第6話 影の中の地図


 焚き火の揺れる炎を見つめる君たちに、今宵もまた、黒衣の剣士の物語を語ろう。


 乱世の都、霧と石畳に包まれた古い屋敷で、剣なき戦いに挑んだ男の話だ。


 彼の名はアルディオ。帝国の影、黒曜隊の元隊士にして、今はただ剣と魔法で糧を得る放浪の傭兵。


 誰の旗も掲げず、己の刃と知恵を頼りに旅を続ける男が、幽霊の影を追い、欲望の闇を暴いた夜の物語。さあ、杯を手に、耳を傾けてくれ。




 街の外れ、石垣に囲まれた古い屋敷の門をくぐると、庭の向こうに二階建ての館が佇んでいた。


 昼下がりの陽光が淡く差し込むが、苔むした石畳や枯れた蔦が絡まる壁には重苦しい気配が漂う。


 庭の噴水は水を失い、錆びた鉄の彫刻が寂しく立っている。雑草が風に揺れ、遠くでカラスの鳴き声が響く。


 アルディオは無言で門を抜け、案内する侍女の後ろを歩いた。


 黒革の鎧は陽光を吸い込み、擦り切れた表面には無数の傷が刻まれている。背に背負った両手剣は、黒曜隊時代に鍛えられた魔力を帯びた刃で、鈍い光を放つ。その重さが肩に食い込み、過去の戦いを思い出させる。


依頼人は、かつて辺境を治めていた老貴族、マルシアス卿だった。


 内乱前に家督を子に譲り、今は隠居の身。


 応接間の重厚な木の椅子に腰を下ろし、白髪を後ろに束ねた老卿は、背を少し丸めながらも貴族らしい品位を保っていた。


「ご足労いただき恐縮です。幽霊を退治してほしいのです」


 紅茶の湯気が揺れるカップを手に、彼は静かに言った。



「幽霊をか?」


 アルディオの声は低く、疑いの色を帯びる。黒曜隊時代、幻影魔術や罠を何度も見てきた彼にとって、幽霊などただの仕掛けにすぎない。


「退治というほどのものでもないのです。ただ……夜な夜な白い影が廊下を横切り、使用人たちが怯えてしまって」


 マルシアス卿は苦笑したが、瞳には焦りが隠せなかった。


「驚いた使用人が階段を踏み外して足をくじきました。幸い軽傷ですが……このままでは屋敷の体面に関わる。使用人も雇えなくなるかもしれん」

「被害はそれだけか?」


 アルディオは老卿の目をじっと見つめた。黒曜隊の訓練が、彼の視線を鋭くする。


「今のところは。だが、噂が広がれば私の平穏な隠居生活も終わりだ。息子に心配をかけたくない」


 老卿の声には、疲れと諦めが混じる。家督を譲った後に起きた内乱によって息子は戦場にいる。

 マルシアス卿は幽霊騒ぎで遠くにいる息子を心配させたくないようだった。


「仕事なら銀貨二十枚と食事で十分だ」


 アルディオは報酬を切り出した。


「それは安い。成功すれば追加で十枚だしましょう」


 マルシアス卿は即答し、侍女に部屋の準備を命じた。侍女は怯えた目でアルディオを一瞥し、静かに退出した。




 館の中は見事に掃き清められていた。大理石の床に陽光が反射し、磨かれた木の手すりが温かな光を放つ。


 壁には古い肖像画や戦の記念品が並び、かつてのマルシアス家の栄華を物語る。だが、廊下の隅々や柱の影には、ひやりとした空気が漂う。


 燭台の蝋が溶けた跡、絨毯の擦り切れた端。屋敷は生きているようで、しかしどこか死んでい


 。アルディオは壁に指を走らせ、絨毯の継ぎ目や燭台の裏を確認した。黒曜隊時代、敵の罠を見破るために鍛えた感覚が、微かな違和感を捉える。埃の匂い、木の軋み、遠くで響く屋敷の呼吸。


「幽霊はどんな姿だった?」

「白いローブのような……はっきり見えるというより、霞んだ影のようなものです。夜中に廊下をふわっと動くんです」


 アルディオは案内役の侍女に尋ねた。彼女は若い女で、名はエリン。怯えた目で答えた。


「声は?」

「誰も聞いていないとか。ただ、すっと壁を抜けて消えるんです」


 エリンの声は震え、裙を握る手が白くなる。


「なら実体のない魔法か……」


 アルディオは小さく呟き、廊下の奥を見やった。黒曜隊時代、幻影魔術を使った敵と戦った記憶が蘇る。ある任務で、敵国の魔術師が幻影を操り、兵を混乱させた。


 あの夜、仲間が錯乱し、味方の剣で倒れた。幻は人を惑わすための道具だ。だが、その裏には必ず目的がある。


 夜、アルディオは廊下の片隅に腰を下ろし、瞼を閉じて気配を探った。空気の微かな流れ、石の冷たさ、遠くで鳴る屋敷の軋み。


 腰の短剣に刻まれたルーンを指先で撫で、魔力を呼び起こす。黒曜隊の訓練が、彼の感覚を研ぎ澄ます。


 深夜、廊下の先に白く霞んだ影がゆらりと現れた。ローブのような形がふわりと動き、壁を抜けて消える。アルディオは目を細め、ルーンの魔力を集中。視界に微かな魔力の流れが浮かび上がる。


「やはり……幻影か」




 翌朝、アルディオはマルシアス卿に報告した。


「悪戯だとすれば執念深い。幻影魔術だ。魔道具か術者の仕業だな」


 老卿は深く溜息をついた。


「ただの悪戯ではない気がしてならんのだ……そうだ、最近ある品を買い取った」


 彼の声には不安が滲む。


「品?」


「懇意の商人が内乱の影響で資金繰りに困り、家宝を担保に金を借りたいと言ってきたのだ。ドワーフ製のカラクリ箱だ。古い物で、開け方もわからんが、美しい細工だ。値打ちものだと信じている」


アルディオは目を細めた。


「他に気になることは?」

「……その話を聞きつけた別の商人が、しつこく売ってくれと食い下がってきた。だが、呪われているかもしれんと言われてはな。気味が悪い」

「呪いを仕立てて安く買い取ろうとしたか。箱を見せてくれ」


 老卿の言葉に、アルディオは小さく頷いた。


 マルシアス卿は書斎の棚から箱を取り出した。黒檀に銀細工が施され、ドワーフの職人特有の精密さを宿していた。天面には複雑な溝と留め具が刻まれ、まるで迷路のよう。


 アルディオは箱を手に取り、指で溝をなぞった。黒曜隊時代、ドワーフの罠を解いた記憶が蘇る。敵の要塞で、似たようなカラクリを解き、爆薬を解除した夜。あの時は失敗すれば死だった。


 留め具を軽く押し、影の角度をずらすと、箱が僅かに開き、内部の細工が動き出した。透かし彫りの内部を燭台の灯りで照らすと、壁に影が浮かんだ。それは地図――宝の隠し場所を示す古い印だった。

「隠された財宝の地図……これが狙いだったか」アルディオは呟いた。


「戦火を逃れて眠る財宝……かもしれんな」


 アルディオがからくりを解いたのを見てマルシアス卿は複雑な表情で箱を撫でた。


「私はもう宝など要らん。ただ家を護りたいだけだ。息子にこれ以上の争いを背負わせたくない」


 アルディオは黙って頷いた。戦乱の世で、財宝は血を呼ぶ。老卿の選択は、かつての自分が知らなかった平和への願いだった。




 屋敷の使用人の中に、数ヶ月前から働き始めた若い男、トムがいた。アルディオは彼を応接間に呼び、静かに問いかけた。


「魔道具をどこに隠した?」


 トムは最初、震えて否定したが、アルディオの冷たい視線に耐えきれず観念した。


「お願いです……家族が……」


 彼は壁の裏から小型の水晶を取り出した。幻影を投影する魔道具だ。商人から借金を押し付けられ、脅されて仕込んだという。


「あの商人が……箱を安く手に入れるためにやれと……」

「商人の名は?」


 アルディオの声は鋭く、しかし落ち着いていた。


「バルト……街の交易商です」


 トムの声は震え、涙が滲む。彼の粗末な服、疲れた目。戦乱の世で、貧しさが彼を縛っていた。


 アルディオは水晶を手に取り、魔力の流れを確認した。簡易だが巧妙な仕掛け。黒曜隊時代、似た魔道具で敵を惑わしたことを思い出す。


 「家族を助けたければ、バルトに口を閉ざせと言え。次は俺が直接会いに行く」


 トムは震えながら頷いた。




 アルディオはマルシアス卿に報告した。


「商人はトムを借金で縛り、幻影の魔道具で幽霊騒ぎをでっち上げた。箱を呪われていると吹き込み、安く買い取るつもりだった」

「……くだらぬ策だが、戦乱の世では人の心も蝕まれるということか。私の屋敷をこんなことに使うとは」


 老卿は深く息を吐き、目を閉じた。




 夕暮れの庭で、マルシアス卿は小さく笑った。


「君には礼を言わねばなるまいな。幽霊騒ぎも収まり、屋敷は再び静かになる。息子にも安心して任せられる」

「仕事だ。ただ、それだけだ」


 アルディオの声は淡々としていたが、老卿の言葉に微かな温かみを感じた。


「それでも、ありがとう」


 老卿の目は温かく、しかしどこか寂しげだった。戦乱で全てを失いかけた男の、ささやかな希望の光。


 アルディオは庭を出て、石畳を歩き始めた。夕陽が屋敷の屋根を赤く染め、森の木々がざわめく。遠くで街の喧騒が聞こえ、戦乱の噂が風に乗る。彼の心には、黒曜隊の記憶がちらつく。血と鉄の戦場、欲望と裏切り。だが、この日は剣を振るわず、ただ真実を暴いた。それで十分だった。石畳を踏む音が、夜の帳に溶けていく。




 かくして、黒衣のアルディオは幽霊の正体を見破り、欲望が生んだ幻影を斬り裂いた。


 されど彼は知っている――人の欲もまた、亡霊のように街をさまようものだと。


 乱世に生きる者たちの心の闇を、剣なき剣で暴く旅は、まだ続く。次に彼がどこを歩くのか、それを知る者は誰もいない。さあ、旅人よ、杯を空にしてくれ。次の物語は、また別の夜に語ろう。

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