第4話 壊れた保冷樽と「冷凍」の付与

 ちょうど食事が終わったところだったので、食器はそのままでいいよと言われ、スーザンにカウンターの内側に招かれる。


 食堂は丸テーブルが五つに壁際に長テーブルが二つ置かれたホールとL字型のカウンターがあり、カウンターから続く扉の向こう側は厨房になっていて、さらにその奥は物置と裏口、裏口から馬房という構造になっているらしい。飲食店の裏側に入ったのはこれが初めてで、物珍しくついきょろきょろと周囲を見回してしまう。


 スーザンはよほど綺麗好きらしく、宿の掃除が行き届いているのと同様に厨房もしっかりと磨き上げられ、調理器具もサイズに合わせてきちんと収納されていた。


 そんな厨房の隅、物置に続く扉の傍にかなり大きな樽がドンと置かれていた。


 酒類も扱うならエール樽だろうかと思ったけれど、それなら横に固定されているはずだ。


「これは先代、つまりうちの親父が買った保冷樽なんだけど、五年くらい前から冷えなくなっちゃってねえ」


 元酒樽を物入れとして使っているのだろうかとも思ったが、どうやら付与の効果が切れた保冷樽をそのまま置いてあるらしい。中には後から洗濯するのだろう、ナプキンや使用済みのウェスが放り込まれていた。


 保冷樽は、その名の通り箱や樽などの容器の内側に「冷」の付与を施した道具のことだ。

 内部は冷えていて、食べ物や飲み物の保存に使われる。


 スーザンが布類を取り出してくれたので、中を覗き込む。


 付与術は術者の腕や魔力量によっても違ってくるけれど、基本的には時間の経過とともに効力が弱くなっていく。少しも冷えていないので、やはり効果は切れているようだった。


「私、「冷」の付与ならできるので、直せると思います」

「ほんとかい!」


 オーレリアが故郷の商会で使っていた「温」と「冷」は、付与術の基本中の基本――というより、付与術師なら誰でも使うことのできる術式である。


 付与術の術式はそれぞれの術者のオリジナルがほとんどだけれど、少しだが国や自治体によって一般公開されている術式もある。「温」と「冷」はそれに含まれている、最も一般的な術式なのだ。


 六歳から十三歳までの子供が通うことが義務付けられている初等学校では、国に雇われている付与術師が各地の初等学校を巡り、子供たちに付与術の基礎を教えることになっている。


 付与術は向き不向きがかなりはっきりとした才能なので、子供のうちにこうした一般公開されている術式を試してみて、素質があればそちらの道に進むというケースはかなり多い。


 オーレリアもその例に漏れず、十二歳の時に派遣されてきた付与術師の授業を受け、適性があると認められた。


 ――そのおかげで、中等学校にも通うことができたのよね……。


 付与術師は多くの教養や学識があったほうが付与の効果が高くなる傾向があり、初等学校の恩師が付与術の適性のある子どもが受けることのできる支援や奨学金を調べてくれて、オーレリアは授業料を免除という形で中等学校に進むことができた。


 中等学校は前世で言うと高校のようなものだけれど、庶民は初等学校で読み書きや算数、簡単な道徳などを学んで終わることが多いこの世界では、中等学校卒はまあまあの高学歴とされている。


 その上には高等学校があるが、これはもうほぼ学者の家系か貴族くらいしか行くことのない場所だ。宮廷付与術師になるにはこの高等学校を卒業している必要があるので、アルバートの新しい婚約者は相当なエリートということになるのだろう。


 また嫌なことを思い出し掛けて、それを振り払うように樽の中を覗き込むと、特別な仕掛けや付属品などもない、本当にただの樽だった。


「これは、樽そのものに「冷」の付与を施してあったみたいですね。これだと、中に入れたものは全部凍りませんでしたか?」

「ああ、そうなんだよ。買ったばかりの頃は入れたものがカチコチに凍っていたんだけどね、二年くらいで柔らかめに凍るようになって、五年くらいでちょうどいい塩梅で冷えるようになったんだけど、段々外に置くよりはマシくらいになって、とうとう全然冷えなくなっちゃったんだ」


 その言葉に、オーレリアは頷いた。


 木材は、付与をするのに向いている素材とは言い難い。できることはできるのだが、術が抜けるのも早いのだ。


 スーザンの言葉通りなら、それでも五、六年は使えたようなので、付与を施した術師は中々の腕と魔力量だったのではないだろうか。


「なにか、使っていない金属はありませんか? 棒でも板状のものでも、なんでもいいんですけど」


 尋ねると、スーザンは少し考えるように黙り込み、厨房の下の棚を漁って小さな鉄製のフライパンを取り出した。かなり長く使っていないようで、錆がびっしりと浮いている。


「処分しようと思いつつ、面倒でしまいこんでたんだけど、こんなんでもいいかい?」

「はい、大丈夫です」


 金属は比較的付与が抜けにくい素材だ。熱の伝導からいって最も向いているのは銅で、次が鉄というところなので悪くない。

 フライパンに指を当て、指先から魔力を放ち、「冷凍」の文字をなぞっていく。


 ――きっとこればかりは、転生特典というものね。


 初めて付与術の授業を受けた時、その術式を三度見してしまった。


 その術式が、そのまま前世で見た漢字の「冷」の文字だったからだ。

 ちなみに温める方は「温」だった。


 この文字を、魔力を込めて素材に書き込むことで、その素材は付与の効果を得ることになる。


 これまで試してきた結果だと、文字がより複雑に、効果を明確に指定するほど強い付与になることも分かっていた。


 「冷」よりは「冷凍」がより温度が低くなるし、凍らせたくないなら「冷却」にすればいい。冷えたものを冷やし続けたいなら「保冷」といった具合に、細かく使い分けることができる。


 同じ効果の付与を施しても、術師によって付与の強さや効き目が違うのは、おそらくこれが理由なのだろう。


 多くの付与術師の卵が高額の入門料を支払い、第一線で活躍する付与術師に弟子入りし、学びながら師匠からなかば術式を盗んでいくことを考えれば、前世で当たり前に使っていた言葉で付与を行うことができるのは、まさに転生特典だと思う。


 もっとも、これまでそれを表に出せば利用され尽くすことは分かっていたので、今日までずっと隠してきた。


 こんなに便利な力だというのに、自分が持つ鞄に「軽量」の付与すら憚られたほどだ。


 ――これからは、もう少し色々な付与をやっていけたらいいな。


 漠然と浮かんだそんな思いに応えるように、錆びたフライパンは術式を取り込み、ふわりと光った。

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