちゃんと元に戻しますから、1度、分解させていただきますね」


 そう言うと、男性が頷いたのが見えたので、背びれのロックを抜き取った。

 イルカは頭、胸びれ、胴体の左右の背と腹、尾びれと分かれ、バラバラになってしまった。

 パーツの断面に、細かく描かれた魔方陣が見え、頭の部分には小さな魔石が埋め込まれている。

 ルーペを使い、小さな魔方陣を読み取ると、魔除け、浄化、安眠など、生活を向上させる基本的な術がいくつも刻まれていた。


「こういうことだったのかぁ」


「何か、わかりました?」


 イルカを分解されて、不安そうにしている男性が、少し緊張した面持ちで声をを掛けてくる。


「これはですね。『幸運を招く置き物』です。これを見つけてから、何か身の回りで変化はありませんでしたか?」


「えっと、そうですね。そういえば、上げていたショートの動画がバズりました」


「‥‥‥‥」


 時代も場所も変われば、イルカの効果も変わってくるのだろう。


「そういえば、掃除が好きになりましたね。不思議だなと思ったんですけど、そういうのとは関係あります?」


「関係なくは無いと思いますよ」


「それじゃ、このイルカを持っていたら運が上がるって事ですよね」


 まずい。


 これでは魔導具が手に入らないじゃないか‥。


「これでどうでしょう?」


 指を3本立てて、男性の顔の前に押し出す。


 3万円、30万円、300万円?? 自分の中で迷いが生じる。


「ええっ??‥。どうしようかなぁ。これってそんなに価値があるんですか?」


「珍しい物なので、作品としての価値があります」


「そうなんですね。それじゃ、僕が持っていても勿体無いから、お譲りしますよ


「ええっ?!」


「元々、捨てられなくて持ってきたんで。あと、良ければイルカの形に戻してもらえませんか?バラバラになってると、何か可哀相なんで」


 そう言って男性は優しげにイルカの置き物に触れた。

 長い前髪から優しげな瞳が覗き、細く高い鼻梁に繊細な雰囲気が混じっている。


 魔導具の技術者としては物に可哀相も何もないのだが、とりあえず、男性の言った通りにイルカの形に戻す。


「それじゃ、よろしくお願いします」


 そう言って、またイルカを軽く撫でた後、男性は店から出て行った。



 ◇



 まさか、こんなに貴重な魔導具が簡単に手に入るなんて‥。


 磨き直されたイルカを眺めていると、さっきの優しげな男性の姿が頭に浮かんだ。


「本当はあの人の所から、離れたく無かったんじゃない?」


 作業台の棚に収めたイルカに問い掛けると、イルカの目が一瞬、輝いたように見えた。



 ◇ ◇ ◇



 その日、ユーリの帰りは遅かった。

 魔導具買取の為、とある御屋敷で商談していたのだが、夕食までご馳走になって帰って来たのだ。


「お客様どうだった?無口なユーリに困ってなかった?」


「ミツリ、私はこれでもお客様には好かれている。今日も中々帰してもらえなかった」


 ユーリは接客向きでは無さそうなのに、何故か好まれてお客様はリピーターになる。

 やっぱり王族のオーラ故だろうか?


 私はといえば、勝手にユーリの部屋に入り込み、夕飯を作って食べていた。

 ユーリに『幸運のイルカ』を報告したかったので、閉店してからはずっとここで帰りを待っていたのだ。


「帰って直ぐに悪いけど、見せたい物があるんだ。ちょっとお店に来て!」


 まだ帰宅したばかりでスーツを着たままのユーリの手を引き、エレベーターに乗って3階の店舗に向かう。

 昼間とは違う暗い店舗の中を、少ない明かりをつけた中、奥へと進んだ。


「ほらっ!珍しい魔導具が手に入ったよっ!」


 作業台の棚を指し示して、大げさに披露する。

 ユーリも子どもの頃にあの絵本を読んでいたのなら、驚くに違いない。


「え、なんだ?どれのことだ?」


「はぁ?だから、これだって、これ・・・。って、無い!!」


 昼間置いた場所に『幸運のイルカ』は無かった。

 ポッカリと、その棚の部分だけ、何も乗っていない。


「今日、お客さんが来て、譲ってくれたんだよ『幸運のイルカ』イルカの置物‥‥」


 ユーリに「イルカの形をした置物」を譲ってくれた男性の事や、実は魔導具だったこと、その術式についても事細かく話した。


 店舗の入口には来客を知らせる為の『見張りのベル』という魔導具が掛かっているから、誰かが入り込んで知られずに通り抜ける事はない。

 私とユーリ以外の人が通ると、必ず鳴り響くように出来ていて、それは、4階と5階の居住スペースでも聞こえるように出来ている。


 もちろん、私が造った魔導具なので自信作だ。

 なので、盗難という事は考えられない。


「まさか、本当に自分から動いて逃げ出したとか?物語の中のイルカみたいに」


「ユーリって以外とロマンチストだよね。元々、絵本だよ?置物のイルカが自分で考えて動くとかないでしょ。魔導具から、何かしらの効果を得た人が物語として残したものが、絵本になったと考えるのが現実的なんだよ」


 いつだって目の前に起こる事は現実だ。

 空想の世界を現実世界と重ねるなんて、勝手に見たい世界を見ているだけの妄想だろう。


「だが、そのイルカの元々の持ち主は、事業が成功したのだろう?

 今日来た男性も、生活レベルが向上したと語った‥。

 イルカが魔導具ならば、効力は消えていないという事になるな。

 なおかつ、その『イルカの形をした置物』が、絵本のように意志を持って動けると仮定すれば、無くなった説明になると思ったのだが」


 絵本の内容を信じたような発言が少し恥ずかしくなったのか、耳を赤くしているユーリを少し可愛く思う。



 ◇ ◇ ◇



 その後『幸運のイルカ』が見つかること無く、そんなある日、私はある動画に出会った。

 再生回数1億越えのショート動画だ。

 チラッと映し出されるミュージシャンの顔に見覚えがある。

 長い前髪から覗く瞳と、細くて高い綺麗な鼻梁。


「この人って、まさか‥」


 イルカの置物と共に思い出す人物が、画面の中の人に重なる。


「イルカはこの人を推したかった、の?」


 イルカは、この人の所で未だに幸運の力を使っている、のか?

 頭をブンブンと振って、自分の頬をパチンッと叩いて活をいれる。


「そんな、絵本みたいな事はないっ!」


 そんな私の目に入ったのは、そのミュージシャンが使うプロフィール写真。


「こ、これは・・・。イルカ?」


 下手な手書きで描かれたイルカが、そこにはあった。


「ユーリ!ねぇ、ユーリっ!」


 私は1人では抱えきれない思いをユーリにぶつけるのだった。

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